GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

柳の下のなんとやら

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↑レプトケラトプス科の未定種Leptoceratopsidae indet. RTMP 82.11.1
腹側から骨格を見ている点に注意。スケールは10cm
Tanke, 2009より

 珍しく中4日空いたわけであるが、集中講義で疲れた体を引きずって帰ってみれば、無線LANがアッーしていたのである。前は回線そのものが死んだりもして、どうやら筆者はあまり無線LAN運(?)がないらしい。

 白亜紀後期、トリケラトプスに代表されるケラトプス科角竜と共に、北米でとある原始的な角竜の一派が暮らしていたことは賢明な読者の皆様はご存じのことであろう。レプトケラトプス科とよばれるグループがそれである。決して目立つ存在ではないのだが、サントニアンごろから北米でひっそりと息づいていた恐竜たちである。

 さて、白亜紀の末期、マーストリヒチアンの後期に暮らしていた最後のレプトケラトプス科角竜がレプトケラトプスLeptoceratopsそのものである。トリケラトプスと共存していたことでそれなりに有名(そんなこともない)なのだが、これとは別にもう1種のレプトケラトプス類が暮らしていたことはあまり知られていない。

 カナダのアルバータ州ウィロー・クリークWillow Creek層でブラック・ビューティーの発掘がおこなわれていた1982年のことである。調査隊はブラック・ビューティーの発掘サイトの側で妙な転石を発見した。草むらに転がっていたそれからは関節の繋がった骨格が見え隠れしており、重要な発見であることは明らかだった。やがて、クリーニングされた岩塊からは小さな角竜の骨格が姿を現した。

 骨格は頭部の前半部を欠いていたが他はほぼ完全であり、関節の大部分がつながった状態であった。尾の棘突起は長く発達しており、とりあえずcf.モンタノケラトプスMontanoceratopsとされた。あくまでも暫定的な分類だったのだが、モンタノケラトプスのホロタイプに欠けていた部分が(ある程度)保存されていたこともあり、系統解析する際にモンタノケラトプスのデータマトリクスに組み込まれたりもした。
 一方、骨格の含まれていた転石は付近の地層―――ウィロー・クリーク層―――由来だと考えられた。これはマーストリヒチアン後期の地層であり、モンタノケラトプス(マーストリヒチアン前期)とは明らかに時代が異なる。アルバータでマーストリヒチアン後期の小型角竜と言えばレプトケラトプスしかおらず、よってTMP 82.11.1をcf.レプトケラトプスとする意見も存在する。

 が、これらの意見に基本的に大した根拠はない(らしい)。最近おこなわれたモンタノケラトプスの再記載の中で、TMP 82.11.1はモンタノケラトプスともレプトケラトプスとも、ケラシノプスCerasinopsとも異なる特徴をもつことが指摘されている。一方で、保存されていた後眼窩骨や鱗状骨はプレノケラトプスPrenoceratopsと似ており、プレノケラトプスに近縁である可能性を示している。
 とはいえ年代はかなり離れており(既知のプレノケラトプス属はカンパニアン中期)、尾の棘突起が高い点も異なる。恐らくTMP 82.11.1はプレノケラトプスに近縁な、新たなレプトケラトプス科の種なのだろう。

 白亜紀の末期(厳密に言えばTMP 82.11.1の方がレプトケラトプスよりは古いようだ)に地理的に近い地域(アルバータ州南部)において2種類のレプトケラトプス類が暮らしていたということで、なかなか興味深いところである。白亜紀末期の多様性低下説をあまり筆者は信用していなかったりする。