GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

めざめるかいぶつ

イメージ 1
↑Composite skeletal reconstruction of Medusaceratops lokii
(scaled as ROM 73831)
with skull of Albertaceratops nesmoi TMP 2001.26.1 (holotype). 
Scale bars are 1m.

 本ブログをもともと角竜専門のつもりで立ち上げたというのは古参読者(何)の方にはお気づきの通りであるが、中でもしつこく取り上げてきた(今後も続くだろう)のがジュディス・リバー層の角竜である。ジュディス・リバーJudith River層はモンタナ中央部に露出するカンパニアン中期~後期初頭の地層であり、中でもミズーリ川に沿うエリア(ジュディス・リバー層上部のマックリーランド・フェリーMcClelland Ferry部層および最上部のコール・リッジCoal Ridge部層;スキャネラに従うとざっと7750万~7520万年前だが、マックリーランド・フェリー部層の最下部はどうやら(スキャネラ基準でいっても)7900万年前ごろまで達するらしい)は、北米初となる恐竜――その後果てしない混乱を巻き起こした4種――発見の舞台となった。
 本ブログでさんざん取り上げたというだけで察してもらえようが、近年に至るまでジュディス・リバー層では「まとも」な角竜の化石がほとんど発見されず、一方で古くから多数の断片が知られていた(そして化石戦争という背景もあってことごとく命名された)ことから、悪夢のような分類学的混乱の巣窟と化していた。ジュディス・リバー層やその同時代層(例えばアルバータのオールドマンOldman層)の角竜の研究がまともに動き出したのはここ10年余りの話なのである。
 その10年余りの研究でその系統的位置づけや復元を目まぐるしく変えたジュディス・リバー層産角竜がメデューサケラトプス・ロキイである。ブログの立ち上げ直後に取り上げたネタではあるのだが、改めてここに書いておきたい。

 ジュディス・リバー層では実のところ商業的な化石の発掘がわりあい盛んに行われており、断片的ではあるものの興味深い恐竜化石が時おり市場に上がってきた。そんな中で、1993年に商業産地からスティラコサウルスらしき角竜のボーンベッドが発見されたのである。
 この角竜のボーンベッド(以下、マンスフィールドのボーンベッド)から産出した骨格はいずれも完全にばらけており、様々なサイズの個体を含んでいた。そして発掘が進むにつれ、スティラコサウルスのフリルの「スパイク」と思われていた骨はどうも長い上眼窩角であることが明らかになった。ジュディス・リバー層産で長い上眼窩角をもつ角竜――謎に包まれたケラトプスのボーンベッドの可能性が出てきたのである。とはいえ、ケラトプスとこのマンスフィールドの角竜を厳密に比較することが困難であったことは言うまでもなく、公にはマンスフィールドの角竜は名無しのままであった。
 マンスフィールドの角竜の発掘は順調に進み、フリルがかなり不完全とはいえ頭骨各部の要素も集まったことで、カナダ・フォッシルはかなりの要素を実物標本で構成したマウントを制作した。頭骨にもふんだんに実骨が入れられたこのマウント――“Leona”――は、福井県立恐竜博物館に「カスモサウルスの一種Chasmosaurus sp.」として売却された。長い上眼窩角はカスモサウルス亜科の典型的な特徴であったが、実のところカスモサウルスの上眼窩角はこれほどマッシブで長くはなかったし、側方へ大きく張り出すこともないのであった。

(1996年にペンカルスキ―とドッドソンによってアヴァケラトプスの再記載がおこなわれ、成体と思しき標本MOR 692(アヴァケラトプスの成体とみなすかについては未だに定まっていない。時代はどうもホロタイプより数百万年新しいようだ)がケラトプス様のやや長くカーブした上眼窩角をもっていることが報告された。アヴァケラトプスはケラトプス科の最基盤――セントロサウルス亜科とカスモサウルス亜科が派生する以前の段階に置かれ、とりあえずカスモサウルス亜科でなくとも目立つ上眼窩角を備えうることが示されたのだが、この辺り“Leona”の制作にはタイミング的に間に合わなかったようである。)

 2001年になり、国境を越えた先のアルバータで事態は急変した。オールドマン層最下部――マンスフィールドのボーンベッドと対比できる層準――で、長い上眼窩角を備えた角竜のほぼ完全な頭骨(左右方向から壮絶に押しつぶされており、その後の混乱の一員となった)が発見されたのである。この標本TMP 2001.26.1のフリルは紛れもないセントロサウルス類のそれであった。
 マンスフィールドのボーンベッドから産出した角竜化石(のうちで目ぼしいもの)はTMP 2001.26.1とよく似た特徴(長くマッシブな上眼窩角、ごく低く、前後に長い鼻“角”、粗面をもつマッシブで大きなホーンレットと“タブ状”の小さなホーンレットの組み合わせ)を保持しており、その産出層準も相まってTMP 2001.26.1と同じ(新)種に属する可能性が考えられた。かくして2007年にTMP 2001.26.1をホロタイプとしてアルバータケラトプス・ネスモイが記載・命名されたのである。マンスフィールドのボーンベッドから産出した標本も同種とされ、ひどく変形していたTMP 2001.26.1のフリルの復元の参考とされたのであった。カナダ・フォッシルは適当なサイズの標本を組み合わせて新たに(今度はアルバータケラトプス名義で)2体分のパーツを確保し、とりあえず1体(“Mary”)がワイオミング恐竜センターに売られていった。

