ペンタケラトプスといえば、わりあいに昔から恐竜図鑑の角竜のページを飾っていた。ここ4、5年で激増した角竜(特にケラトプス科)だが、このあたりの「古典派」はやはり落ち着くものである。
もっとも「古典派」とはいうものの、ペンタケラトプスはトリケラトプスやトロサウルスと比べればずっと後になって発見された恐竜である。ペンタケラトプスが発見された1920年代―――暗黒時代までもうすぐ―――、すでにトリケラトプスやトロサウルスはよく知られた恐竜だった。
さて、ペンタケラトプスと言えば外せないのがチャールズ・ヘイゼリアス・スターンバーグである(なんといってもペンタケラトプスの模式種には彼の名が入っている)。ご存じスターンバーグ一家(親父のチャールズ・ヘイゼリアスと息子のチャールズ・モートラム、ジョージそしてレヴィ)は化石ハンターとしてすでに伝説となっており、彼らの“獲物”はアメリカ、カナダ、そしてヨーロッパ各地の博物館の目玉となっていた。
1921年、カリフォルニアで暮らしていたチャールズ・ヘイゼリアス(すでに71歳)は、スウェーデンからの仕事―――本ブログではおなじみカール・ワイマンからの依頼―――を請け負った。ランス層そしてヘル・クリーク層から脊椎動物化石を採集するのである。が、なぜか彼はそちらへ足を運ぶことはせず(どうも内務長官からもろもろの許可が下りなかったもよう)、ニューメキシコのサン・フアン盆地へと向かったのだった。
それから3シーズン(~1923年)以上に渡って彼は採集を続け、最初の年から大当たりを出した。潰れているもののほぼ完全な未知の角竜の頭骨と、頭蓋を欠くもののほぼ完全な角竜の骨格である。その後も彼はパラサウロロフス2種や角竜の頭骨を掘り当て続け、スウェーデンのウプサラ大学(PMU)、ニューヨークのアメリカ自然史博物館(AMNH)、そしてシカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)へ多数の標本を提供したのだった。
最初の年(1921年)に採集された角竜の頭骨と骨格はウプサラ大へと送られたのだが、翌年以降に採集された角竜の化石はオズボーン率いるAMNHへと売却された。オズボーンはスターンバーグのためにAMNHから人員(ムックとカイセン)を送る念の入れようで、結果的に複数の頭骨と体骨格の一部がAMNHへと運び込まれたのである。
オズボーンはさっさとクリーニングを済ませ、とりあえず保存のよかったAMNH 6325の頭骨だけを記載することにした。ペンタケラトプス・スターンバーギPentaceratops sternbergiの誕生である。
(なお、AMNH 6325には体部も含まれていたのだが、案の定記載されずじまいである。原記載時の種小名の綴りはsternbergiiだったが、現在ではふつうsternbergiが用いられる。)
一方、これに先を越されたのがワイマンであった。頭骨PMU R200と首なしの骨格PMU R268のクリーニングが終わり、オズボーンに遅れること7年、ようやくペンタケラトプスの記載にこぎつけたのである。PMU R200とPMU R268双方を模式標本として、ペンタケラトプス・フェネストラトゥスPentaceratops fenestratusを命名したのであった。
PMU R268は頭蓋と肋骨、手足を欠いていたものの、それ以外はほぼ完全な状態にあった、一方のPMU R200は潰れているものの頭蓋の大部分が保存されており、これらを組み合わせることでほぼ全身が復元可能であった。かくしてウプサラ大はPMU R268にR200を元に作った模型(これの出来が悲惨である)を載せ、ペンタケラトプスの復元骨格を組み上げた。
実のところPMU R268にはPMU R200と重複する部位が保存されておらず、同じ種(さらに言えば同じ属)かは微妙であった。ただ、両者ともカートランドKirtland層からの産出であり、産地も近かったことから同じ種であると考えられたのである。
かくしてケラトプス科角竜の中でも有数の完全度となったペンタケラトプスだったが、P.スターンバーギ、P.フェネストラトゥスともに模式標本の頭頂骨の保存が悪く、フリルの装飾の実態は不明であった。
