茨城県ではわずかに中生代の地層がみられ、特にひたちなか市に露出する白亜紀後期の地層からアンモナイトやイノセラムス(二枚貝)、ウニの仲間が知られている。最近では、「ヒタチナカリュウ」と呼ばれる翼竜化石(肩甲骨)や、モササウルス類の尾椎、スッポンの背甲も見つかっている。「茨城県産の恐竜化石」については公式な報告はなされておらず、わずかに先述の「アニマ」のほか「恐竜学最前線⑪」に記述がみられる程度である。
この記事は幸いにしてさほど苦労せず入手することができた。記事の概要などについてはひろさんのブログに説明を譲るとして、筆者なりに「茨城県産の恐竜化石」について書きたい。
福田芳生氏(90年代に結構恐竜の本を書かれてた方)が電子顕微鏡で微細構造を観察した結果、「新陳代謝の活発な骨細胞」が確認され、「骨盤あるいは肩甲骨の一部」「板状骨の大きさから外国の標本と比較すると、おそらくガリミムスのような小型のダチョウ恐竜である可能性が高い」とされるに至った。
筆者は微細構造云々に関しては門外漢であるため、立ち入った話は避ける。ダチョウ恐竜とする同定は疑問の余地が大きい(化石の外観の図示はなかった)が、微細構造は恐竜のものと考えても矛盾はしないと思われる。
ただし、恐竜化石とする同定の根拠としてそのサイズが挙げられているが、この根拠は薄い(猫くらいの大きさの哺乳類は当時でも存在していた。89年時点での日本では周知されていなかったことに留意)。
では、果たしてこの板状骨片は恐竜化石―――非公式な報告ながら、茨城県では初となる―――なのだろうか。筆者の考えるところでは「否」である。
この板状骨片の産地に関する記述は大雑把なものだ。しかし、非常に重要な記述を含んでいる。
“大洗の陸成層から骨のカケラが見つかった”
(アニマ206号、p.44より引用。傍線部は筆者)
茨城県の大洗の近くには、特筆すべき地層が2つ存在する。平磯海岸(大洗海岸とは那珂川を挟んで対岸に位置する)付近に露出する「那珂湊層群Nakaminato Group」と大洗海岸付近に露出する「大洗層Oarai Formation」である。
上述のアンモナイト化石は那珂湊層群の特に「平磯層Hiraiso Formation」(那珂湊層群の下部にあたる層、カンパニアン後期)から産出する。ヒタチナカリュウやモササウルス類は「磯合層Isoai Formation」(那珂湊層群の上部を構成、マーストリヒチアン前期)から産出している。那珂湊層群は海成層である。
大洗層は陸成層(河川堆積物)とされていた時期がある(現在では、かなり海の要素が入るとされている)。そして、大型植物化石の産出が知られている。
大洗層から産出する植物化石にはベネチテス類(白亜紀末に絶滅した植物)が含まれているとされており、比較的近年まで白亜紀後期の地層であると言われていた。しかし、1970年代からたびたび時代を疑問視する声が上がっていた(花粉化石には白亜紀の要素がみられず、ベネチテス類を除いては白亜紀特有の植物が発見されていなかった)。最終的に、「大洗層を構成する礫岩の一部は6400万年前(古第三紀)に形成されたものである」ことや、「大洗層のベネチテス類は単なるソテツ類の誤認である」ことが確認され、大洗層は新生代の地層であることが確実視されるようになった。(詳細な年代は不明。古第三紀とも断定できず、新第三紀の可能性すらあるようだ)
板状骨片を恐竜化石として同定した根拠は
①白亜紀後期の地層から見つかった
②骨片は比較的大きい
③「新陳代謝の活発な骨細胞」がみられる
以上3点である。うち、①に関してはおそらく誤りである。また、②と③に関しても、(白亜紀後期という時代が正しかったとして)必ずしも恐竜のみの特徴ではない。年代が古第三紀ないし新第三紀ならば、②と③を元に恐竜として同定することはできない。
◆追記◆
骨片の産地は、やはり大洗層であった。従って、この骨片が恐竜化石でないことはほぼ確実である。