GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

トロサウルスの向こうへ

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↑Skeletal reconstruction of Sierraceratops turneri holotype NMMNH P-76870.

  Scale bar is 1m.

 

 北米南西部の最上部白亜系、つまりララミディア南部の白亜紀末の地層における恐竜相の話はかつて本ブログで散々に取り上げてきた。どれもこれも断片的かつ保存のひどいものが多く、一度書いてしまえばその後はそうそう取り上げる機会のあるものではない――つまり、再検討のおぼつかないほどの材料しか知られていないことは今さらここに書くまでもない。

 本ブログで過去何度か取り上げた(同人誌でも触れた)“マクラエ(マクレー)McRae層のトロサウルス”といえば、だいぶ前に命名される動きがあったのを覚えている読者の方は幸せである(心豊かであろうから)。ごく断片的な化石しか知られておらず、しかも研究の旗振りは悪名高きダールマンであり、案の定というか音沙汰がなくなって早4年であった。

 が、事態は常に(表向きには)急転直下するものである。ロングリッチを共著に加えて命名されたシエラケラトプス・ターナー Sierraceratops turneriこそ、“マクレー層のトロサウルス”として知られていた謎の大型角竜であった。

 

 マクレー層(最近の研究では層群に格上げされており、それに伴いホセ・クリークJose Creek部層がホセ・クリーク層へ、ホール・レイクHall Lake部層がホール・レイク層に格上げされている)での恐竜発掘の歴史は古く、20世紀初頭までさかのぼることができる。1905年にはここからトリケラトプスが報告されたが、これは(トリケラトプス級のサイズの)角竜の椎体に過ぎなかった。

 1980年代になるとマクレー層群(さらに言えばいずれもホール・レイク層の下部;1905年に報告された化石もホール・レイク層のものらしい)から続々と恐竜化石の断片が報告されるようになった。いずれも断片的ではあったが、ティタノサウルス類や鎧竜、ケラトプス科そしてティラノサウルス科――ティラノサウルスらしき見事な歯骨が発見されるようになったのである。

 アラモサウルスらしきティタノサウルス類や、トリケラトプストロサウルスと同サイズの角竜、そしてティラノサウルス属の発見により、ホール・レイク層の時代はランス期――マーストリヒチアンの後期で間違いないように思われた。これをさらに補強する形で、1998年にトロサウルス・ラトゥスがホール・レイク層から報告されたのである。

 

 1997年にテッド・ターナーの経営する牧場で発見されたそれは、ばらけた大型角竜の部分骨格であった。ひとまず椎骨や肋骨、肩帯や腸骨の断片、そしてばらけた部分頭骨――鱗状骨と上眼窩角、そして頬骨がニューメキシコ州立大学(NMSU)とニューメキシコ自然史博物館(NMMNH)によって採集されたのである。パーツは完全にばらけていた状態だったが、いずれも同一個体と思しきサイズであった。

 この化石はホール・レイク層では初めてとなる角竜の(相当に断片的とはいえ)まとまった骨格であり、鱗状骨の特徴からトロサウルスと断定された。滑らかな表面で細長く伸び、そして縁鱗状骨(とそれが関節する突起)を全くもたないそれは、紛れもなくトロサウルスのものであり、トリケラトプスやペンタケラトプスのものではありえなかった。トロサウルス属はT. ラトゥスのみであり、従ってこの化石(NMMNH P-76870;この時点では標本ナンバーがなかった)はトロサウルス・ラトゥスで間違いないと思われた。

 

(1998年当時、トロサウルス・ラトゥスの解剖学的特徴はほとんど何もわかっていない状態であった。いずれの標本もフリルの保存が悪く、頭頂骨窓のはっきりした形態やホーンレットの有無はまったく不明だったのである。この当時トロサウルス・ユタエンシスをT. ラトゥスのシノニムとする意見が主流であったのだが、ファルケはこの時この”マクレー層のトロサウルス“がT. ユタエンシスである可能性を指摘している。)

 

 200年代も半ばに入るとようやくトロサウルスの骨学的な理解も進み、“マクレー層のトロサウルス”があまりにも断片的で属の同定すらおぼつかないことが(ファルケによって)指摘されるようになった。カスモサウルス亜科の大型種であることは疑うべくもなかったが、かくして“マクレー層のトロサウルス”がトロサウルス属として扱われることはなくなったのである。

 2014年になり、NMMNHの調査隊がターナーの牧場へ帰ってきた。マクレー層の地質調査の一環ではあったのだが、調査隊がそこで出くわしたのは“マクレー層のトロサウルス”の掘り残しであった。

 

 掘り残しにはそれなりの頭骨要素が含まれており、もともと採集されていた要素と合わせれば眼窩まわりの形態はほぼ完全に揃う格好となった。かくして2017年にダールマンとルーカスは本“種”をペンタケラトプスの姉妹群として学会で発表した――が、それ以上の進展は起こらず、しばらく塩漬けになったのである。

 そんなこんなで共著にロングリッチも加えて出版された論文で、とうとう“マクレー層のトロサウルス”は新属新種となった。依然として骨格は断片的もいいところであり(部位によって保存状態の差が著しいが、頭骨の各パーツはまともな方である)、論文がわりあいにツッコミどころ豊か(この際論文の骨格図がだいぶ前に筆者の描いたアンキケラトプスの改造であることには触れない)でもあるのだが(筆頭が筆頭でもあるし、セカンドがセカンドでもある)、とはいえ頬骨の形態は特徴的でもあろう。

 系統解析(ロングリッチ節全開である)の結果、シエラケラトプスはコアウイラケラトプスとブラヴォケラトプス――“エル・ピカチョの角竜”とあわせて小グループをなす可能性が以前から指摘されていた――とひとまとめに括られ、そしてアンキケラトプスとアリノケラトプスの間に置かれた(“アーモンド層のアンキケラトプス”はアンキケラトプスよりもひとつ基盤的なポジションに置かれ、“Bisticeratops froeseorum”なる謎の分類群と姉妹群になった)。これはつまり、シエラケラトプスが(現状の化石記録に基づけば)ララミディア南部でのみ放散した、かなり派生的なカスモサウルス類の一員であることを示している。

 これまで、もっぱら恐竜化石――ティラノサウルスやアラモサウルスそしてトロサウルスの産出に基づき上部マーストリヒチアンとみなされていたホール・レイク層ではあるが、もはやこれらの化石に基づく時代論が何の意味も持たないことは言うまでもない。最近になってホール・レイク層の最下部では7320万±70万年(カンパニアン後期後半)の絶対年代(もっと最近になり、ざっと7200万、つまりカンパニアン末~マーストリヒチアン初頭を示す絶対年代も得られているとのことでもある)が得られており、シエラケラトプスの時代がカンパニアン末~マーストリヒチアン初頭あたりであることを示している。つまるところ、ホール・レイク層下部の恐竜相はそれまで言われていたよりもだいぶ古い時代のものだったわけである。

 

 いつものように取っ散らかった話ではあるが、結局のところララミディア南部の“最上部”白亜系の恐竜相はその時代さえようやく現代的な再検討が始まったばかりである。“アラモサウルス動物群”の実態の解明はあまりにも断片的な化石と怪しげな時代論の前にことごとく阻まれてはいるのだが、それでもわずかずつ、歩みは続いている。