GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

新しい風

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↑Skeletal reconstruction of Neovenator salerii holotype
(MIWG 6348 and NHMUK 10001).
Scale bar is 1m.

 ネオヴェナトルといえば、筆者(94年生まれ)が子供の頃に出た図鑑で「最近見つかった新種」の代表格だった覚えがある。曲者かつ古参ぞろい(最近新属が設けられたものもそれなりにはあるが、たいがい原記載は19世紀だったりするものが多い)のイギリス産恐竜のなかでは1996年命名と新しく、バリオニクスをしのぐ完全度、正統派のカルノサウルス類の風格もあいまって、早いうちからそれなりの知名度(何)をもっていたわけである。
 そうは言っても、ネオヴェナトルの研究が順風満帆に進んだわけではない。ネオヴェナトルのホロタイプの発見は命名の20年近く前――1978年までさかのぼる。

 ワイト島がイギリスの一大リゾート地であるとともに古くから――バックランドの時代から恐竜化石のよく知られた産地であることは今さら書くまでもないだろう。ワイト島をそのまま形作る下部白亜系ウィールデンWealden層群は、“イグアノドン・マンテリ”(この場合今日のマンテリサウルス・アザーフィールデンシスを指す)のかなり完全な骨格を始め、グレートブリテン島のそれよりも良好な化石をよく産出することでも知られていた。
 1978年のある夏の日(前夜は嵐だった)、バカンスに来ていた一家が海辺の崖とその真下の浜からいくつかの化石がのぞいているのに気が付いた。一家はその辺の農家からスコップやらを借りて泥縄式の発掘を始め、浜辺に埋もれていた化石――崖から洗い出されたもの――を掘り起こしたのである。それからの数週間、近辺の地質調査をしていた学生によって浜辺に埋もれていた化石がさらに掘り出されたのであった。

 結局これらの化石――明らかに崖から洗い出されて浜辺に再堆積したものだった――のほぼ全てが大英自然史博物館へ渡り、そしてそこでチャリグの面通しを受けることになった。チャリグはそれらに2つの恐竜――鳥脚類(マンテリサウルスだった)と獣脚類が混在していることを見抜いたが、きゃしゃ型のイグアノドン類はワイト島では珍しいものではなかったし、獣脚類にしてもあまりに断片的であった。いくらかの椎骨と砕けた腰帯だけだったのである。
 80年代前半にクリーニングされたこれらの化石は大英自然史博物館のナンバーを与えられたのち、一部を残して1987年にワイト島地質博物館へと移管された。そしてこれに先んずること数年、ワイト島地質博物館はマンテリサウルス目当てに問題の崖の本格的な発掘――“残り”がそこにあるのは確実だった――を再訪していたのである。

 この80年代半ばの調査の結果は意外なものとなった。マンテリサウルスの部分骨格が期待通り産出した一方で、その隣から獣脚類のまとまった骨格が姿を現したのである。アマチュア化石採集家を動員した調査やその後の派手ながけ崩れやらでこのサイトからはさらに獣脚類の要素が採集され、いつしかこの獣脚類――ワイト島地質博物館に移管されず大英博物館にそのまま残った要素も含め、全て同じ個体に属すると考えられた――は、中大型獣脚類としてはイギリスはおろかヨーロッパ全体を見渡しても最良クラスの骨格のひとつとなっていた。
 かくして、最初の発見から10年を経て、この獣脚類の研究がようやく本格的に始まることとなった。妙に大きな外鼻孔をもっていたことや要素の誤同定(座骨のブーツを恥骨のブーツと誤認した)もあり当初この獣脚類はメガロサウルス類と考えられたが(90年代に突入していたこの時期でさえまだメガロサウルス類の実態は不明確でもあった)、結局ヨーロッパ初の確実なアロサウルス上科との触れ込みで1996年にネオヴェナトル・サレリイNeovenator salerii命名されたのであった。

