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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

第三次継承権戦争

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Chilantaisaurus tashuikouensis (holotype IVPP V.2884.2 –7; upper row)

and  Siats meekerorum (holotype FMNH PR 2716; lower row).

Scale bars are 1m.

 

 白亜紀“中期”(いわゆるガリック世――バレミアンからチューロニアン)、とりわけセノマニアンからチューロニアンは、白亜紀前期型から白亜紀後期型へと恐竜相の一大転換が起こった時期である(ジュラ紀/白亜紀境界での変化は実のところ比較的ゆるやかでもあるようだ)。白亜紀前期に猛威を振るったカルノサウリアは12m級のものを連発する一方(少なくとも記録上は)スピノサウルス類は唐突に姿を消し、アークトメタターサルを備えたコエルロサウリア――もはや小型ではなくなりつつある“中間型”ティラノサウルス類を含む――が表舞台へと躍り出るころである。鳥盤類もハドロサウルス様類やケラトプス様類の出現、アンキロサウルス科やノドサウルス科の前期・後期メンバーの交代と枚挙に暇がない。
 鳥盤類は比較的恐竜相の転換について詰めて論じることができそうなのだが、一方で獣脚類は厄介である。南米の状況は比較的わかりやすいが(ヨーロッパはそもそも取り付く島がない)、アジアと北米は一筋縄ではいかないようである。カルノサウリアに混じって、怪しげかつ馬鹿でかい――10mを優に超える分類不詳の獣脚類が頂点捕食者として君臨していたらしいのだ。

 

 モンゴル高原――(外)モンゴルと内モンゴルに恐竜の名産地が点在していることは言うまでもない。中国・ソ連の共同調査隊は1959年から60年にかけて内モンゴル西部のアラシャン砂漠へと乗り込み、烏梁素海Ulansuhai層(チューロニアン?;後述)で様々な恐竜化石――巨大な鎧竜(のちのゴビサウルス)、ほぼ完全な鳥脚類、そして部分的だが保存良好な複数の中~大型獣脚類を得た。

 これらの化石は例外なく数奇な運命を辿ることになるのだが、いまだ謎のベールに覆われた大型獣脚類が、チランタイサウルス・タシュイコウエンシス――10m超級の“メガロサウルス類”であった。

 1964年に烏梁素海層産の獣脚類を記載するにあたり、胡はこれをひとつの属――チランタイサウルスとして命名した。模式種C.タシュイコウエンシス(模式標本には要素ごとに別のナンバーが振られているが、同一個体とみて間違いないだろう)は腸骨の断片と頑丈な四肢――異様な三角筋陵をもつ上腕骨ややたらごつい末節骨を含む――からなっており、大腿骨の長さからしティラノサウルス並みの大型獣脚類――当時知られていた中国の恐竜としては最大のものであった。もう一つの種であるチランタイサウルス・マオルトゥエンシスChilantaisaurus maortuensisは部分的な頭骨と軸椎、いくつかの遠位尾椎(これらもそれぞれ別ナンバーが振られているが、大方同一個体とみて間違いない)からなっており、実のところ両者を同じ属とみなす根拠は特に何もなかった(違う種とするのもそれはそれですんなりいかない状況であるのだが)。

 なんだかんだでC.タシュイコウエンシスにせよC.マオルトゥエンシスにせよ独特の形態はみられたのだが、“伝統”に従ってチランタイサウルス属がメガロサウルス科にぶち込まれたことで事態は悪化した。1979年になり、薫は浙江省の塘上Tangshang層(白亜紀後期;時代不詳)で発見された獣脚類の断片を(C.タシュイコウエンシスと似た末節骨をもつことから)チランタイサウルス・ジェージャンゲンシスC. zheziangensisとして記載・命名したのである。ダメ押しにホルツらがうっかり“アロサウルス・シビリクスAllosaurus sibiricus”(ベリアシアン~オーテリビアンの産という珍品である)まで含めたことで、チランタイサウルス属は完全なゴミ箱分類群となった。

 

 烏梁素海層の時代は文献によって混乱が生じている。胡による原記載では烏梁素海層はちょうど白亜紀前期・後期にまたがるものとなっており、C.タシュイコウエンシスは白亜紀後期、C.マオルトゥエンシスは白亜紀前期のものとされた。その後の研究で烏梁素海層はもっぱらアプチアン~アルビアンとされた一方、烏梁素海層に不整合で覆われる下位層では1億4600万~9200万年前(チューロニアンの中頃)という絶対年代が玄武岩から得られている――というのは90年代の話で、最近の研究ではこの絶対年代は1億4600万ないし1億4100万~1億900万ないし1億800万年前(アルビアン)に修正されているようだ。このところの文献では烏梁素海層の時代はざっとチューロニアンとされていたわけだが、最近の情勢を踏まえるに、もう少し古い可能性はありそうなところである。ゴビサウルス段階のアンキロサウルス類がいなくなって久しいバイン・シレBayn Shireh層からとりあえず9000万年前という絶対年代が得られている現状、烏梁素海層はセノマニアン~チューロニアン前期くらいの位置付けでよいのかもしれない。
 一方で烏梁素海層ではプロトケラトプスと思しき角竜の産出も知られており、時代論の混乱に拍車をかけている。単に烏梁素海層の堆積期間が長かっただけというなら話は単純なのだが、このあたりの層序学的研究はまともに進んでいないようである(バヤンマンダフのあたりまで烏梁素海層の露出域とする場合さえあるようだ)。シノルニトミムスの原記載ではプロトケラトプスの産出をもって烏梁素海層をカンパニアンとしているが、シノルニトミムスの産出層準がカンパニアンかどうかはまた別の話である。

 

