GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

A Triceratops named ”Raymond"

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↑レイモンドことNSM-PV 20379の骨格図。骨化腱のほか尾椎もいくつか発見されているが省略した。スケールは1m。

 国立科学博物館に行かれたことのある方は多かろう。地下の恐竜ホールは非常に気合の入った作りであり、いくつかの重要な標本が展示されている。アパトサウルスアジャックスApatosaurus ajaxのほぼ完全な骨格NSM-PV 20375、そしてトリケラトプス・ホリドゥスTriceratops horridusのほぼ完全な骨格NSM-PV 20379である。

  科博のトリケラトプス―――“レイモンド”については、多くの方がご存じだろう。ほぼ全身が関節した状態で発見された唯一のトリケラトプスの化石であり、日本人研究者によってかなり詳細な研究がおこなわれている標本である。

 事の発端は1993年にさかのぼる。

 アメリカはノースダコタ州、ボウマン郡に広がるご存じヘル・クリークHell Creek層にて、1体のトリケラトプスの化石が発見された。ヘル・クリーク層の最上部(古第三系であるフォート・ユニオンFort Union層との境界の17m下位に過ぎない)、左半身を上にして横たわったその化石は、すでに風化侵食によって左半身を失いつつあった。
 トリケラトプスとしてはこれといって大きくもない標本だったのだが、驚くべきことにその骨格は関節した状態であった。尾のほとんどが失われ、わずかな尾椎と頭骨はばらけて散乱しかけていたが、右半身はほぼ関節の繋がった状態で眠っていたのである。

 標本の重要性は即座に認識された。発掘途中ではあったが完全な前肢が残っていることは明らかであり、トリケラトプスが生きていたときの姿勢―――前肢を“哺乳類的に”直立させていたのか、“爬虫類的に”側方に張り出していたのか、90年代の時点でも激しい議論が交わされていた―――を明らかにすることが期待されたのである。

(実のところ、1889年の命名以来現在に至るまで、ほぼ全身が関節して発見されたトリケラトプスはレイモンドそしてMontana Dueling Dinosaursの片割れ(トリケラトプス属かどうかはまだ微妙だが)のみである。レイモンドと同等の完全度を誇る標本はその後4、5体発見されているが、いずれも“associated”でしかないらしく、“articulated skeleton”は現時点ではレイモンドとMDD標本しか報告されていない。完全度だけでなく、関節しているという意味で重要な標本である。
 レイモンドの発見とそれに連なるやりとりは、恐竜学最前線⑩に詳しい。研究者たちのやり取りをよく読むと、“直立”や“はい歩き”のニュアンスに差があることがよく分かる。結局のところ『半ば直立し、半ば腹這い型になった前肢』が当時の研究者の『円満な妥協点』であり、そしてそれこそ“藤原説”にかなり近いものであった。)
 
 当初はジャケットに入ったまま個人収集家のコレクションとなり、ヨーロッパの博物館送りが有力だったレイモンドだが、その後とある化石販売会社へと籍を移した。さらにBHIによってクリーニングおよびレプリカの製作が行われ、97年にガーストカとバーナムによって予察的な報告がなされた(このとき、WFQ:WRG 94.014の標本番号が与えられている)。翌98年に国立科学博物館によって買い取られ、NSM-PV 20379(文献によってハイフンがあったりなかったり)の標本番号が与えられ、終の棲家を得たのであった。

 その後、藤原慎一(大相撲とキン肉マンをこよなく愛する方である。この方のHPがまたカオスなんだこれが)によって前肢の詳細な研究がなされ、ケラトプス科角竜の前肢姿勢についてほぼ解明されたのであった(と筆者は思っている)。

 そんなわけで、ひとまずの役目を果たしたレイモンドは科博でその身を横たえている。トリケラトプスの“名前付き”の中で最も有名な標本でもあり、ぜひ覚えてやってほしい。