(原記載の出版された翌年になって、またしても砂浜からホロタイプと同一個体に属する尾椎が発見された。1998年のクリスマスには後肢が新たに発見され、そして2001年に趾骨が砂浜で採集されたのを最後に、ようやくネオヴェナトルのホロタイプの要素は「枯渇」した。とはいえ、砂浜のどこかにまだちょっとした残りが埋もれている可能性は十二分にある。)

 頭骨後半部と前肢をそっくり欠いていたとはいえ、(波に洗われすぎて訳の分からなくなったいくつかの要素を除けば)保存状態は抜群によく、完全度にしてもバリオニクスを遥かに凌ぐものであった。復元骨格を制作しない理由はなく、ホロタイプはそのままワイト島地質博物館の目玉として組み上げられた。
 こうしてワイト島の顔におさまった一方で、ネオヴェナトルの研究は必ずしも積極的に出版されたわけではなかった。原記載はかなり簡潔な記載に留まっており、その後詳細な研究がハットの修士論文としてまとめられたものの、(獣脚類屋の間では広く出回ったとはいえ)これが出版されることはなかったのである。
 とはいえこうした状況を放置しておくわけにもいかず(何といってもヨーロッパの中大型獣脚類としては抜群の完全度・保存状態であったし、白亜紀前期のものとしても非常に重要な存在であった)、隙を見てマウントはいったん解体された。ハットの修論以来10年で劇的に進んだ獣脚類の研究を踏まえ、2008年に待望のネオヴェナトルのモノグラフが出版されたのだった(そしてモノグラフの出版はネオヴェナトルに関連する研究を加速させ、病変やら顔面まわりの神経系やら、生態に絡む複数の研究が出版されるに至った)。

 ホロタイプの欠損部位(たとえば恥骨)は参照標本(ホロタイプの産地のすぐそばで発見され、一時ホロタイプとは異なる種の可能性を示唆されていたもの)である程度補完され、そして系統解析の結果(アロサウルス上科であることに変わりはないが)、ネオヴェナトルはこれまでよりも派生的な位置――カルカロドントサウルス科の姉妹群となった。
 ネオヴェナトルのホロタイプのサイズはその辺のアロサウルスと同じくらいなのだが、実のところこれは亜成体である(神経弓と椎体はそれなりにしっかり関節しているようだが縫合線は明確に残っており、また仙椎の癒合も進んでいなさそうな気配がある)。ネオヴェナトルの産出したウィールデンWealden層群ウェセックスWessex層上部(の下部:白亜紀前期バレミアン;ざっくり1億2940万~1億2500万年前のいつか)では先述のマンテリサウルスの他にイグアノドン属(おおかたI.ベルニサーレンシスだろう)と思しき化石が知られており、このあたりを相手取るにはやはり10mくらいのサイズは欲しいところである(ウェセックス層では9m超級とおぼしき獣脚類の単離した趾骨が知られていたりもするのだが、これがネオヴェナトルのものかどうかは現状はっきりしない)。

 ヨーロッパ産中大型獣脚類としての完全度ランキング1位の座はコンカヴェナトルの発見で奪われた格好になったが、しかしネオヴェナトルの重要性は微塵も揺るがない。白亜紀前期~“中期”にかけてローラシアゴンドワナ双方の頂点捕食者として君臨したカルカロドントサウルス類と、ジュラ紀後期に北米とヨーロッパで「ぽっと出で」栄えたアロサウルスとをつなぐポジションにおかれたネオヴェナトルと、そのお株を奪う形となったコンカヴェナトルの存在は、カルカロドントサウルス類の初期進化がヨーロッパ(というよりはこれに北アフリカを加え、テチス海沿岸域としてもよいのかもしれないが)で起こった可能性を示唆している。
 ネオヴェナトル――新しい狩人、と名付けられたそれは、しかしその実ジュラ紀後期の獣脚類の正統後継者に過ぎないものであった。ネオヴェナトルの類縁はその後軽く3000万年に渡って頂点捕食者として君臨することになるのだが、その次に頂点捕食者となった系統――ティラノサウルス上科のエオティラヌスもまた、“新しい狩人”と共にそこにいたのである。