Scale bar is 1m.
またしても角竜ネタなのには突っ込まないでほしいところである(こういうのはねぇ、勢いが大事だと思うよ、うん。ちなみに今記事を書いている筆者は微妙に酔っている)。今回は、「古典的なトリケラトプスの標本」のひとつ、USNM 4842について書いていきたい。
トリケラトプス(と断定できる)の最初の頭骨の発見は1888年ごろにさかのぼるのだが、本標本もそれからそう間をおかず、ワイオミング州のランスクリークでハッチャーによって採集された。大きな上眼窩骨といくつかの椎骨や肋骨、四肢の大部分(手足はなかったが)からなるこの骨格はひとまずYPM 2082とYPM 2084の二つのナンバーに分けてイェール大学ピーボディ博物館へと運び込まれた。マーシュはこれをT.プロルススと同定し、その他の標本(たとえば、後のUSNM 4800)など共に、T.プロルススの体化石として記載した。
ところで、1901年のパンアメリカ博覧会にて、何らかの形で恐竜の化石を展示することが決定された。展示を委託されたスミソニアンはマーシュの記載を元に「張子」のトリケラトプスの全身骨格模型を作ったのだった(同型のものが現在ロンドンの自然史博物館にある)。
マーシュの死後、YPM 2082とYPM 2084はほかのマーシュのコレクションと共にスミソニアンへと移された。ここで、YPM 2082とYPM 2084は統合されてUSNM 4842のナンバーを与えられたのである(同一個体なのはたぶん間違いないのだが、そもそもなぜ標本番号を分けていたのかはよくわからない。
さて、1903年になり、ハッチャーの下でクリーニングの修業をしたC.W.ギルモアがスミソニアンで働き始めた。彼がスミソニアンへやって来た時点で、YPMから移ってきたマーシュのコレクション(採集はほぼハッチャーだが)はほとんど開封されておらず、この恐ろしく面倒な作業はギルモアに託されることとなったのである。
このどうしようもない状況に奮起した(?)ギルモアは、朝はクリーニング、昼間は研究・記載と化石屋の室内作業のお手本のような生活を送り、まずは“クラオサウルス”・アネクテンスの模式標本を組み立てて展示へと送り出した。そして、パンアメリカ博用に仕立てたトリケラトプスの模型はほどなくして失われていたため(あるいはロンドンに身売りされたのか?)、その代わりに実物化石を用いたトリケラトプスの復元骨格が組み立てられることになった。四肢の揃ったUSNM 4842に白羽の矢が立ったのである。
ギルモアはいかんなく能力を発揮した。1905年、様々な標本(頭部にUSNM 2100、肩甲烏口骨にUSNM 4800、中位尾椎にUSNM 2580、など)と模型でUSNM 4842の不足分を補い、トリケラトプスの復元骨格(実際の化石に基づくものはこれが初めて)が完成したのである。パンアメリカ博用の「模型」は模型でしかなかったためにすんなり直立姿勢に組み上がったのだが、ギルモアはさんざん悩んだあげく、前肢をややがに股にして組み上げたのだった。
ギルモアはきっちり仕事を果たしたのだが、何事にも間違いはある。USNM 2100はUSNM 4842と比べてかなり小さい個体の頭骨だったし、可能な限り純骨を入れようとした結果左右で上腕骨の長さがかなり変わったり、そもそも足がエドモントサウルスだったり、なんだかんだ問題だらけの代物ではあった(昔の話なのでいろいろと仕方ないのだが)。結局、この合成復元骨格は、その後90年以上にわたってスミソニアンの主として君臨することになったのである。
1907年、ハッチャーらによってUSNM 4842は詳細に記載された。この時仙前椎のよく揃った化石YPM 1834(トリケラトプス・ブレヴィコルヌスの模式標本)の体骨格についても記載され、トリケラトプス(というよりケラトプス科角竜)の体骨格についてかなりの部分が明らかになったのである。一方、依然として指の数ははっきりしないままだった。
その後、USNM 4842が再び記載されることはなかった。スミソニアンの主として君臨する一方黄鉄鉱病は確実に内部から蝕んでいき、バックヤードに置かれていた上眼窩角は跡形もなく崩れ去っていった(内部の洞のナチュラルキャストだけが現存しているという)。一方でマーシュやハッチャーによるUSNM 4842の図は常に引用され続けた。
再びUSNM 4842が脚光を浴びたのは80年代の末(あるいは90年代初頭)になってからだった。G.ポールは本標本とT.“カリコルヌス”、T.“ブレヴィコルヌス”などを合体する形で骨格図を描き上げ、その後のトリケラトプスの復元の礎となった。一方でオルシェフスキーなどは、USNM 4842をトリケラトプスと断定する危険性(いかんせん頭骨要素は上眼窩角しかない)を指摘している。
発見から100年以上、展示に回されてから93年が過ぎた1998年、スミソニアンはトリケラトプスの骨格の解体を決定した(来館者のくしゃみで腰帯から破片が落下する(!)という事件が起こっていた)。解体された骨格は頭骨(USNM 2100)と左上腕骨(USNM 4842とは別の標本)を除いてバックヤードへと栄転した。化石は古生物学における3Dスキャン技術の実証を兼ねて全てCTスキャンにかけられ、数々の「修正」(小さすぎた頭骨の拡大、指の数の修正(および足の交換)などなど)を加えたレプリカが(デジタルデータから)製作され、2000年から再び組立骨格として展示されている。
新たに組み立てられた骨格には"Hatcher"の名が冠され、今でもスミソニアンの主としてリニューアル中の化石ホールの留守を預かっている。USNM 4842は未だに「トリケラトプスの成体」として記載された唯一の四肢でもあり、その重要性が霞むことはない。
◆追記◆
スミソニアンのリニューアルでMOR 555(の実物)が展示されることはとっくに皆様ご存じだろうが、"Hatcher"の「2号」がMOR 555のごはんに供されるとのことである。その他の2019年以降の常設展示のラインナップはまだ未発表である。
(前述の通り、USNM 4842の頭骨要素は上眼窩角しか残っておらず、実のところトリケラトプス属かどうか疑問の余地がないわけでもない。ただし、上腕骨の形態は明らかにトリケラトプス(と断定できる標本とそっくり)であり、上眼窩角にトロサウルス特有の血管溝がないらしいことから、恐らくトロサウルス属ではないと思われる。
マーシュは本標本をT.プロルススとしたが、Hatcher et al. (1907)はT.エラトゥスの模式標本と上眼窩角の形態がよく似ていることを指摘している。また、筆者の私感ではあるが、USNM 4842の上眼窩角はKelseyとそっくりであるように思われる。T.ホリドゥスはT.プロルススと比べて相対的に長い上眼窩角をもっており(例外がないわけでもないが)、この点からもUSNM 4842がT.ホリドゥスであるように思われる。そういうわけで筆者は、上の図の頭骨シルエットをT.ホリドゥスとして描いている。)