GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

【告知】第5回VR恐竜シンポジウム「恐竜骨格の復元」にゲストで登壇します

 というわけで(いつも通り前略)、9/27(日)の19時から恐竜技術研究ラボの第5回VR恐竜シンポジウムにゲストとしてお招きいただくことになりました。「恐竜骨格の復元」ということで、いつもの骨格図がらみの話等々について、司会の芝原暁彦さん、今井拓哉さんと一緒にお話ししていく予定です。ぜひご参加・ご観覧ください。

 シンポジウムの詳細は下記リンクから。

 

日時:9月27日(日)19~21時(18:50より開場)

会場(cluster)

cluster.mu

配信(youtube

https://www.youtube.com/watch?v=AHcdrxM01U8&feature=youtu.be

 

過ぎ去りし時の終わりに;「グレゴリーポール 恐竜事典」レビュー

 例によってネットと書店実店舗とで発売のタイミングが微妙にずれていると見せかけて別にそんなことはなかったようだ。例によって(そうでもない)首尾よくポールの骨格図本――「グレゴリー・ポール恐竜事典」を手に入れた筆者である。今までさんざん(特に原著に関しては)ここで書いてきたことではあるのだが、(書評と呼べる代物が少なくとも素の状態の筆者に書けるかという話は置いといて)本書について改めて書き散らかしておきたい。

 

 先の記事でも書いたことではあるのだが、グレゴリー・ポールの本をまともに――つまり単なる画集/資料集以上のものとして読んだことのある人はどれほど(この狭い業界の中で)いるだろうか。本ブログの読者の年齢構成のようなものは寡聞にして知らないが、90年代に現役の恐竜おたくだった読者であれば、たぶん飽きるほど触れた経験はあるだろう。原著――The Princeton Field Guide to Dinosaursであれば、筆者くらいの世代でもリアルタイムで新刊に触れたことがあるだろうが、そうは言っても洋書である。超新星とさえ言えたポールの骨格図とともに長いキャリアを過ごしてきた世代に代わり、スタンダード、あるいは学研の図鑑に小さく載った骨格図しか知らない世代が台頭してくるのは詮ない話でもある。筆者とて、ポールの骨格図がでかでかと載った本とリアルタイムで出会ったわけではない。

 本書――「グレゴリー・ポール 恐竜事典」は、ほぼ20年(単行本としてカウントするのであればそれ以上)ぶりの、日本語で読めるポールの本である。ちょっと勇気のいる値段ではあるが、それでも買っておくべき――原著を持っているならなおのこと――本である。まして生のポールを知らなかった若者(という自覚のある人)は。

 

 原著はある種ポールの同人誌(それも総集編)といった雰囲気さえあり、良くも悪くもポール節全開(専門書というよりは一般書と言ったほうがよい代物でもある)で、かつ書籍としての完成度はかなり微妙な代物であった。原著の印刷の質はわりと悲惨であり(ついでに筆者の初版UK版は謎の落丁――ヘレラサウルス周辺がもう1セット綴じてある――で楽しい)、肝心の骨格図も本文レイヤーとの順序を間違えたのか、ちょこちょこ端が切れているものがある始末であった。

 翻って日本語版の翻訳は、恐ろしいことに福井県立恐竜博物館の研究者による分担制である。やんちゃで知られた(それでいて定評のある)在野の研究家の本を、バリバリの研究者たちが寄ってたかって翻訳した本なのである。かくして要所要所に脚注(という名の原著への容赦ない突っ込み)が加えられ、非常に頼もしいところである。資料としてこれ以上ないとはいえ、色々な意味で上級者以外に勧められなかった(上級者であれば勝手に買っていたか、そもそも必要のない本かもしれなかった)原著だが、日本語版はある意味原著に対して訳者と一緒に立ち向かうといったふうでもあるのだ。ついでに印刷の質も劇的によくなっており、書籍としての完成度は飛躍的に向上しているといっていい。

 とか何とか言いつつも、本書はやはりポールの本である。脚注は脚注に留まっており(容赦のない脚注ではあるが)、本文に真っ向勝負を挑むのはそう簡単ではないかもしれない。訳者らが相当苦しんだらしいことは前書きや脚注の端々からうかがえ(このあたり、ディクソンの本は実際読みやすかったのだ)、楽しくも苦しい旅になるであろうことは目に見えている。このあたりの感覚は、第二次恐竜ブーム――今は遠くなった90年代に、多くの読者が感じたそれ――滔々と語るポールに必死でついていく訳者とただただ圧倒される読者――と同じだろうか?恐らくそうではない。

 ポールが業界を席巻した時代からすでに20年以上が過ぎている。訳者は相変わらず必死だが、読者はただ情報の奔流に飲み込まれるだけではなくなったはずだ。電子の海に漕ぎ出すのはたやすく、大学の書庫を巡って論文をひたすらコピーし続ける取材の時代は終わったのである。しかし、それでもなお、本書は――ポールのこの20年の集大成(それがまた歯がゆいところでもあるのだが)は、圧倒的な物量でそびえたっている。

 本書に一度目を通してそれっきり、という読者はたぶんいないだろう。何度も何度もページをめくり返す羽目になるはずだ。それを繰り返すうち、きっと本書だけでは満足できなくなるだろう。本書の先に待ち受けているのは一次文献――原著論文である。

 別に本書の存在について難しく考えることはない。一時代を築いた(そして後世のスタンダードを切り開いた)在野の研究家の集大成たる一冊であり、それゆえの問題を抱えつつも、訳者の尽力でそのあたりをカバーした比類なき大著である。それだけで7500円をつぎ込むには十分だろう。物量重視の図鑑はしばしばビジュアル面がおざなりになるものだが、第一に本書はポールの本であり、(時期による出来の差は割と激しいのだが)ポール式骨格図がそこかしこにあふれている。復元や分類の「あいまいさ」を含め(これらはむしろ明確に示されるべきものである)、これほど網羅的な図鑑は他にないのだ。

