とっくに春であり、部分的にはすでに夏である。筆者はこの季節が一番好きらしいというのはどうでもいい話で、かれこれ丸2年になる刊行計画は最後のヤマを迎えつつある。
筆者がポールの骨格図を初めて見たのは相当に昔の話になるが、初めてポールの本――恐竜骨格図集ときちんと向かい合ったのは中学生のころ(やはり相当に昔である)になる。図書室ではなく談話コーナーに半ば打ち捨てられていたそれのカバーはとうの昔に失われており、表紙がもげかけている代物でさえあった。とはいえ中学生の心に「全盛期の」グレゴリー・ポールの語り口はよく刺さるものであり、この時期石粉粘土(ファンドではなくラドール派だった)の味を覚えた筆者は、90年代から続く伝統的な手法――骨格図を切り刻んで模型の芯にするやり方に手を出したのである。
高校生になり、英語でググるという賢しいだけの子供になった筆者は、適当な地域の恐竜相の面子を統一スケールの模型で揃えるという大それた野望を抱くようになっていた。高校の図書館には美品の恐竜骨格図集が入っており、とりあえず目ぼしいページをコピーした筆者であったが、ここで(トリケラトプスの添え物という関係上)テスケロサウルスの骨格図をどうにかして調達する必要に駆られた。「キロステノテスの骨格図」――まだアンズーが命名される前の話である――はスコット・ハートマンのものがいくらでも見つかったが、テスケロサウルスのそれはゴジラ立ちのもの――原記載の図であったということに気付くのはまだしばらく先である――しか見当たらず、そしてそれはあからさまに頭骨が未発見の時代に描かれたものであった。かくして筆者は覚悟を決め、(画像加工ソフトの持ち合わせも何もなかったので)プリントしたゴジラ立ちの骨格図を少しずつ回転させながらトレースし、頭骨(といくらかの頸椎)を描き足してから(ミリペンすら持っていなかったので)ボールペンで清書した。かれこれ13年前の話である。
さて、ポールの骨格図は、登場した当時――恐竜ルネッサンスの激しい熱の中にあった80年代後半にあってさえ、驚くほど過激であった。グラフィカルな主張が強いとはいえ描画手法そのものはガルトンやラッセルによる伝統的な骨格の模式(的かつ正確な)図とバッカーによる黒塗りシルエットの組み合わせでしかなかったのだが、近縁種に対する徹底的な注意と大胆な「素材」の組み合わせは本職の研究者をうろたえさせるのに十分だったのである。コルバートによる相当にアバウトな図しか出回っていなかった当時にあって、ポールによるコエロフィシスの形態の「予言」――ポールは“シンタルスス”をもってコエロフィシスの骨格を徹底的に補完した――は、コエロフィシスのクリーニングにあたっていたプレパレーターを驚愕させたというのだが、これこそがポールの骨格図をロックンロールたらしめるところであった。大胆に過ぎることもしょっちゅうだった(「ポール式分類」には多少なりとも先見性が含まれていた部分もあったが、ともあれ本職から歓迎されることはほとんどなかった)が、それでもポールのロックは研究者たちを震わすに十分だったのである。
The Princeton field guide to dinosaurs――海外でも何年かぶりとなるポールの新刊が発売されたのは、筆者が恐竜骨格図集の目ぼしいページをコピーしてからさほど間を置かずしてのことであった。果たして恐竜骨格図集(そもそも原語版は発売されておらず、ジュラシック・パークに浮かれていた中にあっても当時の日本の恐竜ブームの異常過熱ぶりがうかがえる)の増補改訂版のようなものを想像していた(ついでによくわからず出版社違いのUK版も一緒に買った)筆者は少なからず衝撃を受けた――連発される「ポール式分類」、つまり100%濃縮還元のポールの本と向かい合うのはこれが初めてだったのである(肉食恐竜事典を買うのはもう少し後の話だった)。
とはいえ「ポール式分類」のなんたるかは上述の通りよく語られていた話でもあった。筆者をわりあいに打ちのめしたのは骨格図そのもの――ポールの命たるそれだったのである。恐竜骨格図集、あるいはそれ以前からポールの代表作として知られていた作品と、明らかにここ数年(=2000年代)で描かれたものとであからさまに出来が違っていたのだった。新鮮さあるいはハングリーさのようなものが後者にないのは当然としても、老獪さのようなもの――長年のキャリアで熟成されるであろうものさえそこには何もなかったのである。
ポールの奏でるロック――研究者にすら再考を突きつける骨格図――に惹かれた筆者だったが、その時にはすでにそれは過去のものになっていたらしかった。ロックは死んだのである。
