GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

不運なノドサウルス

イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of Nodosaurus textilis holotype YPM 1815.
Scale bar is 1m.

 なんだかんだで本業がちょっとした山場だったりして(乗り越えたが)、気が付けばもう4月も下旬である。ロクに更新できていなかったわけだが、とりあえず少しペースを戻していきたい。

 最近鎧竜ネタが多かった(気のせい)わけだが、どちらかといえばノドサウルス類は日の目を見る機会が少ないようにも思う。サウロペルタやエドモントニアといった“一部の”肩棘をもつ属を除いては、総じて地味なイメージが漂っている。
 このイメージの根源にあるのが、ノドサウルス科の模式種たるノドサウルス・テクスティリス―――より正確に言うなら、ラルによって1921年に描かれたノドサウルスの骨格図である。ノドサウルス類のイメージは、90年以上に渡って(恐らく現在も)この骨格図に縛られてきたと言ってよい。

 ノドサウルスの命名は北米産鎧竜の中でもかなり早い部類であり、1889年にさかのぼる。その年の春に命名された超大型の「剣竜」であるケラトプス・ホリドゥスに独自の属を与える必要が生じ、マーシュは新属トリケラトプスを設立するついでに、もっと古い地層(ワイオミングのフロンティアFrontier層;セノマニアン中期なのでざっくり9700万年前ごろか)から産出した「剣竜」もケラトプス科の新属新種として記載した。
 それがノドサウルス・テクスティリスだった―――のだが、クリーニングを半ばでほったらかした(この時点でクリーニングが済んでいたのは前肢といくつかの尾椎、肋骨とわずかな皮骨だけだった)こともあり、マーシュは皮骨の小さな粒を3つ図示するにとどめた。部分的に関節の繋がった(胴体の皮骨は生前の配置のままだった)骨格であったにも関わらず、こうしてノドサウルスはいきなりスタートでつまづいたわけである。

 やがてトリケラトプスは剣竜から切り離された。ノドサウルスも独自の科(ノドサウルス科)を与えられるに至ったのだが、しかしケラトプス科とセットで角竜にされてしまったわけである(このあたり、悪名高い「トリケラトプスの皮骨」が原因なのは言うまでもない)。その後これといって顧みられないまま、ノドサウルスはピーボディ博物館の収蔵庫で埃をかぶっていた。
 命名から30年が経ち、ようやくノドサウルスにツキが回ってきたのは1920年のことだった。マーシュの死後ピーボディ博物館の重要ポジションに収まっていたラルは「リバイバル」を計画し、クリーニング半ばで放置されていたノドサウルスの模式標本(にして今もなお唯一の)に白羽の矢を立てたのである。
 3つのブロックに分けられていた骨格をクリーニングしたところ、多数の皮骨(「棘状」のものを含む)や皮骨がへばりついたままの胴体、ほぼ完全な腰帯、後肢、多数の尾椎などが姿を現した。ノドサウルスは角竜でも剣竜でもなく、実のところアメリカ初のまともな鎧竜の骨格だったのである。

 翌1921年にノドサウルスを再記載するにあたり、ラルは当時の知識を総動員して―――アンキロサウルスとスケリドサウルス、ステゴサウルスを参考にしてノドサウルスの骨格図を描き上げた。が、「棘状の」皮骨の配置に悩んだラルは、これを骨格図に描き入れることはしなかったのだった。「棘状の」皮骨は図示されることもなく(一応記載はされたが)、かくしてこの皮骨の存在は忘れられた。

 こうして今日まで至るノドサウルスのイメージが確立されたのだが、その後エドモントニアやサウロペルタといった状態のよい(しかも華やかな)ノドサウルス類が発見されるようになり、ノドサウルスはいつしか忘れられていった。相変わらず「地味なノドサウルス類」の典型としてラルの復元が取り上げられることはあったのだが、ノドサウルスの研究はラル以降さっぱり進まなかったのである。
 1978年になり、クームズがステゴペルタ(同じフロンティア層のやや下位で発見された)をノドサウルスのシノニムとしたが、別段それ以上研究が進むこともなかった。

 1998年になり、ノドサウルスに再びツキが回ってきた。他の白亜紀「中期」のノドサウルス類とまとめて、カーペンターとカークランドによって再記載されたのである。ラルによる同定の誤り(例えばラルは尾椎をかなり前方のものと見積もっていた)が正されると共に、ここで初めてノドサウルスの「棘状の」皮骨が図示された。ノドサウルス独自の特徴も再確認され(ステゴペルタは無事に復活した)、ようやくノドサウルスの模式標本の確かな姿が示されたのである。
 
 こうして(模式標本の保存している部位に関しては)詳細が明らかになったノドサウルスであるが、結局未だにラルによる復元(のリファイン版)が一般的である。実のところラルもしっかり示しているのだが、ノドサウルスは正中線沿いに2列の長方形のプレートをもっており、サウロペルタやエドモントニアの胴体の鎧とはかなり趣が異なっている。一方で、「サウロペルタ的な」肩棘をもっていたのはほぼ確実である。
 ノドサウルスの「骨盤シールド」は、多角形のほぼ同じ大きさの皮骨が癒合して構成されている(カテゴリー3と呼ばれるタイプ)。これは比較的珍しい特徴であり(例えばサウロペルタの骨盤シールドは互いに癒合しないロゼット状の皮骨からなるカテゴリー1、ポラカントゥスのものは互いに癒合したロゼット状の皮骨からなるカテゴリー2である)、他にはアレトペルタや“アンタークトペルタ”、ステゴペルタ、グリプトドントペルタと未命名のカナダ産鎧竜(ダイナソー・パーク層産)にのみみられる。
 この骨盤シールドの特徴に基づき、かつてはノドサウルス以外のカテゴリー3はまとめてアンキロサウルス科のステゴペルタ亜科として括られていた。が、最近の系統解析はこれを支持しておらず(アレトペルタはアンキロサウルス科に、ステゴペルタやグリプトドントペルタはノドサウルス科に置かれた)、この問題がそう単純なものではないことを示している。

 最近のArbourらによる鎧竜の系統解析にはノドサウルスは含まれておらず、他の直近のもの(Thompson et al., 2011)をあたるほかない。Thompson et al. (2011)では「派生的なノドサウルス類」という位置付けではあるのだが、見事な多分岐となっており、かなりどうしようもない感じである(Arbourの系統解析で単系統ではないとみなされているポラカントゥス類がきれいにノドサウルス類の基盤に収まっているということも含めて)。
 ノドサウルス(とステゴペルタ)は数少ないセノマニアンのノドサウルス類のひとつであり、サウロペルタやシルヴィサウルス、パウパウサウルスといったアルビアンの様々なノドサウルス類と、サントニアンのナイオブララサウルスそしてカンパニアン以降の「エドモントニア類」とをつなぐ重要な存在である。
 このあたりを解明するためには、ノドサウルスの新標本を見つけ出すほかないだろう。今一度、ツキが回ってくるのを待つしかないようだ。