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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

けものとりとかげ

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↑Skeletal reconstruction of Heterodontosaurus tucki SAM-PK-K1332.
Scale bar is 1m.

 ヘテロドントサウルスといえば、筆者の世代(90年代前半生まれ)にとっては昔から図鑑で見慣れた恐竜である―――が、実のところ最初の発見は1960年代と、比較的歴史は浅い。このところ獣脚類と鳥盤類の類縁性について見直しがなされつつあることもあって注目を集めている(気がする)のだが、ヘテロドントサウルスは発見当初から常に注目を集めてきた恐竜だったりもする。そういうわけで、例によってお付き合い願いたい。

 南アフリカといえばペルム紀からジュラ紀前期まで豊富な陸上脊椎動物の化石を産出し、古生代後期から中生代まで激動の時代を保存している。この地で産出する恐竜については古くは19世紀中ごろから研究が進められており、その時代の古さから注目を集めていた。
 さて、南アフリカはストームバーグStormberg層群のうち、特に上部エリオットUpper Elliott層では、恐竜に混じって奇妙な肉食性と思しき獣弓類の化石が産出することが知られていた。1924年にホートンによって記載されたこの化石は下顎の断片であり、2タイプの歯―――長い1本の牙とそれに続く臼歯めいた多数の歯をもっていた。ホートンはこれをリコリヌス・アングスティデンスLycorhinus angustidens命名したが、これはいかんせん断片であり、あまり突っ込んだ議論はできそうもなかった。
 リコリヌスの命名に先立つ1911年には、エリオット層の上位にあたるクラレンスClarens層から産出した下顎の断片(部分的な上顎骨および左右の歯骨とそれに関節した前歯骨)が、ブルームによってゲラノサウルス・アタヴスGeranosaurus atavus命名されていた。ブルームは前歯骨の存在からゲラノサウルスを(最古の)鳥盤類であると考え、また歯骨の先端近くに牙(第1歯骨歯)をもっていることを報告した。―――が、いかんせん断片的であり、状態も良くなかったことからこの恐竜の存在は忘れ去られることになった。

 1962年になって、これらの(忘れられた)化石の位置づけは急展開を迎えることになった。1961年から62年にかけて南アフリカレソトで行われた調査によって、上部エリオット層から小型鳥盤類のほぼ完全な頭骨(と部分骨格が発見されたという話だったのだが、首から後ろの要素については行方不明というか、そもそも存在したのかも怪しいようだ)が発見されたのである。ほぼ完全な頭骨というだけで大事だったのだが、その形態がさらに問題だった。吻部―――前上顎骨と歯骨に、「肉食性のような」牙が生えていたのである。この特徴は、ゲラノサウルスやリコリヌスと酷似していた。
 凄まじく硬い赤鉄鉱骨の薄層が表面にこびりついていたためクリーニングは難航した(ダイヤモンドカッターまで動員する羽目になり、化石のあちこちに切り傷を付ける結果となった)―――が、事の重大性を顧みて、吻部のクリーニングが終わった段階でこの恐竜は(暫定的に)記載されることとなった。当時知られていた鳥盤類としては最も古く(60年代当時ストームバーグ層群の時代は三畳紀後期であると考えられていた点にも注意)、そして(依然としてクリーニングは終わっていないものの)ゲラノサウルスやリコリヌスとは比べ物にならないレベルで完全な頭骨だったのである。
 かくして、1962年にこの頭骨はヘテロドントサウルス・タッキHeterodontosaurus tucki(「異なる歯をもつトカゲ」を意味する属名は、その特徴を見事に表している)として記載されたのだった。