 

 筆者の絵描きとしてのキャリアの始まりがポールの後追いであることは誰の目にも明らかであるし、今さらここに書くことでもない。ロックンロールの死は見届けたつもりだったのだが、それでも20年ぶりにグレゴリー・ポールの本が日本語で読めるということは、めったにない経験だろう。常に手の届くところに置いておくべき一冊である。

 

そして伝説へ…

 真夏もいいとこである。筆者のマシンは例によってMW5(そろそろ中心領域周回も飽きてきたので追加のダウンロードコンテンツはよ)を回すと熱停止寸前までヒートシンクフリーザーとか二重ではない)のファンが咆哮するわけだが、幸い冷房を付けていればなんとかといった具合である。(チャンピオンとマローダーⅡが気になるお年頃の筆者である。ナイトスターが扱いやすすぎてそうそう手放せそうにないところではあるのだが。)

 

 さて、前記事でも触れたとおりこのご時世で恐竜関係のイベントは壊滅状態(ちょこちょこやっていたりはするのでよく計画されたし)なわけだが、出版業界に目をやるといろいろ賑やかである。うっすら謎の自伝(自伝とは限らないが)ブームが到来しているのはさておき、よりにもよってグレゴリー・ポールの洋書――The Princeton Field Guide to Dinosaurs (2nd Ed.)の邦訳が出版されるのである。

 言うまでもなく筆者の本棚(と段ボール箱)には原著の初版と第2版(なんなら初版のUK版もある)が入っており、かつて本ブログでも色々と書いたおぼえがある。なんだかんだでポール大好きマンとしては謎の感慨深い気にもなるのだが、そうはいってもポールの本である。

 ポールの和書にリアルタイムで触れた経験があるのは、せいぜいが筆者の世代(90年代前半生まれ)までであろう。これは単に、ポールの「新作」やエッセイの載った和書が最後に出たのが2000年代初頭だった(はず)ということである。とはいえ筆者は恐竜博2002の物販で平積みされたディノプレス(最新号=最終号だった)をパラ見したのちタミヤトリケラトプス情景セットを買ってもらったタイプの人類だったわけで、ポールとの最初の出会いは学研の図鑑だったはずである。なんにせよ、筆者はポールが業界にお目見えした時(80年代中ごろ)の衝撃とは無縁であり、一種のスタンダードとなってから出会った格好となる。

 裏を返せば、それ以降の世代はリアルタイムでポールの和書に触れることがなかった計算になる。筆者はといえば中学校の図書室の隅っこで恐竜骨格図集を発掘し、肉食恐竜事典を今さら買ってみたりとろくでもない行為に手を染めていたが、そうあることでもないだろう。そういうわけで生じた(日本における)ポールの空白期間の間に、スコット・ハートマンをはじめとするポール式(ハートマンのそれはもはやポール式からはもはやかけ離れているように見えるのだが)の追随者、あるいはむしろ古典的なスタイルの骨格図が幅を利かすようになって現在まで至っている。もっとも、90年代に席巻した「骨格図文化」は2000年代初頭で――ポール式骨格図の網羅的な本が出版されなくなった時点で絶えてしまったとさえ言ってしまっていいかもしれない。 

 肝心のポールの本と言えば、2010年に大著――The Princeton Field Guide to Dinosaurs(初版)が出版され、往年のポールと劣化したポールのごった煮(アクも取らずに丸1日火にかけていたような代物)が読者に提供されたわけである。往年のポールは往年の作に過ぎず、一方で劣化ポールには往年の見る影もなかったのは書くまでもない(そもそもポールの単著なのでポールにしか書けない文章の連発でもある)が、なにしろそのボリュームはすさまじかった。「フィールドガイド」という体裁ゆえの問題もいくらでもあったが、結果的にポールによるポール式骨格図の集大成には違いなく、各分類群についてこれほど網羅的な一般書も他にほとんど存在しなかったのである。

 

 2016年になって出版された第2版も同じことで、ひたすらに初版の拡大版であった。ただでさえ大きかったボリュームはさらに膨らみ(ポール節に磨きがかかったかと言えばそんなことはなく、とりあえず増量されただけであった)、80年代から慣れ親しんでいた骨格図のいくつかは別標本ベースの骨格図に差し替えられた(筆者が何を言いたいかはまあわかってもらえるだろう)。それから4年が過ぎようとする現在にあって、第2版は依然として同じ地位――「図付きで恐竜の種類がいちばん多く載っている本」に君臨している。

 ここまでが前置きである。色々なところで散々書いてきた話だが、ポールの本は非常にアクの強い本であり、端的に言って読みこなすのは難しい。筆者とてThe Princeton Field Guide to Dinosaursの前半部分はいまだかつてパラ見以上のことはしていなかったりする。そんな本の訳を引き受けたのはよりにもよって福井県立恐竜博物館であり、従って「グレゴリー・ポール恐竜事典」は「在野の研究家」の単著(監修もないポール成分100%の原著である)を日本でも有数の(それも若手中心の)古生物学者がよってたかって翻訳した格好になる。しかもそれがほぼ20年ぶりのポールの本(単行本で数えれば、恐竜骨格図集以来24年ぶりとなる)となれば、もはや文字情報だけでおなかいっぱいである。今こそ(ポール式)「骨格図文化」再興の時である。

 語句索引まで追加された結果壮絶なボリュームになったことは間違いない本書であるが、100%純粋ポールに訳者らは相当苦しんだことと思われる。ポール本の訳者に本職の研究者があたることは、たぶん今後ないだろう。そういう意味でも(ある種プロレスめいた面白さというべきか)本書はめったにない本である。

