GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

最大とよばれて

イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of "Triceratops maximus" holotype AMNH 5040.
Scale bar is 1m.

 ヘル・クリークHell Creek層といえば本ブログの読者の方には説明不要だろう。アメリカ西部はモンタナ州からノースダコタサウスダコタ州にかけて分布する、アメリカひいては世界の最上部白亜系を代表する地層のひとつであり、白亜紀最末期(約6680万~6600万年前)の様々な生物の化石を産出しているわけである。
 ヘル・クリーク層ではブラウンやラルによる1902年の調査以来(ワイオミングほどではないものの)トリケラトプスの産出が知られていたのだが、1909年に(本ブログではおなじみ)カイゼンがモンタナはガーフィールド郡のロック・クリークで発見した角竜の部分骨格AMNH 5040は(いくつかの椎骨と頚肋骨しか残っていなかったにも関わらず)目を引くものだった。とにかくデカかったのである。
 
 ヘル・クリーク層最下部(basal sandstoneというそのまんまの名前のユニットからなる)から関節状態で発見されたそれは、当時知られていたいかなる角竜よりも大きな個体のものに見えた。
 椎骨8個と頚肋骨2個のほかは(その辺で放牧されていた)牛の群れに長年踏まれ続けて跡形もなくなっていたために同定は難航したが、研究にあたったブラウンは最終的にAMNH 5040が新たな角竜の種であると考えるようになった。当時ヘルクリーク層から産出していたのはトリケラトプス属のみであったが、既知のトリケラトプス属の椎骨(当時すでにいくつか状態のよい椎骨を関節状態で保存した標本が知られていた)とはサイズ以外にも違いらしいものが見出されたのである。また、ブラウン自身、それまでに500個以上(自称)の角竜の頭骨や骨格をフィールドで眺めてきたものの、これほどのサイズの個体の頭骨(=長さ2.4m前後)を見た経験はなかった。
 かくして1933年、ブラウンは(多分に暫定的な同定であることを断りつつも)AMNH 5040をトリケラトプス属の新種トリケラトプス・マクシムスTriceratops maximus命名したのだった。

 が、やはり椎骨だけに基づいた命名は(角竜に限った話ではないが)たいがいの場合ロクなことにはならないものである。
 その年のうちにブラウンのかつての同僚であるラルによって角竜のモノグラフが出版されたのだが、ここでラルはトリケラトプス・マクシムスの独自性を容赦なく否定した。2.4m級の頭骨をもつトリケラトプス・ホリドゥス―――トリケラトプス・“インゲンス”T. "ingens"ことYPM 1828(1891年にハッチャーによって採集されたものの、記載はおろか今日まで完全にクリーニングされていないという曰くつきであり、ブラウンにはこの標本の詳細は知る由もなかった)の存在を挙げ、(T.マクシムスでは第4頸椎が相対的にやや大きく形態にもちょっとした差があることを除けば)特に形態的な差がみられないことを指摘した。ブラウンがT.マクシムスの独自性として挙げた特徴のほとんどは、結局のところそのサイズに由来するものと考えてよさそうだったのである。かくしてトリケラトプス・マクシムスはあっけなく疑問名となってしまったのだった。

 その後ヘル・クリーク層からはトロサウルスの産出が確認されるようになり、また2.4m級のトリケラトプスの頭骨もいくつか産出するようになった。とはいえAMNH 5040は依然としてケラトプス科角竜の中でも有数の巨体の持ち主であり、その正体は気になるところである。
 最近になってモンタナ州におけるヘル・クリーク層の生層序的な研究が進んでおり、ヘル・クリーク層最下部から産出する(同定可能なレベルの)ケラトプス科角竜が目下トロサウルス・ラトゥスのみであることが確認された。つまるところ“トリケラトプス・マクシムス”はトロサウルス・ラトゥスである可能性が考えられ、相対的にやや大きな第4頸椎などはそのあたりと関係があるのかもしれない。
 とはいえトロサウルスの確実な(状態のよい)仙前椎は知られておらず、また個体変異を研究できるほどトリケラトプスの仙前椎のまともな標本も集まっていないのが現状である。「最大」の名を背負わされることになった椎骨は、今日もAMNHの収蔵庫でひっそりと眠りについている。