GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

黒い河に白く

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↑Skeletal reconstruction of Olorotitan arharensis.
Based on holotype AEHM 2/845.
Scale bar is 1m.

 あけましておめでとうございます。今年もGET AWAY TRIKE !(海外ではGATで通じるとかなんとか)をよろしくお願いいたします。というわけで(早い)新年一発目はオロロティタンをば。

 アムール川/黒竜江周辺に上部白亜系が分布していること(および恐竜化石が産出すること)は、マンチュロサウルスの発見によって20世紀前半にはよく知られた(語弊)事実となっていた。しかし、南岸の嘉蔭クオリー(竜骨山)は帝政ロシアによる発掘以来1970年代まで訪れる者はなく、実質的に忘れられた化石産地となっていたわけである。
 忘れられた産地となったアムール川/黒竜江南岸とは対照的に、北岸のブラゴベシチェンスクでは1948年に恐竜化石が発見された。ブラゴベシチェンスクのサイトからはハドロサウルス類や獣脚類の化石が発見された―――のだが、研究にあたったロジェストヴェンスキーは、これらの化石はアムール川の侵食によって洗い出されて第四系の中に再堆積したもの―――学術的な価値はさほどない、と判断した。かくして、ブラゴベシチェンスクの化石産地は1970年代まで顧みられることはなかった。

 1972年にブラゴベシチェンスクの化石産地は再発見され、1980年代に入ると大規模な発掘が行われるようになった(そして化石産出層が上部白亜系であることが明白になった)。ブラゴベシチェンスクの化石産地は比較的大規模なボーンベッドをなしており、1990年までに数百個の化石(その9割以上がアムーロサウルスであり、ほかにケルベロサウルスの骨格、獣脚類やティタノサウルス類の歯、カメが産出している)が採集されたのであった(2005年~2006年にクオリーを拡張して追加調査が行われ、こちらも成功をおさめた)。
 この発掘の成功に刺激され、アムール川北岸で恐竜化石の探索が活発化すると、1990年にはクンドゥル付近を通る高速道路の切通で恐竜化石が発見された。本格的な調査は1999年にようやく始まったが、そこにあったのは関節のつながったほぼ完全なランベオサウルス類の骨格―――北米以外で産出した最も完全なランベオサウルス類の化石であった。

 この骨格AEHM 2/845は腰から尾の椎骨(や腰帯、血道弓)が完全に関節していた(特に尾は先端まで完全に保存されていた)。一方で前半身や四肢はややばらけた状態であり、頭骨に至っては(かなり潰れていたものの三次元的に)関節しているにもかかわらず上顎骨(やクレストの一部)だけがすっぽ抜けているという妙な状態で発見された(少なからず獣脚類に食い荒らされたのは確からしい)。
 発掘が終わったのは2001年になってからだった―――が、掘り方がまずかったのか何なのか、発掘中に血道弓はほぼすべて木っ端微塵になってしまった。腰帯や尾椎もダメージを受ける(第1尾椎もうっかり粉砕された)というしょっぱい状況ではあったが、どうにか化石(ほかに獣脚類やノドサウルス類、クンドゥロサウルス―――恐らくケルベロサウルスのシノニム―――、多丘歯類も発見された)はブラゴベシチェンスクのアムール自然史博物館へと運ばれたのだった。

 AEHM 2/845は2003年になって新属新種オロロティタン・アルハレンシス(属名が「巨大な白鳥」を意味することはいまさら言うまでもないだろう)のホロタイプとして記載された。オロロティタンの頭骨の「斧状の」クレスト(厳密な形態は実のところはっきりしないのだが、斧の刃のような形態だったのは間違いない)は新属新種とみなすのに十分な特徴だったが、それに加えてやたら多い頸椎(ランベオサウルス類の頸椎は一般に13~15個だが、オロロティタンの場合18個もあった)や相対的に長い肩甲骨といった妙な特徴を備えていた。さらに、15個もの椎骨からなる癒合仙椎(一般にハドロサウルス類の癒合仙椎は8~10個の椎骨からなる)や、棘突起同士が関節する尾椎といった特徴も確認されたのである。

 オロロティタンの原記載はかなり簡潔なものであった(頭骨の復元図も色々な意味で問題があった)。復元骨格は2バージョン(どちらも模式標本に基づいている)制作されたものの、その後数年にわたって記載なしの状況が続いたのである。
 とはいえ2012年になって再記載され、オロロティタンの骨学的な情報の詳細が明らかになった。模式標本AEHM 2/845よりやや小さい部分骨格(腰回りのみ)AEHM 2/846もオロロティタンの追加標本として記載され、模式標本のやたら多い(癒合)仙椎は単なる加齢の結果であること、尾椎の棘突起同士の関節も病変ないし加齢の結果であるらしいことが確認された。
 一方で、模式標本AEHM 2/845はかなりの老齢個体(何しろ胴椎や尾椎が仙椎に取り込まれているわけである)であるにも関わらず、真正のハドロサウルス類としては妙に華奢な体形であることも確認された。脛骨はハドロサウルス類にしてはやたら長く(距骨まで含めれば大腿骨よりも長い)、軽快な体形に加えて長い首をもつ、異形のハドロサウルス類であることが明白になったのである。

 原記載以来もっぱらオロロティタンはコリトサウルス族とみなされている(より基盤的なランベオサウルス類とみなす意見もあるにはある)が、その詳細な系統的位置づけには議論がある。一方で、明らかに増えた(胴椎を取り込んだわけではない)頸椎や華奢な体形など、祖先から著しく特殊化しているのは間違いない。依然としてオロロティタンの骨格は不完全であり(クレストは絶妙に破損しており、保存状態の悪さのためかCTでさえ内部構造を観察できないありさまだった)、このあたりの議論にはより優れた標本(特に頭骨要素)が不可欠である。
 クンドゥルの化石産地やブラゴベシチェンスクのボーンベッド(前者よりもやや新しい時代らしい)はウドゥルチュカンUdurchukan層(読み方に著しい不安があるがどうなんでしょ)にあたり、詳細な時代については議論があるものの、おおよそマーストリヒチアンの中ごろ(カロノサウルスの産出した渔亮子層と同時代)にあたると考えられている。北米ではランベオサウルス類がほぼ姿を消していたこの時代、東アジアに広がる湿潤な大地では多様なハドロサウルス類が暮らしていたのである。