嘆くべきは本書の抱えるもろもろの問題点ではなく、アメリカでは本書がたった35ドルで売られていることであり、もはや邦訳がビジネスとして成立しなくなった日本の恐竜「市場」である。最後にもう一度だけ書くと、本書は「買い」である。

 かつて第2版が出版された際に筆者はこんなことを書いたわけだが、4年も経てば邦訳が出てしまうものである。なんだかんだ言っても原著は恐竜の形態・復元について統一されたフォーマット――ポール式骨格図でもっとも広く俯瞰できる本である(そして「復元の危うさ」についてもっとも広く俯瞰できる本でもある。このあたりも4年前に書いた内容まんまである)。ましてそれが日本語(のきちんとした訳)で読めるようになったわけである。使いこなせればこれ以上ない本であり、本書を使いこなせるようになる頃には一皮も二皮もむけているはずである。備えよう。

 

企画展「福井の恐竜新時代」レポ

 更新をほったらかしていたらあっという間に8月である。本来なら今夏も色々あるはずが中止やら延期やら規模縮小やらではあるのだが、致し方ないところではある(が、細々と告知を続けているものもある)。

 福井県立恐竜博物館といえば今年で開館20周年(前身がもう少し以前までさかのぼれることは言わずもがな)であり、本来ならいつも以上に気合の入った特別展(エオティラヌス(しかもマウント)が来日するという話であり、ひょっとするとネオヴェナトルよろしく会期後に引き取るくらいのつもりだったのかもしれない)が開催される予定だったわけだが、かくして地元要素に絞った特別展と相成ったわけである。

 とはいえ、さすがに20周年だけあって、規模は縮小しても相当な濃さである(このご時世なのであまり長居するものでもないのだが)。噂通り「新復元」もお目見え(まだ今後の展開が控えていそうな雰囲気があるわけだが)し、この20年間の総括にふさわしい特別展とはいえよう。そういうわけで、いつも通り(ずいぶんレポート記事は久しぶりなのだが;うっかり去年の福井レポを書きそびれた筆者である)つらつらと適当に紹介していきたい。

 

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 お約束というべきか、迎えてくれるのは海鳥達だけなのか?勝山産ゴニオフォリス類である。いい加減骨学的記載を…というのは鉄板ネタなのでここではやらない。皮骨の保存も非常に良好である。

 

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 クリーニングで少なからず損傷しているというのはたぶんそうなのだろう。

 

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 フクイサウルスの「新復元」は頭骨だけのお披露目であるが、たぶんこれには深い事情がありそうである。眼窩まわりというか頭蓋天井が別物になっており、なんというかバリグナー(の改造パーツを組み込んだ1/144のD-1)臭がする。

 

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 眼瞼骨の近位部と後眼窩骨の装飾が目を引く。前前頭骨-涙骨や上顎骨も作り直されているようだ。

 

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 今回の「新復元」の核になっているのが、数年前に発見されたこの部分骨格(同一個体由来)である。いちおうキャプションはイグアノドン類どまりではあるものの、上顎骨の形態からしてコシサウルスではありえない(とりあえずフクイサウルスとよく似ているように見える)。サイズはフクイサウルスの模式標本群とほぼ同じようで、上述の「新復元」には本標本のキャストがそのままねじ込まれているようである。
 本標本のプロポーションからして、どうもフクイサウルスは(旧復元では「小顔」がウリであったわけだが)かなり頭でっかちだったとみてよさそうで(元フクイリュウのマウントの上に掲げられた復元画でもそんな感じである)、このあたり「新復元の完全版」がお披露目されるのもそう遠くないだろう。

 

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 フクイラプトルの「新復元」はなんというかハイディテールマニピュレーター(B-CLUBにはちょこちょこお世話になっていた筆者)を付けてみました感がある(実際だいぶ印象は変わっている)。

 

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 頭骨はそのまま…と見せかけて、下顎にはちょこちょこ手が入っている。

 

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フクイヴェナトルがいちばん「新復元」らしくなっている。とはいえ首から後ろはポーズ替えに終始している。第2趾の問題は要は「始祖鳥のシックルクロー問題」と同じようなものだろう。

 

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 「旧復元」のアーティファクトが(造型的な意味で)悲惨だったわけだが、今回新要素(原記載時には同定不能だった部分)も加わって、まるっきりの別人顔である。とりあえず再記載は必須であろう。

 

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 新復元というか、今までなかったのが不思議なフクイティタンの(四肢だけではあるが)マウントである。大腿骨の破損がひどいので何とも言えない部分は残るのだが、とはいえ上腕骨はたいして長くはないタイプである。

 

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 大腿骨のアーティファクトが根性の産物であることがよくわかる。カクルめいた写真(意味不明)なのはPLフィルターの都合である。手首の処理はむずかしいところ。

 

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 第一次発掘の時から大規模な足跡(というか連続歩行痕)群が知られているわけで、さまざまな足跡種の化石も展示されている。鳥類や翼竜と、恐竜以外も興味深いところである。

 

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 小粒ではあるが、数を集めればなかなかの見ものである。フレームワークの是非はさておき普通に現生属である。

 

 

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 手取層群で魚類といえば桑島のイメージが強いわけだが、勝山でもちょこちょこ出ているものである。部分的だが大変美しい化石である。

 

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 というわけでごくごくかいつまんで紹介したが、本展の恐竜の展示はもっとある(先報道発表されたスピノサウルス類の歯も含め)し、植物や無脊椎動物の化石もきっちり展示されている。縮小を余儀なくされたとはいえ、これまでの20年の振り返りと、これからの20年の始まりを告げるにはふさわしい企画展と言えるだろう。

 

(この手の大規模企画展についていえば、中止というより延期という文字の方が目立つ印象である。来年を待つのも手であろう。)

 

十字架に磔られて

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↑Composite skeletal reconstruction of Deinocheirus mirificus. Scaled as MPC-D 100/127.

