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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ネメグトの王たち【ブログ2周年記念記事】

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↑Tyrannosauroids of Nemegt formation.


 おかげさまでブログ開設2周年である。相変わらず白亜紀前期以前のネタに乏しい本ブログであるが、筆者の本業が白亜紀後期なので仕方のないところである(殴 
 記念記事のネタを募集する余裕もなかった筆者(夏は実際色々あったのだ)なのだが、今回はタルボサウルスをはじめとするネメグト層のティラノサウルス類について書きたい。以前からちまちま資料を集めてはいたものの、なかなか記事を書けずにいた連中でもある。

 モンゴルで輝かしい成果をおさめたアメリカ隊の遠征―――言うまでもなくアンドリュースが隊長である―――だったが、モンゴルの政情不安やらなんやらで、1920年代の後半には遠征を取りやめなければならない事態に陥っていた。1927年から1931年にかけて行われた中国―スウェーデン隊の調査ののち、モンゴルにおける大規模な脊椎動物化石の調査は1946年に始まるソ連隊の遠征を待たねばならなかったのである。
 冷戦の勃発によって西側諸国がゴビへと入ることはできなくなったが、ここで調査隊を送り込んだのがソ連である。1946年から3シーズンに渡って大規模な調査隊をゴビ砂漠へと送り込み、アンドリュース隊の発見できなかった一大産地―――ネメグト盆地を発見したのだった。

 ネメグト盆地では重要な恐竜化石の産地がいくつも確認され、そこかしこからティラノサウルス類の化石が産出した。1946年の調査(主に産地探しが目的だった)で巨大なティラノサウルス類の部分頭骨と骨格の一部が採集され、続く2シーズンで複数のほぼ完全なティラノサウルス類の骨格が採集された。終わってみれば、3シーズンで7体ものティラノサウルス類がモスクワの科学アカデミー送りとなっていたのである。
 調査隊付きの古生物学者であったマレーエフは、調査が終わるとさっそく採集された恐竜化石の研究に取り組んだ。かくして1955年、マレーエフはネメグト層(マーストリヒチアン前期;7000万年前ごろ)から産出したティラノサウルス類4種を記載・命名した。
 初年度に発見された巨大な頭骨と部分骨格PIN 551-1にはティラノサウルス・バタールTyrannosaurus bataar、それよりやや小さいPIN 552-1にはタルボサウルス・エフレモヴィTarbosaurus eflemovi、北米のゴルゴサウルス・リブラトゥスと同じくらいのサイズだったPIN 553-1にはゴルゴサウルス・ランキナトルGorgosaurus lancinator、そして小さなPIN 552-2にはゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィG. novojiloviの名が与えられた。
 明らかにマレーエフは北米のティラノサウルス科を念頭に置いて命名しており、ティラノサウルスよりは小さいがゴルゴサウルスにしては大きすぎるティラノサウルス類について、タルボサウルス属を設立したようである。ネメグト層産のティラノサウルス類を3属4種とするマレーエフの説に対しては、ソ連隊の調査で一緒だった若手のロジェストヴェンスキーが疑問をなげかけている。ロジェストヴェンスキーはこれらがすべて同じ種の成長段階の例に過ぎないと考え、1965年、ここにタルボサウルス・バタールの名が生まれたのだった。

 ネメグト層産ティラノサウルス類の分類で揉める一方、ゴビでは新たにポーランド―モンゴル隊やソ連―モンゴル隊による調査が行われるようになっていた。ポーランド―モンゴル隊は、ネメグトでソ連隊の発見できなかった多数の新種を発見し、ワルシャワへと送った。またソ連―モンゴル隊もネメグトで優れた化石を多数発見した。
 これらの中にはほぼ完全なタルボサウルスの大型幼体(ZPAL MgD-I/3)や、奇怪な頭骨と体部の破片――PIN 3141/1が含まれていた。PIN 3141/1は1976年になってロジェストヴェンスキーの愛弟子であったクルザノフによりアリオラムス・レモトゥスAlioramus remotusとして命名された。また、ポーランド―モンゴル隊は謎の「コエルルス類」を発見し、だいぶ後になって(1996年)バガラアタン・オストロミBagaraatan ostromiとして記載している。

 ロジェストヴェンスキーによるネメグト産ティラノサウルス類の分類―――マレーエフの命名した3属4種をタルボサウルス・バタール1種に統一するもの―――は広く受け入れられた。が、80年代の末になるとここに異議を唱える者が現れた。なんとなくピンときた方もいるだろう。G.ポールの出番である。
 ポールは改めてPIN 551-1とティラノサウルス・レックスが酷似していることに着目した。ネメグト層の年代がいまいちはっきりしないことも相まって、一連のネメグト産ティラノサウルス類とティラノサウルス・レックスが年代的に区別できない可能性についても触れている。かくして一連のマレーエフの種をひとまとめにするロジェストヴェンスキーの意見を踏まえつつ、ポールは属をティラノサウルスに差し戻した。
 一方でカーペンターはゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィを新属マレエヴォサウルスとした。それ以外の種についてはポールと同様、ティラノサウルス・バタールにまとめている。

