GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ちょっと最近思ったこと

素人が酒の勢いで書く話である。延々とまとまりのない話で申し訳ないが、そのあたりは許してほしい。

 ちょっと最近思ったこと。

 恐竜に限らず、化石脊椎動物は、条件(化石の保存状態、需要、サイズなど)が揃えば復元骨格が製作される場合が多い。たいがいの場合、製作された復元骨格は研究の(一応の)締めくくりとして一般に公開されるように思う。(最近、必ずしもこの場合が当てはまらないことも多いようだが)

 完全な化石(これの定義をどうするかにもよるが)というものは存在しない。あり得ないと言っても過言ではない。多かれ少なかれ化石化の過程で情報は失われていく。二次元的ないし三次元的に骨格を復元する際にはどうしても欠落した情報を補填する必要があり、そしてその過程で元の動物の姿との間に何がしかのギャップが生じてしまうこともよくある。

 不完全な化石というものの存在が、古生物学という科学では前提条件となる。化石ありきの学問であり、化石が無ければ一歩も前に進めないことのままある学問である。―――だからこそ、不完全であることを承知で、そこから可能な限りの情報を引き出そうとするのである。

 「完全な化石(あいまいな定義だが、そのあいまいさも含めて)」が発見できれば、それに越したことはない。完全な化石があれば、復元骨格の製作における最大の障壁は乗り越えたと言ってよい。だが、「完全な化石」がそうそう見つかるものではないということは、賢明な読者の皆様にはとっくにお分かりのことだろう。

 そんなわけで、古生物学者は日々不完全な化石と格闘しているわけである。例え1本の歯であろうと、有用なデータが得られないか、ひたすらこねくり回している。

 結局大事なのは目の付け所である。貧弱な化石をただのガラクタと見るか宝の山と見るかで、その後の研究事情は大きく変わってくる。日本の恐竜事情も、そういう部分が大きい。

 たとえ歯の化石しかなくとも、定量的な解析でなにか有意な情報が得られるかもしれない。動物相の復元ならある程度のレベルまで可能だ。分布域の確認くらいには使えるかもしれない。

 復元骨格を製作するのが古生物学の全てではない(だいたい、そんなこと言ったら古無脊椎動物を扱っている人から石打ちにあうだけである)。化石の状態に応じて研究のアプローチは変わってくる(というよりは、変えざるを得ないと言った方が正確か)。「貧弱な化石」には貧弱な化石なりの使い方があるのだ。
 
 復元骨格を作ればおしまいだと思ったら大間違いである。「何の展開も望めない化石」というのは結局我々の主観によるところが大きく、例え肋骨一本でも、情報をひり出せないことはない。
 所詮日本は大陸の縁に引っ付いていた変動帯なわけで、安定陸塊な国で見つかる恐竜化石とはまず勝負にならない。だからこそ「貧弱な化石」からいかにして情報を得るかが重要となってくるわけである。

 結局のところ、我々は化石に真摯に向き合う必要があるのだろう。「たかが1個、されど1個」の化石であり、「貧弱」の一言で切り捨てるのはいかがなものかと思うわけである(もちろん、切り捨てざるを得ない場合もなくはない。ただ、切り捨てられた化石が後々波乱を呼ぶのはよくある話である)。たとえ貧弱な化石であっても、じっくり向き合えば何かを語り出すはずである。