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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ゴンドワナのかけらをあつめて

イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of majungasaurines.
Top to bottom,
Rajasaurus narmadensis  holotype GSI 21141/1–33
with referred skull elements (scaled as holotype),
Majungasaurus crenatissimus adult
largely based on FMNH PR 2100 and FMNH PR 2278
(scaled as FMNH PR 2100),
subadult based on UA 8678 (postcranial) with skull UA 9944
(scaled as UA 8678),
Arcovenator escotae holotype MHNA-PV-2011.12.1–5.
Scale bar is 1m.

 マジュンガサウルスといえば今やすっかりおなじみになった感がある(そうでもない)が、元々この属名は実質的に忘れ去られたような名であった。読者の方には少なからずこの恐竜がマジュンガトルス・アトプスMajungatholus atopusと呼ばれたことを覚えている心豊かな方もいるだろうし、何なら唯一のゴンドワナ産堅頭竜類だった頃を覚えている方もいるだろう。
 白亜紀後期(というか中生代を通して)のゴンドワナの恐竜相の実態が明らかになってきたのは比較的最近のことであり、それは白亜紀後期の獣脚類にも言えることである。前記事で触れたアベリサウルスとカルノタウルスの発見まで、白亜紀後期後半のまともな獣脚類の化石は発見されていなかったのだ。

 南アメリカ同様、かつてのゴンドワナの構成要素であったマダガスカルでの恐竜発掘の歴史は古い。19世紀の末にはいくばくかの白亜紀後期の恐竜の断片が発見され、その中のいくつか――獣脚類の歯と椎骨と末節骨は、デュペレ(カルカロドントサウルスの原記載者でもある)によってまとめてメガロサウルス・クレナティシムスMegalosaurus crenatissimus命名された。
 その後マダガスカルは化石の名産地として知られるようになった(アンモナイトがよく採れるのだ)が、白亜紀後期の恐竜は鳴かず飛ばずといった状況に陥った。まともな骨格が出てくる気配がなかったのである。日本の国立科学博物館が70年代に意気揚々と乗り込んだ際も多数の白亜紀後期の恐竜化石が採集された――が、いずれも(保存は素晴らしいのだが)断片ばかりであった(そしてその後すったもんだあって標本のオリジナルはマダガスカル国内で行方不明になった)。どさくさに紛れてラヴォキャットが中大型獣脚類の歯骨を(メガロサウルス・クレナティシムスと同種とみなしたうえで)マジュンガサウルスと命名したりもしていたのだが、いかんせん断片的だったのでこれといって顧みられることはなかった。

 そうはいってもあちこちを調査隊が出入りしていれば何かしら見つかるものである。1979年、鳴り物入りでネイチャーに発表されたのがマジュンガトルス・アトプス――南半球初のパキケファロサウルス科であった。例によって頭蓋天井しか残っていなかったが、やたら肥厚した天井が作る「ドーム」は堅頭竜類の特徴だったのである。
(記載にあたったスーズとタケの肩を持っておくと、彼らは論文中でマジュンガトルスの「ドーム」が前頭骨のみからなっている(一般に堅頭竜類の「ドーム」の形成には前頭骨に加えて頭頂骨なども関与する)ことを指摘している。これは堅頭竜類としては確かに奇妙な特徴であった。頭蓋天井の肥厚した獣脚類という概念は当時存在しなかったのである。)

 1993年から始まったストーニーブルック大(アメリカ)とアンタナナリボ大(マダガスカル)の野心的な共同調査は地味(失礼)ながら大きな成果を挙げ続け、そして1996年に大当たりを引いた。関節の外れた、ほぼ完全かつ抜群に保存のよいアベリサウルス類の頭骨(と連続した尾椎;FMNH PR 2100)が発見されたのである。マジュンガトルスのホロタイプ――「堅頭竜類の頭蓋天井」はアベリサウルス類の頭蓋天井の断片に過ぎなかったことが明らかとなり、かくしてこのマダガスカル産アベリサウルス類がマジュンガトルスと呼ばれるようになった。
 その後の調査で多数の部分骨格が発見され、気が付けばマジュンガトルスはほぼ全身の要素が発見された計算となった。恐竜博2005向けに復元骨格を制作するのと合わせて記載が進められ、最も詳しく研究されたアベリサウルス類となったのである(記載待ちのさらに完全な骨格もあるらしい)。当初マジュンガサウルスの属名を用いることはためらわれた(そもそもシンタイプが単離した化石の寄せ集めである)が、ラヴォキャットが記載した歯骨(植わっていた歯の形態も含めて「マジュンガトルスの頭骨」と酷似していた)をネオタイプとすることでこのあたりの問題はクリアされ、マジュンガトルスは最終的にマジュンガサウルスと呼ばれるようになったのだった。

 さて、マジュンガサウルスが発見されたのはマーストリヒチアンのマエヴァラノMaevarano層なのだが、この地層の生物相(恐竜に限らない)がインドや南米とよく似ていることが前述の共同調査で明らかとなった。80年代にはすでにインド産の白亜紀後期の中大型獣脚類が(ティラノサウルス類ではなく)アベリサウルス類に属する可能性が指摘されていたりもしたわけだが、マジュンガサウルスの「発見」などによって南米やインドにみられる「奇妙な」恐竜たちがマダガスカルにも分布していたことが明らかになったのである。
 かつてインド―マダガスカルが南米―アフリカから分離した時期は白亜紀中ごろとされていたのだが、白亜紀末期になっても類似した生物相がそれらの「かけら」に広く分布していたことが明らかになった以上、ゴンドワナ分裂のシナリオを再考する必要が出てきた。ひょっとすると白亜紀の終わりごろまで南米やインド―マダガスカルは南極経由で繋がりを保っていた可能性まで出てきたのである。一方で、白亜紀末期の化石に乏しいこともあり、アフリカの分裂時期のヒントはほとんどないままだった。

 ヨーロッパにはかねてからアベリサウルス類が(白亜紀中ごろから終わりにかけて)分布するとされていた(一方でいずれも断片的であったため、何とも言えない状況が続いていた)が、アルコヴェナトル(カンパニアン後期)がフランスから発見されたことで事態は一気に進展を見た。アルコヴェナトルはラジャサウルスそしてマジュンガサウルスなどとマジュンガサウルス亜科をなし、一方でカルノタウルスやアベリサウルスなど南米産の派生的なものはブラキロストラとしてまとまった。
 ブラキロストラの(確実な)分布は南米に限られる一方、マジュンガサウルス亜科の分布はインド―マダガスカルそしていきなりヨーロッパと飛んだことで状況はさらに厄介になった。結局のところ白亜紀中ごろにどうしようもないレベルで南米とインド―マダガスカルが分離していた可能性が出てきたのである。一方で、どうもアフリカがインド―マダガスカルとヨーロッパとを(ゆるく)繋いでいたようである。

 白亜紀後期後半の(元)ゴンドワナの恐竜相はまだまだ未解明な部分に溢れており、さらに言えば少なからずつながりのあったらしいヨーロッパでも同じことが言える。マジュンガサウルスやラジャサウルス、アルコヴェナトルの発見はゴンドワナの分裂に関する議論を加速させたが、まだゴンドワナの「かけら」をつなぎ合わせるには至っていない。