 ここまではよかったのだが、再検討の結果マンスフィールド産のフリルの断片の形態がTMP 2001.26.1とはだいぶ異なるらしいことが明らかになった。TMP 2001.26.1が頭頂骨に5対のホーンレットをもつ一方で、どうもマンスフィールド産の頭頂骨には3対しかなさそうだったのである。マンスフィールド産の頭頂骨には一つとして完全なものはなかったのだが、それでもホーンレットは3対しかなさそうであった。一般にセントロサウルス類は頭頂骨に5対以上のホーンレットをもっており、マンスフィールド産の頭頂骨はその点妙であった。頭頂骨のホーンレットが3対といえばしばしばカスモサウルス類にみられる特徴であり、故にマンスフィールド産の頭頂骨WDC-DJR-001をホロタイプに、カスモサウルス類の新種としてメデューサケラトプス・ロキイが設立されたのだった。
 が、マンスフィールド産の標本のうち、多少なりともカスモサウルス類と言えそうな特徴の確認できる要素は頭頂骨(の断片)だけであった。残りの要素には明らかなセントロサウルス類の頭骨の断片――例えば前上顎骨や鱗状骨――が含まれていたのである。一方で、マンスフィールド産の要素に基づいて組み立てられた骨格はセントロサウルス類としては妙に大きなものでもあった。パキリノサウルス並みのサイズだったのである。

 「アルバータケラトプスの復元画」のフリルがことごとくメデューサケラトプスのホロタイプを参考としたものであったことも相まって、メデューサケラトプスの命名された2010年以降、だいぶ派手な混乱が生じることになった。こうした背景もあって筆者はかつて散々メデューサケラトプスについて書いたりもしたわけである。2013年にはロングリッチが頭頂骨―鱗状骨関節の構造に注目してメデューサケラトプスがセントロサウルス類である可能性を指摘したのだが、依然として標本はごく断片的なものが知られているだけであった。
 こうした混乱が生じるのは当然予想されたことで、2011年の夏を皮切りにマンスフィールドのボーンベッドの(今度は学術的な)発掘が再開された。その結果、フリルの断片や上眼窩角といった新標本が続々と発見されたのである。新たに発見されたフリルの断片は、メデューサケラトプス(のホロタイプ)が実際には5対のホーンレットを持っていることを示していた。また、再発掘でもカスモサウルス類と断定できる要素はとうとう産出しなかったのである。
 新標本を加えて復元されたフリルの形態はまごうことなきセントロサウルス類のものであり、ここにメデューサケラトプスが(結局)セントロサウルス類であること、そしてマンスフィールドのボーンベッドから産出した角竜が(おそらく)全てメデューサケラトプスに属することが明らかになった。つまり、マンスフィールド産標本(のみ)に基づき組み立てられた復元骨格――福井県立恐竜博物館の“Leona”とワイオミング恐竜センターの“Mary”(そして“Amer”と名付けられた組み立て中の骨格)は「完全に」メデューサケラトプスだったのである。

 再記載の結果、メデューサケラトプスはそんじょそこらのカスモサウルス類より巨大な上眼窩角を持っていることが明らかになった。系統解析の結果(予想通りというべきか)、メデューサケラトプスはアルバータケラトプスともどもナストケラトプス族よりは派生的な基盤的セントロサウルス亜科に位置付けられ、この当時(7900万年前ごろ)すでにアルバータケラトプスやメデューサケラトプス、ウェンディケラトプスといった多様な(基盤的)セントロサウルス類がアルバータ南部~モンタナ北部の限られた範囲に存在したことが示されたのである。
 また、アルバータケラトプスの原記載時にマンスフィールド産の頭骨としては最も完全なものとして記載された標本WDCB-MC-001が、実のところマンスフィールドのボーンベッドから産出したわけではないらしい(その近くで産出したのは違いないのだが)ことも明らかになった。同サイズのマンスフィールド産の標本と比べて上眼窩角が著しく短いこともあり、WDCB-MC-001はひとまずM.ロキイとはみなされないこととなった。アルバータケラトプスとウェンディケラトプスの例を見るにつけ、M.ロキイとは別種の可能性も十分考えられるところである。

 どうにか「悪夢」は終わった――アルバータケラトプス―メデューサケラトプス問題は一応の解決を見た――が、しかし依然としてジュディス・リバーの角竜に残された謎は多い。結局のところ、カンパニアンのケラトプス科角竜の実態がはっきりしているのはジュディス期――カンパニアン中期から後期の初頭に相当――の、それも後半のアルバータに限られているのである。アメリカ最初の恐竜発見の舞台となった荒野には、まだまだ怪物たちが眠っているのだ。

 本記事を書くにあたってひろくんから資料提供を、骨格図/頭骨図を描くにあたってトロント大の千葉謙太郎さんに様々なアドバイスをいただきました。ありがとうございました。