 

 筆者くらいの世代、つまり90 年代生まれは、「謎の獣脚類」としてのデイノケイルス(とテリジノサウルス)を(リアルタイムで)図鑑で見た最後の世代であった。筆者の手元にある1990年版の学研の図鑑(筆者が買ってもらったのは96 年に出た第20 刷である)には、“まだ”、中途半端に首が長いものの典型的な獣脚類の頭の載った、とりあえず肉食であるらしいテリジノサウルスとデイノケイルスが描かれている(デイノケイルスは遠景に描かれているだけだが、近景に置かれたテリジノサウルスの足はかなり幅広に描かれており、セグノサウルス類を念頭に描かれたフシがある)。
 オルニトミモサウルス類との形態的類似は原記載の時点ですでに指摘されており、2000年代に入るころにはデイノケイルスがオルニトミモサウルス類(のおそらく基盤的なもの)であることはもはや明らかだった。かくして「謎の獣脚類」をそれっぽく復元することが可能となり、とりあえずその辺のオルニトミムス類の巨大なものとして復元したイメージがあふれかえることになった(言うまでもなく、当時それらに特別問題はなかった)。——のだが、2013 年のSVP を経て2014 年に発表された「新復元」は「はめ込み合成」されたそれまでの復元とは別物といってよい代物であった(本質的に「旧復元」が間違っていたかといえばそういうわけではないのだが)。盗掘された頭骨と足——MPC-D 100/127 も紆余曲折の末もとの体に帰還し、そして恐竜博2019 で「再び」日本の土を踏むことになった。——ブギン・ツァフから盗掘されたMPC-D 100/127 の頭と足は、モンゴルから「日本のバイヤー」へ売られ、そしてヨーロッパへと流れていったのである。

 

 1963 年から始まったポーランド-モンゴル古生物探査にはモンゴル、ポーランド双方から新進気鋭の研究者が参加したが、女性研究者の多かったこの調査隊は薫枝明をして「モンゴル-ポーランド娘子軍」と称され輝かしい成果を残した。そして3 回目の調査となった1965年、ソフィア・キエラン-ヤウオロスカはネメグト盆地のアルタン・ウラⅢ(ネメグト層の下部にあたる)で、奇妙な“メガロサウルス類”(この場合のメガロサウルス類はウォーカーによる獣脚類の大分類——カルノサウルス類をメガロサウルス上科とティラノサウルス上科に二分したものである)にぶち当たったのである。

 この“メガロサウルス類”(1966 年の速報ではメガロサウルス科とされていた)はゆるやかに関節したほぼ完全な肩帯と前肢、そしてわずかな胴椎の破片と肋骨、腹骨が保存されていた。問題だったのはそのサイズで、上腕骨の長さは938mm——前肢全体で長さ2.4m(右前肢は完全だった)というすさまじい代物であった。オスモルスカ(とまだ学生だったロニウィッツ——とっくの昔に小型無脊椎動物化石の大御所である)——「娘子軍」の主力であった——はこの恐竜がティラノサウルスと互角のサイズであることを見抜くと共に、手の構造や、やたらデカいものの貧弱な上腕骨がオルニトミムス類と酷似していることにも気付いていた。一方で、デイノケイルスの巨大なサイズや、骨が肉厚であることから(古典的な意味での——今にしてみれば系統関係を何ら反映していない)コエルロサウルス類である可能性を排除し、原始的なメガロサウルス類——デイノケイルス科を設けたのであった。

 

 原記載に合わせてデイノケイルスのホロタイプ(当初はワルシャワポーランド科学アカデミーの所蔵であったが、後にモンゴルに返還された)のキャストは組み立てられ、鮮烈なデビューを飾ることとなった。天井すれすれに組み上げられた肩帯と前肢“だけ”を見上げるオスモルスカの写真は数々の書籍を飾り、量産されたキャストは西側諸国にも出回るようになったのである。

 原記載におけるオスモルスカの観察眼はさすがといったところで(The Dinosauria の編集を伊達でやることになるわけではない)、デイノケイルスを最終的にメガロサウルス上科としたのは、単に(単発の記載に過ぎなかったということもあり)分岐分類導入以前の獣脚類の分類——巨大で重厚なカルノサウルス類と、小型で華奢なコエルロサウルス類というフレームワークに手を付けなかったというだけのことでもあった(ついでに、当時まだホロタイプしか知られておらずカメ扱いだったテリジノサウルスが獣脚類であることを指摘している)。とはいえ、一度分類してしまえば、それが独り歩きするのが今も昔もこの業界のお約束である。

 かくして化け物じみた剛腕カルノサウルス類としてのデイノケイルスが氾濫するようになり、テリジノサウルスのほぼ完全な前肢が発見された(ここに至ってようやくテリジノサウルスがカメではなく恐竜であることにコンセンサスが得られた)ことで状況はさらにややこしくなった。オストロム(やポール)がオルニトミモサウルス類への分類を主張し、一方でバルスボルド(ホロタイプの発掘にも携わっていた)はテリジノサウルスとデイノケイルスをまとめて「デイノケイロサウリア」を創設しようとした。
こうした状況を復元画は敏感に反映し、巨大なオルニトミムスから“セグノサウルス類”
風の復元まで、様々な復元が同時に出回るようになった。名実ともにデイノケイルスは謎の恐竜となっていたのである。

 

 このあたりについて一応の幕引きとなったのがThe Dinosauria 第2 版——2004 年に出
版されたマコヴィッキーらによる研究であった。デイノケイルスの前肢から基盤的なオルニトミモサウルス類の特徴が見いだされ、ひとまずの定位置を得ることになったのである。とはいえ、依然としてオルニトミモサウルス類とすんなり言い切るのが難しい代物でもあった。非オルニトミモサウルス類的な特徴も混在していたのである(わかりやすいのが前肢の末節骨である。カーブが強いのはガリミムスにもみられる特徴だが、屈筋の付着点ががっつり近位寄りにあるのは非オルニトミモサウルス類的である。また、橈骨と尺骨が密着しないのも非オルニトミモサウルス類的である)。