スターンバーグがAMNHに送った標本の中には完全なフリル(AMNH 1625)もあったのだが記載されず、結果としてその後しばらくペンタケラトプスのフリルの形態は(一般向けには)知られることがなかった。ラルによる角竜のモノグラフ中における再記載(1933年)でさりげなく正確なフリルの復元が示されたもののこれはあまり顧みられず、ふた昔前の図鑑でさえ「派手なトロサウルス」ふうの復元がよく見られる有様である(フリルの装飾が適当なものは未だにあったりなかったり)。
その後もペンタケラトプスの化石はちょくちょく発見され、ひっそりとP.フェネストラトゥスはP.オズボーニのシノニムとなった。フリルのよく保存された頭骨も記載され、正確な頭骨の復元も可能になった(個体間で頭骨(や成体のサイズ)にかなり差があることも示された。鼻角の長さや縁鱗状骨の数は個体によってまちまちであるらしい)。
また、頭部と体部の双方を含む標本もいくつか発見され、PMU R268がペンタケラトプスの骨格であることも(初めて)確認された。とてつもなくデカい頭骨と骨格も発見されたが、こちらは数奇な運命を(現在進行形で)辿ることとなった。
こうした発見の末、ペンタケラトプスは「南方系」の角竜であると考えられるようになった。北米西部(ララミディア)の南北で産出する恐竜化石に違いがあることは割と古くから知られていたのだが、ペンタケラトプス(属)はララミディア南部(ニューメキシコ)に特有だったのである。かくして、ペンタケラトプスはララミディア南部の環境に適応できた数少ない角竜であると解釈されるようになった。
そんなこんなで再記載もされてめでたしめでたし・・・だったのだが、最近になって思わぬ発見があった。「ニューメキシコ限定」(さらに言えばフルーツランドFruitland層上部とそれに続くカートランド層(カンパニアン後期;7550万~7300万年前)限定)だったペンタケラトプスが、ほかの州からも発見されたのである。
コロラドのウィリアムズ・フォークWilliams Fork層から産出したSDMNH 43470はかなり小さな頭骨で、明らかに亜成体(ないし幼体)である。成熟しきっていないこともあって当初は不定のカスモサウルス類(ペンタケラトプスとアグヤケラトプスに近縁)とされたが、のちに踏み込んでP.スターンバーギとされた。
コロラドからペンタケラトプスが産出することにさほど驚きはない(実際の距離はともかくとしても、隣の州である。ララミディア南部と北部の境界と言えばそうでもある)が、最近になってアルバータのダイナソー・パーク層からもペンタケラトプス属(2標本)が報告された。どちらも長らくアンキケラトプス sp.とされていたのだが、複数の研究者からペンタケラトプス/ユタケラトプスとの類似性が指摘されるようになっていたのである。
いかんせんフリルの断片がふたつだけ(組み合わせたところで上の図の通りである)なのだが、「南方系」とされていた眷属(P.スターンバーギもユタケラトプスもララミディア南部)がララミディア北部で見つかった点は重要だった。かくして、半ば無理やりペンタケラトプス属の新種(P.アクイロニウス)が命名された。また、ウィリアムズ・フォーク層の標本もP.スターンバーギではなくP.アクイロニウスに属する可能性が指摘されるようになった。
(もっとも、P.アクイロニウスがペンタケラトプス属である可能性はかなり微妙である。もっと状態のよい標本が見つかれば新属になる可能性は大いに有り得るだろう。また、未記載ではあるものの、モンタナ産のcf.ケラトプスとされている頭骨(Judith)は明らかに「ペンタケラトプス類」であり、ララミディア北部で「ペンタケラトプス類」が稀な存在だったというわけでもなさそうである。)
命名から90年以上が過ぎたが、今なおペンタケラトプスは「南方系」の角竜としてはもっともよく記載されたものであり続けている。ここ数年で賑やかになった「南方系」だが、やはり元祖は強い。ペンタケラトプスは今後も恐竜図鑑の角竜のページを飾り続けることになりそうである。
■追記■
うすうすお察しの方もいただろうが、スピクリペウスの記載に合わせてP.アクイロニウスは疑問名にされてしまった。産地的にも形態的にも、P.アクイロニウスはスピクリペウスっぽさが拭えないのである(もっとも、系統解析の結果はスピクリペウスとペンタケラトプスがかなり近縁であることを示しており、どちらにせよ…といった風もある)。SDMNH 43470は未成熟なうえに頭蓋天井が欠けているため難しいところではあるが、こちらは従来通りペンタケラトプス属にとどめておくほうが無難そうではある。