GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

動く要塞

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Composite skeletal reconstruction of Styracosaurus albertensis.
Based on CMN 344 (holotype) and AMNH 5372.
Scale bar is 1m for holotype.

 スティラコサウルスといえば古くからトリケラトプスと並んで恐竜図鑑を飾ってきた古参の角竜であり、今もってケラトプス科の代表属を2つ選べ、と言われればトリケラトプスと並んで筆頭候補に挙げられることだろう(確信)。筆者が初めて買ってもらった(当時ひとりでHGの∀なりダンバインなりを作れる程度には習熟していたので助けなしで組み立てたことは言うまでもない)ゾイドがレッドホーン(もちろんEZの方)だという話は置いておくとして、筆者としても思い入れの深い恐竜ではある。
 だいぶ前に一度取り上げた話題でもあるのだが、スティラコサウルス・アルバーテンシスの復元骨格は少ないながらも出来に恵まれている。決して発見されている化石が多いというわけでもないのだが、一方で良質な標本が複数知られており、(少なくとも今日では)よく研究された角竜となっている。骨格図を描こうと思ってずっと手を付けずにいた(深い理由はない)のだが、せっかくの機会というわけでお付き合い願いたい。

 
 20世紀初頭のアルバータでAMNHのブラウン隊とCMN(当時はカナダ地質調査所;GSC)のスターンバーグ一家、そしてROMのパークス隊が激しい(しかしそれなりに平和な)化石発掘競争を繰り広げていたことは今さら書くまでもない。スティラコサウルスのホロタイプ(「最初の標本」はもっと以前から知られていたが、いかんせんそれっぽい断片に過ぎないのでここでは書かない)が発見されたのも、発掘競争の華やかなりし1913年のことだった。
 1913年の夏、現在の州立恐竜公園でその頭骨を発見したのはスターンバーグ一家だった。角竜にしても奇怪な頭骨――フリルの端からやたら長いスパイクが突き出していた――は崖から半ば飛び出した状態で、フリルの右半分や鼻角の上半分などがごっそり失われていた(ついでに上下方向にかなり押しつぶされていた;リンク先の写真をよく見るととフリル右側の近くにシンクホールが写っており、危うく頭蓋がそっくり失われるところであった)ものの、全体としてよく保存されていた。採集された頭骨は早速オタワに送られ、いたく感動したランベはその年のうちに(頭骨裏側のクリーニングはまだ終わっていなかった)この標本NMC 344(現CMN 344)を新属新種の角竜スティラコサウルス・アルバーテンシスStyracosaurus albertensis命名したのであった。

Styracosaurusの意味については一般に「棘トカゲ」と訳されるが、ランベは単なる棘ではなく、拒馬chevaux de frise(移動式のバリケードの一種)の意味を持たせている。カナダ軍上がり(士官学校を出ている)のランベにとっては思い出深いものだったのかもしれない。)

 さて、ブラウン隊がスターンバーグ一家にやられっぱなしなはずはなく、1913年から1914年にかけてセントロサウルスミイラ化石全身骨格(未だにケラトプス科史上最高の完全度を誇る)といった凄まじい標本を発見していた。そんな中で1915年に発見した角竜の骨格AMNH 5372はほぼ全身が保存されており、椎骨がよくつながった状態の見事な化石だった――のだが、不幸にして頭骨の大半が風化で失われていたのであるとりあえず首から後ろの骨格は先述のセントロサウルスの全身骨格AMNH 5351とよく似ており、ブラウンはクリーニングの済んだAMNH 5372(の手足)をひとまずモノクロニウスの一種として記載したのだった。

(今日でもAMNH 5372の手足の図版は「セントロサウルスの手足」として見かけることが多く、注意が必要である。もっとも、手足に関して別段有意な差は見られない。)

 それからしばらくたった1935年、ROMの調査隊はスティラコサウルスの模式産地でスターンバーグ一家の掘り残し――スティラコサウルス・アルバーテンシスのホロタイプの首から後ろ(と下顎)に出くわした。スターンバーグ隊の発掘から20年以上が過ぎた結果、侵食によって崖の奥に埋もれていた残りの要素が姿を現したのである。ここにCMN 344は本性――ほぼ完全な骨格――を現すこととなった。
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↑Skeletal reconstruction of Styracosaurus albertensis holotype CMN 344.
Scale bar is 1m.