 閑話休題、韓国といえばやたら恐竜の足跡と卵が産出することで有名だが(釜山港のすぐ近くの岩礁に巣と思しき卵化石の集まりがある始末である)、数こそ少ないながら保存良好な恐竜の骨格化石も知られている。どことなく「モンゴル的」な保存状態でもあり、時代的にもそれらしいことも相まって、イ・ユンナムを旗振り役に、2000 年代から精力的にモンゴルでの調査を行うこととなったわけである。

 さて、この韓国-モンゴル共同調査には例によって各国の研究者が相乗りしており、2008年の調査の際にデイノケイルス(のホロタイプ)の産地——アルタン・ウルⅢを再訪することとなった(この手の産地再訪は化石探しの基本中の基本と言ってよく、歴史的な標本の産出地点を再発見できれば色々と得るものは大きい)。ポーランド隊はしっかり写真を残しており、そんなわけで首尾よく産地の再発見に至った——が、特筆すべき収穫品はタルボサウルスらしき歯型の付いた肋骨の断片くらいであった。

 ホロタイプの産地再訪ではぱっとしなかった韓国隊とゆかいな仲間たちだったが、実のところ2006 年に韓国隊はとんでもない代物をアルタン・ウルⅣで発掘していた。盗掘者にあらかたほじくられた後だったこの骨格MPC-D 100/128(胴椎列の大半と尾の大部分、足を除く後肢はどうにか現場に残されていた)は、未成熟個体であるにもかかわらずガリミムスより明らかに巨大であり、そして謎の“帆”が——伸長した棘突起が中部胴椎から近位尾椎にかけて発達していたのである。挙句、仙椎の作りは反り返り(上半身をもたげるのが基本姿勢だったことを示唆する)、一方で胴椎は強い下方カーブ——ハドロサウルス類のような構造であるらしかった。

 とはいえ、この骨格はどうしようもない代物でもあった。“未知のオルニトミモサウルス類の体骨格”であるらしいことはうかがえたが、頭も前肢も足も文字通り“持っていかれた”後だったのである。取り付く島のなかったこの標本は、それからしばらく埃をかぶることになった。

 

 ツイていたというべきなのか、2009 年に韓国隊とゆかいな仲間たちが遭遇したのはなおも凄惨な現場であった。ブギン・ツァフに横たわっていたのは、頭と手、足を盗掘者にもぎとられた巨大なオルニトミモサウルス類のほぼ完全な骨格——デイノケイルスMPC-D100/127 だったのである。“モンゴル式”の儀式の痕跡からして、2002 年以降に地元民によって盗掘されたことは明らかだった。

 そして大腿骨の特徴がMPC-D 100/128 と一致し、明らかになったのはあまりに残酷な
事実であった。盗掘され(そして間違いなく)マーケットに流れた頭骨と(手と)足を除けば、デイノケイルスの骨学的情報は実質的に全て明らかになったのである。

 2011 年になり、事態は水面下で急変することになった。ゴドフロアから“タレこみ”が
あったのである。曰く、“デイノケイルスの頭骨と手・足”がモンゴルで盗掘された後に「日本の」バイヤー(匿名の扱いではあるが、名前がわからなかったはずはない)に売却され、現在ではヨーロッパのプライベートコレクションに入っているとのことであった。交渉が始まったものの先行きは見えず、従ってユンナムらは首なしの骨格に基づく記載を進めることとした。かくして2013 年のSVP で首なしの骨格図が大々的に発表された——が、最終的にツキはこちらへ回ってきた。タルボサウルスの密輸で逮捕者が出た上に実刑判決を受けたことで、怯えたコレクターの手元から化石が返ってきたのである。問題の化石はMPC-D 100/127 のもぎ取られた部分にぴったり一致し、ここにデイノケイルスの骨学的な情報のほぼ全てが揃ったのだった。

 

 かくしてデイノケイルスのマウントは恐竜博2019 の目玉となったわけだが、結局のとこもろもろの厄介な問題が解決されたわけではない。「日本の」バイヤーはなおも(多少品ぞろえに変化もあったようなのだが)健在のようであるし、どういうわけかデイノケイルスの再記載の著者に名を連ねることになったフランスの有名ディーラーの周りに見え隠れするのは、結局のところ出所の怪しげな代物である。相変わらずモンゴル(だけに留まらないが)での盗掘と密輸出は後を絶たず、そのあたりの“東アジア産”の化石はショーのたびにあちこちの店頭に並び、そして今日も全国の博物館にさりげなく居座っている。究極的に言えば、このあたりの十字架は等しく(等しく、である)本ブログを読むような人間は全員背負っている格好である。

 “二度目”の来日となったデイノケイルスの頭骨は、強膜輪をえぐり出された左の目でアクリル越しに何かを見ていた。

WISの果てに

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↑Skeletal reconstruction of Dryptosaurus aquilunguis (holotype ANSP 9995 and AMNH 2438) and small subadult or large juvenile Tyrannosaurus rex (composite; largely "Jane" BMRP 2002.4.1). Scale bar is 1m.

