「肉食恐竜事典(河出書房、1993―――原語版は88年刊行) 」といえば、色々な意味で衝撃の本である(と94年生まれの筆者が言うのもアレだが)。何だかんだ凄い本なのだが、個人的に衝撃的な記述があった。
(p.300より引用)
これはいい。おそらくはアケロラプトルに分類されることになるであろう化石のことを指していると思われる。問題はこれに続く一文である。
“さらに興味深いのは、AMNHのマルカム・マッケンナが所有している同時期の歯の化石だ。これを見るかぎりでは、ベロキラプトル・アンティロプスと同じくらいか、もっと大型の種が当時生息していたと考えられるが、数のうえでは、小型のものよりはるかに少なかったようだ。”
(p.300より、「ベロキラプトル・アンティロプス」はデイノニクスのこと)
要するに、全長3m前後になるドロマエオサウルス類が白亜紀末期に生息していたということらしい。
白亜紀末期の北米―――ヘル・クリーク層など―――でたびたびドロマエオサウルス類の化石が見つかっていたことは前回紹介したとおりだが、全長2m級のものがほとんどのはずである。
ここで話が終わればそう大したことではない。既知のアケロラプトルの標本が幼体や亜成体に基づくものであって、成体は3mクラスに達した、という話ならいかにもありそうだ。テスケロサウルスThescelosaurusあたりと絡ませとくにはちょうどいいだろう。
本当にとんでもない記述があるのは、「恐竜学最前線」である。
恐竜学最前線と言えば、かつて学研から出版されていたムックである。国内外の第一級の執筆陣が集まり、極めて高い評価を受けている本である。執筆陣や作品投稿者をよく見ると、ところどころに当時まだ無名だった方々(失礼)の名前もあったりする。
さて、問題になるのは「恐竜学最前線 13号」である。最終号となってしまった13号の112ページ、ドン・レッセム(!)によるSVP 1995(第55回古脊椎動物学会)の報告記事の中にその文言は登場する。
“それよりさらに大きなラプトルが出たのは、サウスダコタ州バッファローの新しい「サンディ採掘場」である。営利事業として化石を収集しているマイケル・トゥリーボールドがラプトルを見つけたこの場所は、今から6500万年前の白亜紀末期の恐竜化石が特に豊富であり、多数のトロオドン類、オルニトミムス類、2種類のテスケロサウルス類、大きな鉤爪をもつオヴィラプトル類、角竜類、ハドロサウルス類、ティラノサウルス類、多数の魚類、カメ、哺乳類が含まれていることがわかっている”
(p.112より引用)
「それ」が何を指しているかが分からないと意味不明であろう。「それ」とはフクイラプトルの模式標本である。もともとフクイラプトルの模式標本は大型のドロマエオサウルス類―――“全長6mのユタラプトルの75%ほどの大きさ”―――とされていた。
つまり、ヘル・クリーク層の「サンディサイト」(パキケファロサウルスの骨格が産出したことでも知られる場所)から、ユタラプトル並みの大きさのドロマエオサウルス類が見つかったというのである。
残念ながら産出部位については記述が見当たらない。キタダニリュウと比較しているあたり、手ないし足の末節骨(鉤爪)が見つかったということなのだろうか?
◆2015.10.31追記◆
サウスダコタのヘルクリーク層で2005年に発見された複数個体の化石に基づき、ダコタラプトル・スタイニDakotaraptor steiniが命名された。ホロタイプは四肢がよく揃っており、推定全長は5.5mとされている。上述の標本も、おそらくダコタラプトルなのだろう。