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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

四角い空;「グレゴリー・ポール 翼竜事典」レビュー

 筆者が原書の第一報を目にしたのは、振り返ってみれば3年ほど前のことであった。どういうわけか発売日はその時点で確定しており(現にその通りだったように思う)、ちょっと眉をひそめた覚えもある。

 そんなわけで原書を購入した筆者であったが、実のところ一通り斜め読みしたきり、ほとんど単なるインテリアとして本棚の最下段に置くにまかせていた。より正確に言えば、前半の「翼竜概説」は(どの程度骨格図が出ているかを確認した程度で)斜め読みさえしていなかったのである。原書の発売前に取り留めもない話をしたためたりもしていた(これは筆者の本の制作が佳境に入っていた時期で、自らを鼓舞しようとした側面も大きい)のだが、つまり――少なくとも斜め読みする限りでは――原書は筆者の期待を裏切ることも上回ることもなかった。その後に発売された海竜フィールドガイドの食味にすべてを上塗りされたふうでさえあったのである。

 

 恐竜フィールドガイドの第二版はかくして邦訳され、日本語で読めるもっとも網羅的な恐竜図鑑としての地位を保っている。であれば、翼竜フィールドガイド――海外でさえ網羅的な書籍は数えるほどしかなく、ウィットンによる教科書がこれを除くと現代的なものとしては唯一であろう――が邦訳されるのは既定路線だったのかもしれない。なによりもまず、現代的な翼竜の、それも非常に網羅的な図鑑が邦訳されたことを喜ぶべきである(ヴェルンホーファーの訳書である平凡社動物大百科 別巻 翼竜』が色あせることはないが、なにしろ原書は1991年の刊で、現代的というよりは近代的という位置付けになる)。そして翻訳について何ら心配をする必要がないのは大変に頼もしい限りである。原書に一人で立ち向かうより格段に“安全”であるのだ。

 そうは言いつつ、筆者は一匹狼気取りである。一人でどうとでも相手はできるとタカをくくり、あげく先述の通り斜め読みすら満足にしていなかった。そうこうしているうちに出版社(&訳者)のご厚意で、前回と同様に邦訳版をいただいてしまったわけである。かくして、筆者はやっとこさ腹を括って『グレゴリー・ポール 翼竜事典』ときちんと向き合うこととした。実際問題として、福井県立大学恐竜学研究所と福井県立恐竜博物館の援護射撃があればこそ、(『グレゴリー・ポール 恐竜事典』と比べればだいぶボリュームは小さいが)本書を相手取ることができるようになった格好である。これは本書を手に取るであろう日本語話者の方には例外なく当てはまるはずだ。

 

 『グレゴリー・ポール 恐竜事典』の出版によって日本国内でポールの復権が起きたと思いたい筆者だが、果たしてそのあたりはどうなのだろう。年若い読者にとっては、(自覚的に)初めて触れるグレゴリー・ポールの復元図がおそらく『グレゴリー・ポール 恐竜事典』であることには違いない(『恐竜図鑑展』でポールの骨格図が事実上まったく扱われていなかったことを思えばなおさらである)。筆者くらいの歳であれば00年代初頭までにポールの描く恐竜の骨格図には確実に触れているはずだが、そうした世代であっても、ポールの描く翼竜の骨格図はほとんど未知の存在である。なにしろ、本書に載っている翼竜の相当な数――ポールの言葉を借りれば“有効な種の約1/3が今世紀に入ってから命名されている”のだ。ウィットンの教科書(繰り返しになるが、邦訳はない)翼竜の分類の現代的な知見をまざまざと見せつけられた筆者だが、あらためてそれを「ポール式」の骨格図で見るのはさすがに壮観である。翼竜の現代的かつ網羅的な日本語の図鑑が本書だけであることを鑑みれば、本書が日本における恐竜マニア(あえてそう言い切ってしまおう)翼竜に対する興味を相当に深化させることは間違いない。であれば、『グレゴリー・ポール 翼竜事典』の出版――The Princeton Field Guide to Pterosaursの邦訳は諸手を上げて歓迎すべきである。相当にやんちゃな著者の本だとしても、だ。

 

 当然のごとく、原書で半分以上を占めていた前半パートの「翼竜概説」は、日本語版たる本書でも同様のウェイトを占めている(本書は単なる翼竜骨格図集ではないのだ)。幸いというべきか、前作『グレゴリー・ポール 恐竜事典』のように訳者による脚注の嵐が吹き荒れることはなく、先行研究のレビューという意味では割合におとなしくまとまっているようだ。翼竜の地上での姿勢の復元について熱弁を奮うあたりは往年の輝きを感じさせるものでもあるが、一方でそれを(「ポール式」の)骨格図で扱うことについてはいささかの自己矛盾をはらんでいるようにも聞こえる。

 前半で抑え気味だったポール節は後半の骨格図パートで爆発する――が、前作と比べてやはり控えめのようにも思われるのは、筆者が翼竜に疎いせいか、翼竜の分類が(特に成長に伴う形態の変化と関連して)いまだ混沌としているせいなのか、それともデイビッド・ピーターズ――ウィットンと並んで翼竜の骨格図ではよく知られてしまっている――の影が脳裏にちらつくからなのだろうか。翼竜の骨格図は同じくポールの手による恐竜の骨格よりも相当に模式的に描かれているものが多いが、これはすなわち参照できる資料の質、つまり化石の保存状態やそれらを詳細に記載した文献の有無に影響されているようだ。骨格図から滲み出すものも含め、本書の抱えている膨大な情報をどこまでモノにできるかは前作と同様やはり読者に委ねられている。「ケツァルコアトルスの未命名種」のように原書の出版直後に記載されたものもあり、本書の先には広大な一次資料の海が広がっているのだ。本書を繰り返し手に取るたび、読者は自らの成長を実感していくはずである。このあたりの付き合い方は、前作について書いた時と何ら変わることはない。

 

 繰り返しになるが、本書『グレゴリー・ポール 翼竜事典』は翼竜の図鑑としてはもっとも網羅的な書籍の邦訳版であり、翼竜に関する現代的な本としてもやはり日本語で読めるものとしては唯一無二である。やんちゃで知られた著者の本とはいえ、本棚に加える理由としてはそれで十二分にすぎるだろう。前作『グレゴリー・ポール 恐竜事典』に福井県立大学恐竜学研究所・福井県立恐竜博物館の訳者たちと共に立ち向かった読者であれば、臆することはないはずだ。訳者の援護射撃の下、本書をモノにできるかは読者次第。今一度、存分に腕を振るう時である。