 

 2020年もすでに3日目である。筆者はといえば微妙にバタバタしている今日この頃ではあるのだが、とりあえず(あまりにも色々ありすぎた昨年ほどではないだろうが)今年も色々やらかす予定ではある。

 さて、本ブログの立ち上げ間もないころ(うっかり看取りそこなったがそういうわけでYahoo!ブログは虚空のかなたへ消えた)をご存じの方は案外少なそうな気もするわけだが、本ブログでは過去それなりにティラノサウルス-ナノティラヌス問題を取り上げてきた。今さらナノティラヌスの独自性をどうこう言うつもりはない筆者ではあるのだが、つい先日“ナノティラヌス段階”にある2標本(一方は日本でもよく見かける“ジェーン”である)の骨組織学的研究が出版されたこともある。いつものごとく、gdgdと書き連ねていきたい。

 

(最初に本題を書いてしまえば、今回の骨組織学的研究は今まで言われていた話の補強でしかなく、結局のところナノティラヌス論者に特別な影響を与えるような内容ではない。ジェーンなりが活発な成長の途上にあったことは一見して明らかであるし、あとは成長の過程でどこまで形態が変化しうるかというだけの話である。ティラノサウルス-ナノティラヌス問題は分類学的な問題というより業者との泥仕合的な側面をがっつり含んでおり、あまりにもあまりにもな話がいくらでも出てくる)

 

 ナノティラヌスについては今さら説明不要ではあるが、要はティラノサウルスと同時代、同所的に(厳密に同じ環境で生活していたかといえばたぶんそうでもない)生息していた中大型獣脚類ということで、ランス期――マーストリヒチアン後期の北米西部の動物相を考える上では割とキモになりそうな存在ではあった。もともとギルモアが(死後に出版された論文にて)ゴルゴサウルス・ランセンシスとして記載したのが本種なわけだが、一方でロジェストヴェンスキーなどは(大量のタルボサウルスの標本の観察を踏まえたうえで)1965年の段階でティラノサウルスの幼体である可能性を指摘していたりもする。ホロタイプCMNH 7541は表面の保存こそ良好であったものの伝説的な変形っぷりを呈しており(ちなみにこの標本を採集したのはD.H.ダンクル――ダンクルオステウスにその名を残す男であった)、この何とも言えない保存状態が現在まで禍根を残すことになったのだった。

 

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Tyrannosaurus rex "Sue" FMNH PR 2081, "Dinotyrannus megagracilis" LACM 23845, and composite "Nanotyrannus lancensis". Scale bar is 1m.

 

 特に深い理由のないままCMNH 7541をゴルゴサウルス属にしたギルモアにせよ、新属を設けたバッカー(とカリー、ウィリアムズ)にせよ、大前提となっていたのはその成長段階――CMNH 7541が成体であるらしいことに基づいていた(一方、カーペンターはナノティラヌス属の命名からさほど間を置かず、これが未成熟である可能性について触れていたりもする)。どっこい、カーによる1999年の研究(とそれに続く2004年の研究)によって、CMNH 7541が未成熟の個体――幼体もいいとこであることが示されたのである。CMNH 7541はティラノサウルスと多数の(ほかの北米産ティラノサウルス類には見られない)特徴を共有しており、ここにナノティラヌスの独自性は風前の灯火となった。

 

わりあい最近になって行われた高精度のCTスキャンによって、ティラノサウルスとナノティラヌスの頭骨における含気孔や脳函の形態差が見いだされた――が、結局は解釈の問題である。)

 

 一方で、2000年代に入ると“ナノティラヌス”と目される保存良好な骨格が複数発見されるようになった。口火を切ったのはBMRP 2002.4.1――“ジェーン”として知られる標本で、脳函と肘から下、尾の後半部を除けばほぼ完全な骨格といえる代物であった。“ジェーン”の頭骨はCMNH 7541のそれと様々な特徴を共有しており(つまるところティラノサウルスの成体とも様々な特徴を共有している)、首から後ろの骨格はティラノサウルスの成体とはプロポーションが著しく異なっていた(ほか、ティラノサウルスの成体とは異なり、やや横向きになった肩関節窩や、腹側後方に強くカーブした腸骨前方ブレードをもっていた)。これは“ナノティラヌス”の独自性を強く示すものとみる向きもあった一方で、明らかに幼体の特徴をもっていた。

 2011年になって発表された“モンタナ闘争化石”――本ブログ立ち上げ初期に散々取り上げた――の片割れは極めて完全な状態の“ナノティラヌス”(“ジェーン”とほぼ同サイズと思われる)であった。前肢にはやたら大きな(ある種ドリプトサウルス的な)手と末節骨がついており、現実問題としてティラノサウルスの成体(例えばスー)や亜成体と思しきもの(これまた本ブログで何度も取り上げてきた“ディノティラヌス”ことLACM 23845)とはサイズの整合性が取れない代物であった。“ナノティラヌス”の手は、全長で倍するティラノサウルスの成体よりも(絶対的に)大きかったのである。

 

(末節骨のサイズ問題については、“ピーティ”ことBMRP 2006.4.4で認識されていたことでもある。これは頭骨を欠いた部分骨格ではあるものの、ひとそろいの前肢の末節骨を含んでいた。リンク先にある“ティラノサウルスの末節骨”は実のところかなりアーティファクトを含んでおり、適切な比較と言えないところではある。)

 

 よく知られた「歯の本数」問題と合わせ、手のサイズ問題はナノティラヌス論者の(実質最後に残された)よりどころとなっている。もっとも、2000年代に入って採集された“ナノティラヌス”の骨格(頭骨を含むものが少なくとも3体、そうでないものも1体はある)のうち、まともな研究機関に所蔵され研究に供されているものは2体――“ジェーン”と“ピーティ”に限られている。本命である“モンタナ闘争化石”の片割れは依然として落札されることもなく、頭部と前肢のキャストだけが流通している(た)だけの状況にあるのだ(キャストは若干数が某業者を通じて日本でも流通していた)。

 手のサイズ問題は(少なくとも標本の数に乏しい現時点では)個体差云々で片付けようと思えば片付けられる話ではある。体サイズだけで成長段階の序列を定めていいかといえばそんなことはなく、ましてや上の“ナノティラヌス”の骨格図は計測値すらまともにない状態で描き起こした代物でもある。

