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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

マレーエフの落とし子

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↑“マレエヴォサウルス・ノヴォジロヴィMaleevosaurus novojilovi
PIN 552-2の骨格図。
体骨格はほぼ完全であるが、実際にはいくつか欠けている骨があるので注意。
スケールは1m

どうにか無事に(何回か命の危険を感じなかったわけでもないが)帰ってこれたわけである。記念記事ネタの応募もいい感じで集まっていて一安心である。多分記念記事として採用されなくても近いうちの記事のネタになるでしょう、だがその他一切のことは分かりません!

 ご存知の方も多いだろうが、タルボサウルスの学名は非常に複雑な経緯を経ていたりする。色々な意味で(本当に色々な意味で)90年代を象徴していたりもするのだが、そのあたりについてはいずれ扱いたい。今回は、タルボサウルスのシノニムの中でもひときわ(?)有名なマレエヴォサウルスMaleevosaurusについて適当に書きたいと思う。

 PIN 552-2が発見されたのは1940年代にさかのぼる。有名なソビエト―モンゴル共同調査隊がネメグト盆地に入って行った最初の調査で採集された大量の獣脚類化石のうちのひとつであり、1955年になってゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィと命名された。頭骨こそ部分的ではあるが体骨格はほぼ完全であり、ゴジラ立ちの復元骨格が制作されたのであった。
(この時復元された頭骨は涙が出るほど不細工な代物であった。タルボサウルス(エフレモヴィ)の模式標本といい、どうも頭骨の復元だけは苦手だった模様)

 その後1965年になってネメグト産ティラノサウルス類を1属1種にまとめる意見が浮上し、ここで初めてタルボサウルス・バタールという学名が成立したわけである。この時ゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィはタルボサウルスの幼体と考えられ、それからしばらくの間タルボサウルスとして扱われ続けた。

 状況が動いたのは1992年である。カーペンターはPIN 552-2の頭骨や体骨格にみられるいくつかの特徴からこれをタルボサウルス(当時カーペンターはティラノサウルス・バタールとしていた)から切り離し、ソビエト―モンゴル共同調査隊のマレーエフにちなんでマレエヴォサウルスの属名を与えたのである。
 タルボサウルス属をティラノサウルス属に統合するかはともかくとして、PIN 552-2を明確な属とするこの説は比較的受け入れられたように見えた。

 が、その後の研究で、マレエヴォサウルスの重要な特徴のうち頭骨に関するものは全て成長段階によるものであろうことが明らかとなった(マレエヴォサウルスの歯の数はタルボサウルスと基本的に同じと考えられる)。体骨格については少し厄介だったりもするのだが、基本的に成長段階や個体差、保存状態で説明が付くようである。筆者としても、マレエヴォサウルスはタルボサウルスの大型幼体と考えるべきだと思っている。

 マレエヴォサウルスの有効性は脇に置いておくとして、PIN 552-2についてもっと研究がなされるべきなのではないかと思っている今日この頃である。ティラノサウルス類の成長過程にともなう形態変化について、なにがしかの情報は与えてくれるのではないだろうか。