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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

“Dinotyrannus megagracilis”

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↑LACM 23845の骨格図。スケールは1m

 このブログの読者の方であれば、“ディノティラヌス”という名前に聞き覚えのある方も多いのではないだろうか。90年代に颯爽と現れそして消えた恐竜の代表格であろう。
 前記事で少し触れたのだが、改めてLACM 23845の来歴について書いておきたい。
 1966年7月21日、ハーレイ・ガーバニはモンタナ州ジョーダン近郊にて巨大なティラノサウルスの化石に遭遇した。のちにLACM 23844として世に知られる標本(過去記事参照)である。
 さて、LACM 23844を発掘している最中の1967年、調査隊はそのすぐ側(60cm上位だとか)に別の恐竜の化石が散乱しているのを発見した。LACM 23845の標本番号を与えられた断片骨格は、ひとまずティラノサウルスの幼体だと考えられた。
 1980年になって、LACM 23845の記載がなされた。研究にあたったモルナーは本標本をティラノサウルスとはっきり区別し、アルバートサウルス類―――ヘル・クリーク層から唯一知られていたアルバートサウルス・ランセンシス(要するにナノティラヌスである)に暫定的に分類(Albertosaurus cf. lancensis)したのであった。
(興味深いことに、モルナーが論文を書きあげる前にベアドとホーナーはLACM 23845がドリプトサウルスである可能性を指摘していたりする。この時期、ドリプトサウルスは明確なティラノサウルス科である可能性が指摘されていたようだ)

 さて、それからしばらく経ち、おなじみG・ポールはLACM 23845について新説を打ち出した。A. ランセンシス(バッカーらの論文が出版される直前である)と考えるには大きすぎ、かつLACM 23845はまだ成長途上である点から、アルバートサウルス属の新種―――A. メガグラキリス命名したのである。とはいえ、さすがのポールと言えども骨格図を描くのはためらったのだった。

 またしばらく経ち、オルシェフスキー(最近全然音沙汰ないや)はLACM 23845は「涙骨にアルバートサウルス特有の『角』をもっていない」と指摘した。ここにディノティラヌスが誕生したわけである。

 しばらくは(一応?)有効名として使われていたディノティラヌスだったが、2004年になってティラノサウルスの大型幼体とされてしまった。これについてはナノティラヌス独立派もあっさり支持し、今日まで特に異論も出ていないようである。やがて、LACMのリニューアルに合わせて“スティギヴェナトル”ともども復元骨格が製作されている。

 本標本は、実質的に唯一の「ナノティラヌスと直接比較のできるティラノサウルスの化石」と言える。いくつかナノティラヌスと同程度のサイズのティラノサウルスとされる標本は知られているが、いずれも未記載であり、比較は困難である。
 LACM 23845のサイズは“ジェーン”に比較的近いようだが、涙骨や方形頬骨の形態などはかなり異なるように見える。前肢についても、ナノティラヌスと比べるとかなり短いようだ。いかんせん保存状態はかなり悪い(頭骨に比べればまだ体骨格の方がマシなようだが)が、白亜紀末期の北米におけるティラノサウルス科の多様性の研究、成長過程における骨格の変化などの研究において、かなり重要な意味をもつ標本のように思われる。タルボサウルスの標本などと合わせて、包括的な研究が望まれる。