 歯の本数問題の方が厄介そうではある(タルボサウルスの幼齢個体では成体と同じ本数であるし、「成体と同じ本数」をうたうティラノサウルスの幼体らしき化石は複数知られている――が、研究されているのはタルボサウルスに限られている)が、このあたりは(成体と幼体の歯の本数が一緒だからといって)すんなり言い切ることは難しそうでもある。成長に伴い(幼体から亜成体にかけて)吻の伸長が起きることは間違いないし、その後(見かけ上)吻が短くなることも間違いない話なのである。

 

 “モンタナ闘争化石”を見るにつけ、“ナノティラヌス”の前肢はかなりドリプトサウルス的――同時代にはるか東にのさばっていた、同サイズのティラノサウルス類とよく似た格好である。もっとも、ドリプトサウルスほど極端に大きな手と末節骨をもっているわけではないようで、またドリプトサウルスと比べればずっと長い後肢をもっている(ドリプトサウルスの全長は7m少々といったところだが、その割にはややごついようにも思われる)。

 マーストリヒチアン後期といえばいい加減ララミディアとアパラチアが地続きになってきた時期であり(ケラトプス科角竜がアパラチアに侵入しつつあった)、あるいは“ナノティラヌス”もアパラチアへ足跡を記していたかもしれない。“ナノティラヌス”とドリプトサウルスであれば体重で勝るであろう後者のほうが有利そうな気はするのだが、“ナノティラヌスのおとな”が相手なら、ドリプトサウルスに勝ち目はなかっただろう。

 

 

 

美しかったもの

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↑Skeletal reconstruction of cf. Pinacosaurus sp. MPC-D 100/1305. Scale bar is 1m.

 

 サイカニアといえば、「エウオプロケファルスと違って前肢やわき腹にも鎧が存在する」ということで名前を覚えた方も多いのではないだろうか(筆者もそのクチである)。「前肢やわき腹に鎧が存在する」鎧竜の化石は稀であり、従ってこれを化石化の過程によるみせかけと見る向きさえあったわけである。しかし、不穏なタイトルから既にお察しの方も多かろうが、「前肢やわき腹に鎧が存在するサイカニアの全身骨格」は――頭部以外は――サイカニアではなくなってしまった。モンゴル古生物学センターの所蔵するオリジナルがたびたび来日し、また神流町恐竜センターにて見事なキャストが常設展示されている「サイカニアの完全な骨格」は実のところコンポジットであり、そしてサイカニアの要素は頭部――ホロタイプのキャストが据えられていた――に限られていたのである。


 アンドリュース率いるAMNHの遠征隊による調査やソ連によるWWⅡ直後の調査によってゴビ砂漠に広がる上部白亜系では様々なアンキロサウルス科の化石が採集されてきたが、「まともな骨格」――頭骨と首から後ろの要素がほどほどに揃った骨格はなかなか出てこなかった。全身の要素が最もよく残っていた“シルモサウルス・ヴィミニカウドゥスSyrmosaurus viminocaudus”のホロタイプPIN 614でさえ首なしの有様だったのである。

 1960年代になるとポーランド隊がモンゴル入りし、そこで多数の良好な鎧竜化石を得た。アンドリュース隊によって発見・命名されたピナコサウルス・グレンジャーリの実態が(ある程度)明らかになったのはこの時であったし、美しく関節したアンキロサウルス科の上半身――後のサイカニア・フルサネンシスのホロタイプとなる標本MPC-D 100/151もポーランド隊の手によって発掘された。これらの化石は董枝明言うところの「モンゴル―ポーランド娘子軍」の一角を担っていたマリヤンスカによって記載され、そして彼女は鎧竜の権威として名を馳せていくのであった。


 さて、サイカニアのホロタイプはワルシャワのポーランド科学アカデミーにて産状レプリカが展示されたオリジナルは容赦なくクリーニングされた)のだが、三次元的にマウントされることは(モンゴルに返還された今日でも)なかった。一方で、1990年代後半から「サイカニアの全身骨格」として注目を集めるようになったのがMPC-D 100/1305である。
 MPC-D 100/1305の背面にはほとんど鎧が残っていなかったのだが、前肢やわき腹、そして尾には見事な鎧が残されていた。特にわき腹のものは――90年代までクリーニングされていなかったようなのだが――バルスボルドが「北斎の波」に例えたほどの代物である。
 1995年夏の時点でMPC-D 100/1305は中途半端な状態で展示されていた(「完全にクリーニングされた頭蓋と下顎」、皮骨ごと関節したままの前肢、クリーニング半ばのわき腹のブロック、バラした後肢、関節状態の尾が床に並べられていた)のだが、ほどなくしてこれは(展示に回されていなかった残りの頸椎や胴体のブロックともども)マウントされた。ここに「最も完全な鎧竜の骨格」が組み立てられ、世界を巡るようになったのである。


 「サイカニアの全身骨格」がよく知られるようになる一方で、依然としてモンゴル産鎧竜類のまともな骨格はピナコサウルスの幼体しか見つからない状況が続いていた(ピナコサウルス・メフィストケファルスP. mephistocephalusのホロタイプIMM 96BM3/1を筆頭に3m級の骨格が見つからないわけでもなかったのだが、それらの首から後ろの要素は未記載のままである)。こうした中で、カーペンターを筆頭にMPC-D 100/1305の詳細な骨学的研究が行われることになった。
 満を持して2011年に出版されたモノグラフはMPC-D100/1305の骨学的な記載はもちろんのこと、ハンマーの力学的な解析をもおこなった代物であった。ホロタイプとの間にみられる上腕骨の形態差から、性的二形が存在する可能性にまで踏み込んだ、野心的な論文でもある。カーペンターによる(かなり胡散臭い)骨格図まで添えられ、原記載から30年余りでサイカニア・フルサネンシスの実態が明らかになった。――はずだった。


