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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ストークスの影

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↑Skeletal reconstruction of Juratyrant langhami holotype OUMNH J.3311-1~30. Scale bar is 1m.

 

 ティラノサウルス類の確実な化石記録が白亜紀に限定されていた時代はもはや遠く、ジュラ紀の様々なティラノサウルス類が報告されるようになって久しい。ジュラ紀ティラノサウルス類といえばプロケラトサウルス類が比較的よく知られているのだが、一方でこうした「傍系」ではない、よりティラノサウルス類の「本流」――ティラノサウルス科につながっていく系統も上部ジュラ系から知られている。いわゆるストケソサウルス類――ほぼ下半身に限定された化石たちがそれである。

 

 アメリカの上部ジュラ系陸成層の代表であるモリソン層は、19世紀の後半から数々の名産地を輩出してきた。中でも1927年に発見されたユタ州の大規模ボーンベッド――のちにクリーヴランド=ロイド恐竜クオリーとして知られる産地では、おびただしい数のアロサウルスの亜成体、幼体が産出したのである。

 クリーヴランド=ロイドの大規模発掘は、ストークス率いるプリンストン大学のチームによって1939年に開始された。3シーズンでアロサウルスのコンポジットマウントを組み上げるに十分な量の骨格が集まり、まだいくらでも化石が産出する気配があった――が、太平洋戦争の勃発で調査は中断となった。

 戦争が終わってもしばらく調査は再開されなかったのだが、1960年にストークスの助手としてユタ大学のジェームズ・マドセンが加わり、大規模発掘は再開された。途方もない量のアロサウルスが採集され、調査チームは「ユタ大学共同恐竜プロジェクト」――今日の恐竜化石ビジネスの原型――を立ち上げることとなった。調査資金の提供と引き換えに、ここで採集された標本やそのキャスト――今日まで続く「尻尾の長いアロサウルス」を決定付けたもの――が世界中に広がっていったのである。ここで組み上げられたコンポジットのひとつは1964年に日本へ渡り、今日もなお国立科学博物館にたたずんでいる。

 

 クリーヴランド=ロイドではわずかながら竜脚類カンプトサウルス、ステゴサウルスが産出したものの、ほとんどは獣脚類――それも大半がアロサウルスであった。とはいえいくらかは別の獣脚類も紛れ込んでおり、その中にはそれまでモリソン層では知られていなかった新種が複数含まれていたのである。

 1974年になり、マドセンはここで産出した獣脚類のうち、2組の腸骨を新属新種――ストケソサウルス・クリーヴランディStokesosaurus clevelandiとして記載した。全長4mに満たない中小型恐竜ではあったのだが、それらの腸骨はティラノサウルス科のものと酷似していたのである。究極的には新しい科が必要となるであろうことを注記しつつも、マドセンは暫定的に(しかしわりあいに確信をもって)ストケソサウルスをティラノサウルス科に置いたのだった。

 

(マドセンはこの時、クリーヴランド=ロイドで産出した前上顎骨の断片を暫定的にストケソサウルスとして記載した。この標本UUVP 2999はタニコラグレウスのパラタイプとなったのち、ケラトサウルス類の可能性を指摘されて今日に至っている。)

 

 ストケソサウルスらしい化石はその後も時折モリソン層で発見された――が、いかんせんストケソサウルスの標本はホロタイプ、パラタイプともに単離した腸骨だけであり、部位の重複しない標本との比較は当然不可能であった。分類不詳のモリソン層産獣脚類のゴミ箱へと(当然のごとく)転落していく一方で、21世紀に入るとアヴィアティラニAviatyrannis、ディロン、グアンロンと・白亜紀前期そしてジュラ紀後期のティラノサウルス類が続々と記載されるようになっていった。

 ストケソサウルスがティラノサウルス類に属するらしいことを疑う研究者はいなかったのだが、とはいえ相対的にストケソサウルスの重要性は低下していった。が、2008年になって、イギリスからストケソサウルス属の新種――ストケソサウルス・ランガミが記載されたのである。

 

 この標本OUMNH J.3311-1~30(骨それぞれにナンバーが振られている)は1984年にキンメリッジ粘土Kimmeridge Clay層――海成層――から産出したものであった。1990年代には新属新種として記載する向きさえあったらしいのだが、表舞台に出てくるのにずいぶんかかったかっこうである。

 化石の大半は派手に変形してはいたのだが、それでもほぼ完全な腰帯と大腿骨、脛骨、そして各部位を代表する椎骨は残っていた。ティラノサウルス上科内での系統的な位置付けは定まらなかった(多分岐になってしまった)が、グアンロンに続くジュラ紀のまごうことなき、しかも中型サイズのティラノサウルス類の部分骨格が明らかになったのである。

 

(キンメリッジ粘土というからには当然キンメリッジアンの語源ではあるのだが、OUMNH J.3311の産出層準はチトニアン下部であった。キンメリッジ粘土ではダケントルルスやカムナリアも知られているが、これらはキンメリッジアンの産である。)

 

 その後の数年で原始的なティラノサウルス類に関する研究は加速度的に進み、ストケソサウルス・クリーヴランディとストケソサウルス・ランガミを特別に――同属として結びつける理由が特になかったことが明らかになった。同時代の動物であり、古地理を考えても特別離れているわけでもなかった(北米とヨーロッパとで恐竜相の属どころか種さえ共通するものがいるかもしれないレベルである)が、とはいえ両者に共通する腸骨の特徴は、原始的なティラノサウルス類で一般的にみられる特徴でしかなかったのである。

 かくしてストケソサウルス・ランガミ改めジュラティラント・ランガミの誕生となったわけであるが、その後の系統解析でも相変わらずストケソサウルスと近しいポジションに置かれ続けている。同じくイギリス産であるエオティラヌスとももっぱら近しい位置に置かれているが、これらのディロン―シオングアンロンの中間に置かれているヨーロッパの基盤的ティラノサウルス類が単系統をなすのかどうかははっきりしないままである。

 

 ストケソサウルスとジュラティラントは、ジュラ紀後期にはすでにプロケラトサウルス類とは別系統の(究極的には白亜紀の末までつながる)ティラノサウルス類が存在していたことを示している。ストケソサウルスはさておきジュラティラントは全長5mを優に超えており、(おそらくは様々な系統の)ティラノサウルス類が長らく中型獣脚類として生態系に居座っていたことを示しているのである。

 ジュラティラントにせよエオティラヌスにせよ、非プロケラトサウルス類の大枝に属するのは違いないとはいえ、後の進化型――アークトメタターサルを備える明らかな単系統との関係は定かではない。頂点捕食者としてティラノサウルス類がアロサウルス類(や謎めいたチランタイサウルスのような系統)にとって代わったのは間違いないが、ティラノサウルス類の中でも様々な系統の激しい移り変わりがあったのも間違いないのである。