 ROM隊がCMN 344の「掘り残し」を発見したというニュースは、スティラコサウルスを掘りたくて仕方なかったブラウンの耳にも届いた。この報に刺激されてかブラウンらがAMNH 5372のジャケット(今さら首なし「モノクロニウスの全身骨格」を展示しても仕方ないということもあってか、手足以外のクリーニングはほったらかしになっていた)を開き、部分的に保存されていたフリル(ホーンレットはほとんど基部で折れていた)がどうもスティラコサウルスらしいことに気が付いたのである。
 ブラウンはROMのパークスに頼んで「掘り残し」の要素を比較用にいくつか借り受け、そして頭骨のちょっとした違い(と尾椎のわずかな比率の違い)に基づきAMNH 5372をスティラコサウルス・パークシS. parksiと命名した(元々ブラウンは“スティラコサウルス・ボレアリスS. borealis命名するつもりだったらしいのだが、思い直してパークスに献名することにしたようである)。AMNHの技術の粋を集めて組み上げられたウォールマウントには、CMN 344に基づき復元された頭骨が据えられたのであった。

(先述の通りCMN 344の吻はだいぶ上下に潰れており、AMNH 5372の頭骨のアーティファクトはそのあたりを考慮して極めて「セントロサウルス的な」吻が復元されている。もっとも、上下に潰されていたとはいえCMN 344の吻はセントロサウルス亜科としては例外的にかなり長く(他には目下“モノクロニウス”・ロウェイでしか見られない)、AMNH 5372の吻のアーティファクトにはかなり問題がある。)

 幾度かの交渉の末、1955年に「掘り残し」はCMNに移管され、CMN 344は40年ぶりに首から後ろと再会することになった。早速CMN 344は(頭骨以外容赦なく純骨で)組み上げられ、CMNの目玉展示の座に収まった。
 スティラコサウルスの化石は(ほとんどが部分頭骨とはいえ)その後も緩やかなペースで発見され続け、80年代も後半に入るとほぼ完全な亜成体の骨格や部分頭骨(科博にレプリカがあるもの等々)、ボーンベッドも発見されるようになった。その一方で、S.パークシの独自性には疑問の目が向けられるようにもなっていた。そもそもホーンレットが基部でへし折れて失われており、(C.M.スターンバーグがかねてから思っていた通り)スティラコサウルス属であるかどうかさえ疑わしい状態だったのである。
 そうした中でCMNのリニューアルに際してCMN 344は組み直されることとなり、その過程で首から後ろの骨学的な記載が行われた。AMNH 5372の行く末についてはかなり危ぶまれたものの、タンケが執念で産地を再発見した結果、「掘り残し」の中に頭骨の断片――スティラコサウルス特有のスパイクを含む――が確認され、(S.パークシは言うまでもなくS.アルバーテンシスのシノニムとなったものの)結局スティラコサウルスであることが確認されたのだった。

 頭骨の再記載もほどなく行われ、結果的にスティラコサウルス・アルバーテンシスはケラトプス科角竜の中でも詳細な骨学的記載が行われている部類となった。標本の整理が終わってみればS.アルバーテンシスの産出はダイナソー・パーク層の上部(カンパニアン中期~後期;年代については再検討の真っ最中だったりで厄介なところだが、7640万~7610万年前としておく)に限られており、セントロサウルスと入れ替わる形でアルバータに姿を現したらしい。
 発見・命名から100年以上が過ぎたスティラコサウルスだが、そのホーンレットは今なお角竜でも屈指のインパクトを誇っている。今日でも州立恐竜公園での調査は活発に続けられており、スティラコサウルスの全身骨格が姿を現す日もまたあるだろう。