 そうは言っても、これだけのゴミ箱がずっと手付かずだったわけではない。1990年には(The Dinosauriaの初版にて)“チランタイサウルス”・ジェージャンゲンシスがまごうことなきテリジノサウルス類である可能性が指摘された。薫の記載した大きな末節骨は手ではなく足に由来するものだったのである。この意見は今日に至るまで追認され続けており、“チランタイサウルス”・ジェージャンゲンシスはテリジノサウルス類とみて間違いない。
 “チランタイサウルス”・マオルトゥエンシスについても90年代からC.タシュイコウエンシスとは完全に切り離して論じるべきという風潮が強くなっていた。チューレは2000年の博論(当然未出版である)にてこれに“アラシャンサウルスAlashansaurus”というややこしい(非公式の)属名を与え、何を思ったかラボカニアの近縁種とみなした(結果、ラボカニアもろともアークトメタターサリアに置いた)。2009年になって(チューレも含めたグループによって)本種はシャオチーロンShaochilongの属名を正式に与えられ、栄えあるアジア産カルカロドントサウルス類第1号として再記載された。
 “アロサウルス・シビリクス”は何しろ第II中足骨の遠位端だけ(しかもC.タシュイコウエンシスとは特に何も似ていない)ということもあって今日では一般に顧みられないが、どうもメガラプトラのそれと関節面の形状が酷似している。
 そんなこんなで残されたチランタイサウルス・タシュイコウエンシスだったが、結局これが最も厄介な代物であった。既知の獣脚類のどれとも似ていないのである。

 

 原記載でメガロサウルス科とされたチランタイサウルス・タシュイコウエンシス――正真正銘のチランタイサウルスだが、そのままで済むはずは当然なかった。80年代も後半を過ぎればポールやモルナーらはこれを(ティラノサウルス科へと続く)アロサウルス上科へと置き、ハリスは1998年のアクロカントサウルスの再記載において派生的なアロサウルス上科(この場合ティラノサウルス科は含まない)――ネオヴェナトルやアクロカントサウルスと近縁とした。が、ハリスの解析はC.タシュイコウエンシスと“C.”マオルトゥエンシスを混ぜて行ったものであり、その後の研究でばっさり切り捨てられることになった。
 チューレやラウフットは前肢の特徴(上腕骨のカーブが弱い+末節骨がデカい)に基づき、本種をメガロサウルス上科に置いた。ラウフットはさらに突っ込んで、チランタイサウルスをスピノサウルス科の姉妹群とした――が、ベンソンらによる再記載でこれは退けられた。
 2008年に行われたベンソンらによる再記載でもチランタイサウルスの系統関係ははっきりしなかった――メガロサウルス上科には入らなさそうだった一方で、アロサウルス上科にもすんなり含められそうになかったのである。悩んだ挙句にベンソンと徐は、ジュラ紀中期に出現した原始的なアヴェテロポーダ(=メガロサウルス上科よりも派生的な獣脚類)の生き残りでさえある可能性を述べる始末だった。

 

 風向きが変わったのは、ベンソンらによる2010年の研究――メガラプトラの提唱であった。チランタイサウルスはいくつかの細かな特徴をフクイラプトルやアウストラロヴェナトルと共有しており、系統解析の結果基盤的なネオヴェナトル類――メガラプトラのすぐ外側に置かれたのである。
とはいえ、これに対する反論も根強い。チランタイサウルスは他の(明らかな)メガラプトラと比べてずっと巨大かつマッシブであり、長骨の基本形はメガラプトラとは似ても似つかない代物ではあるのだ。

 似たような状況はシアッツ――ティラノサウルス科出現以前のものとしては目下北米最後の大型肉食恐竜――にもいえる(特別にチランタイサウルスとシアッツが近縁というわけではないようだが)。明らかな亜成体でありながら全長10mを優に超えるこの恐竜はシーダー・マウンテンCedar Mountain層の最上部、マッセントゥフィットMussentuchit部層上部(セノマニアン前期;ざっと9900万年前ごろ)からの産出で、(チランタイサウルスよりも派生的な)メガラプトラとして記載された――が、そもそもの標本がわずかな椎骨と腰帯の断片にほぼ限られるということもあり、受けはあまりよくない。
 結局、チランタイサウルスにせよシアッツにせよ、いまだに系統的な位置付けはおぼつかない。どちらも現状ではなにかしらのアロサウロイドとしておくのが「無難」なようではある。

 

 烏梁素海層にせよシーダー・マウンテン層の最上部にせよ、これらの獣脚類が頂点捕食者として君臨していたころにはすでに“中間型”ティラノサウルス類が中小型獣脚類としてのさばっていた可能性がままある。烏梁素海層ではシノルニトミムス――アークトメタターサルを備えたオルニトミモサウルス類としてはアーケオルニトミムスと並んで最古級の可能性がある――が産出しており、なにかしらの“中間型”ティラノサウルス類の存在を匂わせている。シーダー・マウンテン層ではマッセントゥフィット部層よりも下位からモロスが産出しており、マッセントゥフィット部層にも“中間型”ティラノサウルス類がいたのはたぶん確かだろう。
 系統的位置付けの混乱しているチランタイサウルスではあるが、今さらシャオチーロンのシニアシノニムになることはなさそうだ。もっとも、胡が原記載で示したようにチランタイサウルスとシャオチーロン(とりあえず全長8mといったところで、チランタイサウルスと比べればだいぶ小さい))とでは産出層準が異なるようでもあり、烏梁素海層で両者が共存していたかどうかは現状不明でもある。
 チューロニアンからコニアシアンそしてサントニアンにかけてのどこかで頂点捕食者の転換が起こったのは間違いない。コニアシアンとサントニアンが嵐のように過ぎ去った後、そこに立っていたのは9mほどのティラノサウルス科だったのである。