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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

肉を食べる牛

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↑Skeletal reconstruction of Carnotaurus sastrei holotype MACN-CH 894.
Scale bar is 1m.

 アベリサウルス類といえばそれなりに知名度の高い属を含んでおり、カルノタウルスなどは割と人気どころの恐竜だろう。マジュンガサウルスやらラジャサウルスやらとそれなりに様々な属が図鑑に現れるようになってずいぶん経つような気もするのだが、実のところアベリサウルス科が設立されたのは1985年とかなり最近のことである。
 90年代から2000年代にかけて――あるいはマジュンガサウルスの骨格が詳細に記載されて久しい現在でも――アベリサウルス科の代表として君臨していたのがカルノタウルスであった。その間、あらゆるアベリサウルス類は――インドスクスを例外として――カルノタウルスをベースとして復元され続けたのである。

 アルゼンチンでの恐竜研究といえばヒューネによる輝かしい20世紀前半の研究が有名――なわけはないのだが(もちろんローマーを忘れるわけにもいかない)、ヒューネをもってしてアルゼンチンの恐竜を掘りつくせるわけがない。ヒューネがアルゼンチンを去ってずいぶん経った1976年、ナショナルジオグラフィック協会の支援の下で“ベルナルディーノ・リヴァダヴィア”アルゼンチン国立自然史博物館はパタゴニアに広がるジュラ系・白亜系の調査プロジェクトを開始したのである。 
 さて、パタゴニアはアルゼンチンのチュブト州で暮らしていたサストレ一家(農家ということで、多分牛の放牧でもしていたのだろう)はある時荒野(層序学的な研究があまり進んでいなかったため当初は白亜紀中ごろとみなされていたが、結局カンパニアンないしマーストリヒチアン(マーストリヒチアン前期の可能性が高いらしい)のラ・コロニアLa Colonia層であった)で恐竜の骨格に出くわした。この一報は地元の地質学者を通じてリヴァダヴィア側に伝わり、1984年にボナパルテ率いる第7回調査隊によって発掘が行われることになった。

 この第7回調査隊の成果は輝かしいものであったが、この大型獣脚類の骨格――カルノタウルスの模式標本MACN-CH 894はアマルガサウルスの模式標本と並んで特に素晴らしいものであった。巨大な赤鉄鉱のノジュールに包まれたそれは体の右側を下にして横たわり、典型的なデスポーズをとっていた。尾と膝下は浸食でほとんど失われていたが、残りの部分は完璧といっていい状態だったのである。胸骨や“鎖骨”(実際には叉骨の片割れであった)がきっちり保存され、舌骨はアーチをそのまま保ち、そして皮膚痕が――大型獣脚類としてほとんど初めての外皮の手がかりが頭の付け根から肩、胴、そして尾の付け根に残されていたのである。
 保存状態もさることながら、その形態も奇怪であった。外突起やら横突起やらが伸長して「上面が平ら」になった椎骨、極端に退縮した結果ほとんど上腕から直接手の生えた前肢、妙にひょろ長い大腿骨、そして頭部――滑稽なほど短い吻に並ぶ薄く鋭いが小さな歯、そして一対のマッシブな角。ボナパルテがカルノタウルス・サストレイ――サストレ家の、肉を食べる牛――と命名するにふさわしい姿だった。

 カルノタウルスとアベリサウルス――カルノタウルスと同じく1985年命名――の類縁性はすぐに認識され、白亜紀後期の南米(そしてインド――というよりゴンドワナ全域)でケラトサウルス類の成れの果てが繁栄していたらしいことが明らかになった。カルノタウルスとアベリサウルスの頭骨は基本的な特徴をよく共有していたが、一方でパッと見はずいぶん異なる。アベリサウルス類がかなりの形態的な多様性をもっていたことは誰の目にも明らかであった。
 そうは言ってもアベリサウルス類のまともな骨格といえばカルノタウルスのホロタイプが一体あるきりで、依然として尾の大半と膝下は知られていなかった。一方で、1986年に記載されたクセノタルソサウルスXenotarsosaurus――頭骨を欠いた部分骨格に過ぎないが基本的な特徴はカルノタウルスとよく似ていた――は脛の要素をよく残しており(足は失われていた)、従ってカルノタウルスの復元の重要な参考資料となったわけである。

 かくして完成した復元骨格、そして1990年のモノグラフで示されたボナパルテらによる骨格図の脛はクセノタルソサウルスが参考とされていた。この時ボナパルテらはクセノタルソサウルスの後肢のプロポーション(大腿骨長611mm、脛骨長592mm)に従い、カルノタウルスの脛骨を大腿骨よりわずかに短い970mmとして復元したのだった。
 こうしてすらりとした後肢をもつカルノタウルスの復元骨格や骨格図が広く出回るようになると、他のアベリサウルス類――いずれも部分骨格のみ――もカルノタウルスを参考に(というより頭を適当に挿げ替えただけで)復元されるようになった。ここにカルノタウルスに代表される「古典的な」アベリサウルス類のイメージが固まり、恐竜図鑑を飾るようになったのである。

 アベリサウルス類の標本が増えるに従って、ボナパルテらによるカルノタウルスの膝頭の突起の復元はどうやらかなり(問題になるレベルで)控えめだったことが明らかになった。突起の高さをかなり低く見積もっていただけにとどまらず、そもそも突起を「小さく」復元していたのである。
 ポールは気を回して(カルノタウルスの脛骨の断片を半ば無視する形で)クセノタルソサウルスの脛骨を直接ぶち込むという「曲芸」でこの問題をカバーしていたりもしたのだが、結局のところ、大型のアベリサウルス類の脛骨は大腿骨と比べてそれなりに短く(大腿骨長の8割といったところである)、そして膝頭は大腿骨の長さの割にかなり大きかった。要するに、ボナパルテらそしてポールによるカルノタウルス――アベリサウルス科の復元を決定付けたもの――の脛は長すぎたのである。

 究極的にはカルノタウルスの膝下のプロポーションは未知である(未だにホロタイプ以外の骨格が見つかっていない)が、それでもアウカサウルス(最近出た論文でようやく長骨の計測値が示された)などを参考に、残された脛骨近位端に基づいてそれらしく復元してやることができる。カルノタウルスの大腿骨は体サイズの割にかなり長く、膝下が多少短くなったところで(マジュンガサウルスなどと比べて)軽快なプロポーションだったのは確かなようだ。
 これまでもっぱらアベリサウルス科の「典型」として扱われてきた(やむを得ないことではあった)カルノタウルスだが、結局のところブラキロストラ――目下ほぼ南米のみに限られている――の中でも非常に特殊化の進んだものであり、マジュンガサウルス(マジュンガサウルス亜科)などとはだいぶかけ離れた姿をしているようだ。力あふれるハドロサウルス類も跋扈していた白亜紀末期のパタゴニアにあって、アベリサウルス科の中でも奇怪な見てくれのカルノタウルスはどのように暮らしていたのだろうか。