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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ラヒオリ村の怪

イメージ 1
↑ラヒオリサウルス・グジャラーテンシスの合成骨格図
他に尾椎なども知られている。
プロポーションはアウカサウルスとカルノタウルス、マジュンガサウルスに基づく。
スケールは1m
Composite skeletal reconstruction of Rahiolisaurus gujaratensis based on 
ISIR 401, 436, 445, 465, 475, 511-514, 550, 554, 555, 557, 569, 573, 657-659. Proportion modeled after Aucasaurus, Carnotaurus and Majungasaurus
Scale bar is 1m.

 インドにおける白亜紀後期の獣脚類と言えば、筆者はインドサウルスIndosaurusとインドスクスIndosuchusで育った(?)世代である。インドの上部白亜系の代表格であるラメタLameta層からは多くの恐竜化石が知られているのだが、読者の皆様のご存じの通り、状況は凄まじくカオスである。
 古くから日本でも知名度が(一応)あったインドスクスであるが、模式標本は頭蓋天井の一部であり、その他の標本も(これといった根拠のないまま本種とされた)ほとんどが断片的な頭骨であった。ティラノサウルス科にされたりなんだりと紆余曲折あったインドスクスであったが、南米でのアベリサウルス類の発見やラヒオリ村でボーンベッド―――少なくとも7個体の獣脚類と、ティタノサウルス類からなる―――が発見されたことによって、インド産としてもっともよくわかっている恐竜となった。はずだった。

 バラバラの標本をかき集めてアロサウルス風味の骨格図(リンク先のものはポールがModifyしたものであるが、元のやつ(Chatterjee and Rudra, 1996)のものとポーズが変わっただけである。というか、Chatterjee and Rudra(1996)は知る人ぞ知る伝説の論文でもある。チャタジーはまだ諦めてなかったりするようだが、最近どうなん?まで描かれたインドスクスであったが、冷静になってみるとラヒオリ村のボーンベッドをインドスクスとして同定した根拠はこれといって存在しなかったようである(なんといっても、ラヒオリ村のボーンベッドから見つかった頭骨要素は前上顎骨だけであった。インドスクスの模式標本と比較できないのだ)。こうしてラヒオリ村のボーンベッドに眠っていた獣脚類は再研究され、ラヒオリサウルス・グジャラーテンシスとして記載されたのだった。

(この辺の経緯は正直なところ筆者が書くことは何もなかったりする。獣脚類に関して日本語で読めるサイトとしては最高の情報源になるであろう某ブログにて詳細に記述されている(そして筆者が間の抜けたコメントを書いている)ので、そちらを参照されたい。あえてリンクは貼らないが…)

 ラヒオリサウルスは前述の通りボーンベッドとして発見されており、複数個体が入り混じった状態(いくらかの部分は関節状態だったのだが)であった。ゆえにプロポーションははっきりしない。仙椎が7個ある(らしい)点はカルノタウルスに似ているのだが、一方で系統解析(Tortosa, 2013:アルコヴェナトルの記載論文)ではマジュンガサウルス亜科になっていたりもして、いまいち外見を想像する助けになる情報に乏しい。仙椎が7個あるアベリサウルス類は現状では他にカルノタウルスくらいしかいないようなので、(この特徴が分類上有意なのかはさておき)上の図の体部はカルノタウルスっぽくしている。
 一般にラジャサウルスRajasaurus(ラヒオリ村の近くの別のサイトで発見された。過去記事参照)よりも華奢なプロポーションをしているとされているが(“インドスクスの骨格図”では実際スレンダーな感じである)、実際のところそう差はないように思える。

 サイズこそバラバラとはいえ、ラヒオリサウルスは多くの骨が知られている。しかし、ラメタ層の他の胡散臭い獣脚類の整理に役立ちそうな情報はあまり得られなかった。これらの獣脚類の模式標本は貧弱であり、他の標本との比較はおろか独自の特徴をもっているかどうかさえ微妙である。さらに言えば、標本の多くが行方不明になっていたりもする。
 結局、ラメタ層の大型獣脚類で“まとも”なものはラジャサウルスとラヒオリサウルスだけになってしまった(ただしインドサウルスはちょくちょく系統解析に顔を出しているので、辛うじて有効名というところか)。バーナム・ブラウンによるラメタ層での発掘から90年以上が過ぎたが、インド最後の獣脚類の実態は以前として闇の中である。