 こうして、ネメグト産のティラノサウルス類はティラノサウルス(ないしタルボサウルス)・バタールとマレエヴォサウルス・ノヴォジロヴィ、そしてアリオラムス・レモトゥスの3種に落ち着いたはずだった。が、(すでにお察しの方も多いだろうが)ここで現れたのがオルシェフスキーであった。
 オルシェフスキーが注目したのはネメグト産ティラノサウルス類のサイズであった。ポールやカーペンター言うところのティラノサウルス・バタールには、やけに「亜成体」サイズのものが多かったのである。もっと突っ込んでいうと、T.バタールの模式標本PIN 551-1を除くほとんどの標本が全長10m程度の「亜成体」だった。そこで「亜成体」をうまく分類すべくタルボサウルス・エフレモヴィを復活させると同時に、オルシェフスキーはT.バタールとT.レックスとの類似が収斂の結果であるとみなした。かくして彼はT.バタールをジンギスカン・バタールJenghizkhan bataarとして命名し直したのだった。

 かくして再び混沌の渦にのみこまれたネメグトのティラノサウルス類だった(アリオラムスはこの時点では平然と独立を保っていた)が、カーによる北米産ティラノサウルス類の成長に伴う形態変化の研究(1999年)の結果、あっけなくマレエヴォサウルスもジンギスカンも消滅してしまった。残る問題は、ティラノサウルス属にまとめるかタルボサウルス属として独立させるかだった。
 ここで脚光を浴びたのが、ポーランド―モンゴル隊によって採集されながら長らくほったらかされていたZPAL MgD-I/4である。これにはよく保存されたほぼ完全な頭骨が含まれており、詳細な記載にはもってこいだったのである。ふたを開けてみればティラノサウルス・レックスとの間にいくつかの重要な違い(パッと見で分かるのは涙骨と鼻骨の縫合線くらいである)が認められ、タルボサウルス属の有効性が再確認されたのだった。
(一方で、一部の研究者は未だにティラノサウルス・バタールの名を用いていたりもする。実際問題かなり近縁なのは確かである。)

 ティラノサウルス類の成長にともなう形態変化が徐々に明らかになるにつれ、アリオラムス・レモトゥスの有効性に黄信号が灯るようになった。アリオラムスの細長い吻は、ティラノサウルス類の幼体によく見られる特徴でもあったのである。もっとも、アリオラムス属の新種であるアリオラムス・アルタイA. altaiやタルボサウルスの小型幼体の発見、アリオラムス属と近縁であるチエンジョウサウルスの発見によってアリオラムス属の有効性は確かなものとなっている(A.アルタイがA.レモトゥスのシノニムである可能性は残っているが)。
 「コエルルス類」とされたのち分類不明の獣脚類として記載され、その後も分類で揉めまくったバガラアタンだが、最近では基盤的なティラノサウロイドと考えられるようになった。つまり、7000万年前頃のネメグトには4種もの(広義の)ティラノサウルス類がのさばっていたことになる。

 タルボサウルスが竜脚類やハドロサウルス類、デイノケイルスやテリジノサウルスを襲っていたのは確かだろう。また、アリオラムスやバガラアタンはもっと小型の獲物を襲っていたと思われる。それぞれの種の成体同士で少なからず食べわけが成立していたのは確かだろうが、一方でタルボサウルスの幼体とアリオラムス、バガラアタン(そしてアダサウルス)とでは競合が生じるようにも思われる。もっとも、小型哺乳類やトカゲ、カメなどに加えてネメグトの小型恐竜は非常に多様であり、そのあたりはうまくやっていく余裕があったのだろう。そのあたりを想像するのはとても楽しいことでもある。
 ネメグト層のティラノサウルス類、特にタルボサウルスは化石の質・量ともに大変恵まれており、ティラノサウルス類の成長云々を考えていく上で非常に大きな意味をもっている。ソ連隊の最初の調査で発見された標本の再記載もなかなか面白いかもしれない。また、より小型の比較的派生的なティラノサウルス類(この場合アリオラムス)が共存していたというのも興味深いところである。
 ネメグト層の化石は非常に保存状態が優れており、先述の多様性の高さ(小型鳥脚類が全く知られていないのにも関わらず、である)は少なからずそのあたりに起因しているのかもしれない。ソ連隊が足を踏み入れてから70年が過ぎようとしているネメグト盆地であるが、まだまだ色々なことを教えてくれそうである。