第2版はなおのことロックの死のなんたるかを突きつける本であった。初版に残っていた往年の輝きは少なからず削除され、わりあいに無惨な「新バージョン」へ差し替えられていたのである。とはいえ依然としてこの本は骨格図付きの恐竜の本としては(今日でも)もっとも網羅的なものであった。そこの歯がゆさのようなものは散々に書いてきた通りでもあるし、ましてその邦訳を福井県立恐竜博物館のスタッフが、となれば(邦訳の関係者の責では全くないのは言うまでもないが)なおのことである。
2000年代に入るとポールのほかにも様々な「ポール式」骨格図が現れるようになっていた。先に挙げたハートマンなどはその筆頭ではあったのだが、それらの骨格図は結局のところ「ポール式」ではなかった。ロックを奏でるうえでの約束事――肉食恐竜事典や恐竜骨格図集に注記されている――は、そうしたポールのフォロワーたちや、当のポール本人にさえ守られることはなく、かくしてそれらの骨格図は概念図と言えるかも微妙な代物へと育っていったのである。
これらの骨格図は、ロックがどうのこうのは別としてポールの骨格図が元来持っていたはずの「うれしさ」(業界用語)は一切合切失われていた。全盛期のポールが削り出すようにして描いていた化石のラインはそこには残っておらず、そして骨格要素の寸法も何も実際とかけ離れたそれは、事実上何者の骨格図でもなかったのである。そしてポールの骨格図では究極的には添え物でしかない黒塗りシルエットの話をしたところで、そこに意味は何もなかった。
このころ暇を持て余した筆者は、造型はやめてマイナーどころの骨格図を濫造する方向に舵を切っていた。濫造とはいえマイナーどころのチョイスの評判はわりあいによかったらしく、またマイナーどころを描くためにメジャーどころ――かつてポールが描いていたものたちを筆者なりにアップデートすることもしばしばであった。果たして骨格図は積み上がり、ついでに骨格図のおまけで集まってきたもろもろの書き綴りも珍しがられ、色々なところから声をかけていただける身分にはなっていたのである。
このあたりの話は本ブログの古参読者の方には見ていただいていた通りである。かくして筆者の描いた骨格図は様々なところで使っていただける運びとなったが、これはまさしくポールの骨格図――全盛期のそれの愚直な手法を引き継いだものであった。
もちろん、ポールの全盛期――80年代後半から90年代と今とでは、時代が全く異なる。研究は飛躍的に進み、そして資料は比べ物にならないほど豊富に、かつ大半はたやすく手の届くところに置かれているのだ。であればこそ先駆者(ポールだけに限らない)の手の届かなかったところまできちんとさらってみせるのがなによりの敬意の表し方であるし、その中で改めて先駆者の偉大さに震えるところでもある。ポールの骨格図が世に出て30年以上が過ぎた今なお、――3Dモデルを組み上げた復元画像が論文に掲載されるようになってなお、本来の「ポール式」骨格図はまだ一定の「うれしさ」を留めているのだ。
いつも通り、ここまでがすべて前置きである。かくしてすったもんだの末に(裏で渦巻いていたもろもろの策謀はそのうち話す機会もあるだろう)筆者は本を書くことになり、特に悩みもせずにそのままのタイトルを選んだ。少なくともポールほどロックを奏でる腕はないし奏でる気もないのだが、しかしそれでも無我夢中でむかわ竜の骨格図を描くうち、クライアント――本書の監修に入っていただいた――にはなにかしらを与えることができたらしい(絵描きの戯言と思わず耳を傾けてくれたということでもある)。
科学を加速させるのが古き時代のサイエンスイラストレーションであったし、今日でもそれは変わらないはずである。ロックはもう死んだきりかもしれないが、だとして筆者はただ藪を漕いでいくだけである。
(物量を重視した本を作るつもりではなかったのだが、とはいえ恐竜の目ぼしいグループをカバーしつつ、かつ近しいうちでのプロポーションの違いも押さえようとした結果、A4変型判で152ページ、全177種というそれなりのボリュームとなった。ろくに描いていなかったグループをことごとく描いたということでもあり、なんだかんだ描きおろしも結構な割合である。まともな復元が事実上全くなされていなかったグループも(様々な思惑のもと)一挙に描いていたりもして、このあたりはぜひ楽しみにしていただきたい。同人誌よりも安くて大ボリュームな商業作品というのもなかなかな気はするのだが、とはいえ実際よくある話であろう。)