 ヘテロドントサウルスの命名を皮切りに、リコリヌスやアブリクトサウルスといった類縁種の再記載や命名が続いた。そしてローマ―によってヘテロドントサウルス科が設立された1966年の暮れ、ヘテロドントサウルスのほぼ完全な骨格SAM-PK-K1332が発見されたのである。
 SAM-PK-K1332は(尾のダメージを除けば)極めて完全な骨格であり、指先まで美しく関節した状態であった(しばしば見事な産状化石の例として取り上げられる)。左右に押しつぶされかけていたとはいえ頭骨の完全度もホロタイプを凌いでおり、ほとんど非の打ちどころのない骨格―――しかも鳥盤類の中でも最古級の―――といえた。
 例によってSAM-PK-K1332のクリーニングは難航し、1976年になるまでまともに記載できなかった(原記載に引き続いてネイチャーに掲載されているあたり、当時のインパクトが伝わってくる。詳細な体骨格の記載は1980年になって出版された)。が、それに先立つ1974年、新進気鋭の研究者であったバッカーとガルトンは、ヘテロドントサウルスの手骨格に目を向けることになった。

 いわゆる恐竜ルネサンスの真っただ中にあった1970年代当時、恐竜の単一起源性については疑問視する向きが多く、竜盤類と鳥盤類は槽歯類(懐かしい響きである)からそれぞれ独立して生じたものというのが一般的な見方だった。一方で、バッカーとガルトンはヘテロドントサウルスの手の構造(獣脚類や“古竜脚類”にみられる、「ねじれた親指」をもっている)に着目し、竜盤類と鳥盤類が「恐竜類」として自然分類群をなす可能性について(19世紀の定説を蒸し返す形―――まさしくルネサンス―――で)指摘したのである(言うまでもないが、このあたりの事情については恐竜異説に詳しい)。
 
 そんなこんなでヘテロドントサウルスの体骨格が記載されるようになり、その奇妙な特徴が明らかになった。妙に獣脚類的で長い前肢とかぎ爪の付いた大きな手(妙に発達していたため四足歩行の可能性も示唆された)をもち、また(胴体にこそ存在するものの)尾には骨化健が発達しないらしかった。座骨の閉鎖孔突起を欠いた腰帯は原始的な角竜(例えばプシッタコサウルス)とよく似ており、また頬骨には角竜や堅頭竜類のような「頬こぶ」があった。また、妙なことに脛骨-距骨-腓骨-踵骨や、中足骨と足根骨が癒合しているという特徴もみられたのである。
 そういうわけでヘテロドントサウルス科の位置づけはすんなり決まるはずもなかったが、どうも鳥脚類というわけではないらしかった。周飾頭類と結び付ける意見も90年代に入って立ち上るようになり、インロンの原記載に至って周飾頭類の姉妹群とさえみなされるようになった。

 とはいえ、近年の系統解析ではもっぱらヘテロドントサウルス科は(バッカーやガルトンが考えたように)鳥盤類のごく基盤的なグループ―――角脚類と装盾類の登場以前に分岐したものとみなされるようになって久しくなった(この意見はノーマンらによる詳細な頭骨の記載(50年近く待ち望まれたものであった)でも支持された)。そうした中、いわゆるオルニトスケリダ仮説において、ヘテロドントサウルスの持つ数々の「獣脚類的な特徴」が、収斂ではなく正真正銘獣脚類と結び付けられる特徴であると解釈されたのである。
 上部エリオット層の時代が三畳紀後期ではなくジュラ紀前期(ヘッタンギアン~シネムーリアン;ざっと2億~1億9000万年前)に修正された現在でも、依然としてヘテロドントサウルスは骨格のよく知られた鳥脚類としては最古のものとなっており、その重要性は命名当初から50年間全く変わっていない。最近でもセレノ(2012年)ガルトン(2014年)などによって精力的に研究が行われており、顎の構造や歯の生え変わり、頭部の筋肉復元まで様々な方面からも研究が続けられている。
 近縁のティアニュロンにおける原羽毛の発見から新たな骨格の発見まで、ヘテロドントサウルスを取り巻く話題は尽きることがなく、まだまだ今後も目が離せない恐竜である。