 博士課程でその辺のアンキロサウルス類の化石を片っ端から引っ掻き回していたアルボアはあることに気付いた。カーペンターらのモノグラフでMPC-D 100/1305の産地はサイカニア・フルサネンシスのホロタイプMPC-D 100/151と同じフルサン――バルンゴヨットBaruungoyot層とされていたのだが、所蔵先のモンゴル古生物学センターの記録では、MPC-D 100/1305は1976年のモンゴル―ソ連共同調査によってザミン・コンド――ジャドフタDjadokhta層で採集されたことになっていたのである(採集されてから20年近くに渡って中途半端なクリーニングで放り出されていたということらしい)。
そしてアルボアはとんでもないことに気がついた。MPC-D 100/1305のマウントに据えられていた頭はMPC-D100/151すなわちホロタイプのキャストその人だったのである(写真で見てもクラックの入り方が完全に一致する)。どういうわけかカーペンターらはMPC-D 100/1305の頭骨がまるっきりMPC-D 100/151と同じものであることに気が付かなかったらしい。

 

(そもそもカーペンター本人がMPC-D 100/1305の実物にどの程度アクセスできたのかは割と謎である。実物はどうも日本に来日した隙に(恐らく著者のうち日本人の誰かが)撮影・観察したらしい。モンゴルのこの手の標本はなぜか実物のマウントが(長期に渡って)巡回に回ることが多く(その間キャストが留守番である)、アルボア自身はMPC-D 100/1305の実物を観察することはかなわなかったという。鎧竜に限らず、この手の話を嘆く声はモンゴル絡みの文献でよく目にするものである。)


 カーペンターらがモノグラフで「サイカニアの全身骨格」を記載するにあたり、その同定――サイカニア・フルサネンシスへのよりどころとしたのは頭骨――サイカニア・フルサネンシスのホロタイプMPC-D 100/151その人だった。つまり、MPC-D 100/1305そのものをサイカニア・フルサネンシスと同定する積極的な根拠は何もなかったのである。そしてカーペンターらが記載した通りMPC-D 100/1305の上腕骨の形態はMPC-D 100/151とは大きく異なっており(それ以外にもちょこちょこ形態差があった)、そもそもサイカニアとは別物の可能性が急浮上したのだった。バルンゴヨット層の方がジャドフタ層よりも新しいという話はダメ押しにしかならなかったのである。


 かくしてMPC-D 100/1305がサイカニア・フルサネンシスでないことはほぼ確実になったのだが、いかんせん首なしということで科レベル以上の同定は厄介な案件であった。アンキロサウルス科の鎧の実像を最もよく示している標本のひとつであり、依然として首から後ろはほぼ完全であるにも関わらず、である。MPC-D 100/1305の採集されたザミン・コンドでは他にも林原隊によって複数のアンキロサウルス科の化石が採集されていたが、これらは記載待ちの状況であり、現状で比較することはできなかった。
 そのくらいでへこたれるアルボアではなく、次に目を付けたのがMPC-D 100/1305の鎧の配置パターンであった。アンキロサウルス科の鎧の基本配置パターンはいずれも同じらしいが、それぞれの鎧やトゲのサイズ、形状は属レベルで(ひょっとすると種レベルでも)異なっている。そして、MPC-D 100/1305と酷似した鎧をもつ化石はすでに知られていたのである。
 その化石――持ち帰るあてがなかったのか、未採集で放棄された――は、1993年から始まったAMNHの「レコンキスタ(Gレコはケルベスとリンゴくんがお気に入りの筆者)で、ウハ・トルゴッド――ジャドフタ層にて発見(そして撮影)されたものだった。頭骨とハンマーそして背面の鎧は浸食で失われていたものの、わき腹から尾にかけての側面鎧はしっかりと生前の配置を留めており、MPC-D 100/1305と酷似していたのである。
 ウハ・トルゴッドでは多数の鎧竜の化石が採集されていたが、それらは全てピナコサウルス・グレンジャーリであった。問題の未採集標本の同定は今となってはかなわないが、産地からしてみるとP. グレンジャーリの可能性が高そうであり、そしてそれはMPC-D 100/1305にも言えそうだった。


 そうは言っても、現状でMPC-D 100/1305をピナコサウルス・グレンジャーリと断定することは難しい。P. グレンジャーリとして詳しく記載された標本は幼体といってよいサイズのものばかりで、亜成体サイズのMPC-D 100/1305との比較はそう簡単にはいかないのである(実際問題、MPC-D 100/1305の烏口骨の形態はアラグテグAlagteeg層産のP. グレンジャーリの幼体とは大きく異なっている)。また、今日P. グレンジャーリの亜成体ないし成体とされている“シルモサウルス・ヴィミニカウドゥス”(のホロタイプ)はMPC-D 100/1305よりも明らかに尾が長い(そもそも尾椎がずっと多い)。このあたり、林原がジャドフタ層からかき集めてきた標本が重要な役割を担うことになりそうでもある。
 首なしだったとはいえ、MPC-D 100/1305は依然としてアンキロサウルス科の化石としては最良のもののひとつであり続けている。モンゴル産のものとしては数少ない亜成体サイズのまともな骨格であり(それゆえ同定が難しいという側面もあるが)、ネメグトNemegt層で時おり産出する大型のアンキロサウルス類の断片の研究にもずいぶん役立っているのだ。そして何より、前肢やわき腹の鎧の配置を保存しているのは未だにMPC-D 100/1305ただひとつなのである。
 MPC-D 100/1305が“美しいもの”――サイカニアから切り離されたことで、結局サイカニアの実態は闇の中に再び引き戻されてしまった。しかしMPC-D 100/1305は――赤い砂の海に白く砕けた波は、今日もまだ美しくそこにある。