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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

とかげシールド

イメージ 1
↑Composite skeletal reconstruction of Sauropelta edwardsorum.
Based on AMNH 3032 (holotype;
pelvis, pes, distal caudal series, shoulder spike),
AMNH 3035 (skull, cervical series, cervical armor),
AMNH 3036 (dorsal-sacrum-caudal series, most of limbs,
most of dermal armor),
YPM 5178 (cervical half-ring), and YPM 5179 (scapulocoracoid).
Scale bar is 1m for AMNH 3036.
 
 先日ナショナルジオグラフィックに取り上げられ、「奇跡の恐竜化石」として話題をさらった「サンコア社のノドサウルス類Suncor nodosaur」は記憶に新しい。とりあえず近いうちに命名(だけは)されるのではないだろうかと筆者は勝手に思っていたりするのだが、とりあえず今後しばらくはこの標本の研究で賑やかになることだろう(と思っていたら案の定記載され、サンコア社のノドサウルス類は晴れて新属新種ボレアロペルタ・マークミッチェリBorealopelta markmitchelliとなった)。
 賢明な読者の皆様には言うまでもないことだが、この「サンコアのノドサウルス類」は(これまで知られている恐竜化石の中で最も生々しいもののひとつではあるが)決して(あらゆる意味で)完全な化石ではない。上下方向にかなり「しぼんで」おり、また下半身がごっそり失われている。それでも、この標本が様々な意味で極めて重要であることについて改めて書くこともないだろう。
 さて、ボレアロペルタの年代は1億1000万年前(白亜紀前期アルビアンの前期)とされているのだが、それとほぼ同時代、少し南――モンタナとワイオミングにまたがるはクローヴァーリー層、リトル・シープLittle Sheep部層とその上位のハイムズHimes部層(アプチアン後期~アルビアン前期;1億1500万年前~1億850万年前ごろ)からも、よく保存されたノドサウルス類が知られている。例によって前置きが長くなったが、サウロペルタ・エドワーズオルムSauropelta edwardsorumについて適当に書いておきたい。

 クローヴァーリー層から見つかる他の大多数の恐竜と同様、サウロペルタの「下積み」は長い。1930年代のブラウン隊による遠征によって複数の部分骨格――うち2体はよく関節――が発見され、展示用にマウントされるとともに新属“ペルトサウルスPeltosaurus”(サウロペルタとは単語の順序が逆になっている)として記載準備が進められた――のだが、どういうわけか出版されることはなかった(ブラウンによる草稿は現存しているようだ)。
 それから30年が過ぎ、オストロム隊による60年代の輝かしい遠征の際に新たに多数の「アカントフォリス類」の化石が発見されたことで、AMNHの部分骨格――中でもAMNH 3032AMNH 3035AMNH 3036はようやく日の目を見ることになった。やたら長いスパイクの残っていたAMNH 3032が新属新種サウロペルタ・エドワーズオルム(原記載での種小名はedwardsiだったのだが、その後この手の話題に抜け目のないオルシェフスキーによってedwardsorumに変更された)のホロタイプとなり、ブラウン隊とオストロム隊双方によって発見されたその他多数の標本がこれに続く格好となったのである。
 その後、1970年代後半にはクームズによってノドサウルス科の代表としてサウロペルタが取り上げられるようになり、着実に骨学的な記載が進められていった。

 オストロム自身は原記載の中でサウロペルタの鎧の復元について突っ込んだ言及は避けたのだが(このあたりあとで詳しく記載する気があったのかもしれない)、そうはいってもAMNH 3035は首の鎧が、AMNH 3036は胴から尾の前半にかけての鎧がよく保存されており、これを復元しない手はなかった。スミソニアンデンヴァーなど、当時第一次リニューアルを進めていたアメリカ各地の博物館で「復元仕事人」として名を馳せていたカーペンターがこれに目を付けないはずはなく、サウロペルタの骨格および鎧の復元1984年に出版した。ブラウンによる派遣から半世紀を経て、ここにサウロペルタの今日よく知られた復元像が示されたのである。カーペンターはまた、ブリティッシュコロンビアの下部白亜系から知られていた「角竜の足跡」テトラポドサウルス・ボレアリスTetrapodosaurus borealis(生痕種)がサウロペルタの足跡である可能性をも指摘し、サウロペルタの復元図に描き入れたのだった。

 その後サウロペルタの骨格図はポールによって詳細に描き直され(カーペンターの復元図はある種極めて概念的なものだった)、また首のハーフリング(や頭骨など)については1998年に再記載が行われ、1つのリングに大きな皮骨が(2対ではなく)3対関節することが明らかになった。こうしてサウロペルタの姿がかなりはっきり定まった――ところに、今回のボレアロペルタのミイラ化石の発見というわけである。
 これまでのサウロペルタの復元で「肩棘」は首のハーフリングのすぐ後ろ、正中線から数えて2番目の首棘列に続く場所に、斜め上を向くように置かれていたのだが、実のところこれには特段根拠があるわけではない(「自然な」位置ではあるのだが)。ボレアロペルタではよく発達した肩棘が体の側方に向かって伸びており、サウロペルタの肩棘も同様の位置・方向にあったと考えてもよさそうだ。

 ノドサウルス類の中では今なお有数の完全度を誇るサウロペルタではあるのだが、それでもその姿には謎が残されている。ボレアロペルタは、サウロペルタやシルヴィサウルス、パウパウサウルスそしてノドサウルスといった白亜紀前期~中ごろのノドサウルス類について考えていく上でも大きな意義を持っているのである。

(ボレアロペルタの鎧の形態は、基本形こそ同じではあるが、実のところサウロペルタとは少々趣が異なっている。胴体の鎧の形状はたっぷり1000万年新しいノドサウルスと似ているフシもあり、色々と興味深い。)