GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

奇跡の海

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Skeletal reconstruction of Kamuysaurus japonicus holotype HMG-1219. Scale bar is 1m.

 

 言うまでもなく全てはひとつのイベントに収束したわけである。果てしなく続くかに見えた(そして筆者もその片棒のすみっこをなでくりまわした)メディア戦略の末、むかわ竜はカムイサウルス・ジャポニクスとして記載されるに至った。発見の経緯は様々な場所で散々語られている通りであり、というわけで本ブログではそのあたりは省きつつ(白々しく)カムイサウルスのもろもろについて書き散らかしておきたい。先に断っておけば、記載論文の内容は基本的に6月に学会・報道発表されたものと同様である。

 

Zoobankに登録されているとはいえ、論文中でリンクの漏れがあったため、11月20日まで“Kamuysaurus japnocus”はnomen nudum――裸名(学名としての条件を満たしていない)の状態にあった。近年の電子媒体のみによる新種の記載・命名に伴うもろもろのICZNの規約改訂は周知が明らかに追いついておらず(今回のケースに関していえば、このあたりの不備を指摘すべき査読者・編集もそのあたりが抜けていた格好である)、実のところこうしたケースは珍しくないようだ。ホロタイプの指定やら産地情報の抜けやらといった倫理的な要素をはらみかねない問題ではなく、単なる手続き上のうっかりミスといえばそれまでの話で、従って11月20日付の「リンク漏れ訂正」の出版 をもって“Kamuysaurus japnocus”はそのまま有効名にスライドした。カムイサウルスの独自性やホモニムすなわち異物同名――かぶっちゃった結婚が疑われていたという話ではない。)

 

 カムイサウルスの時代は発見当初から、「7000万年前」(GTS 2004準拠)、あるいは「7200万年前」(GTS 2012準拠)と言われていたが、これはつまり察しのいい(というか日本の上部白亜系の生層序をかじったことのある)人なら一発でピンときた通り、カムイサウルスが蝦夷層群函淵層のIVbユニットから産出したことを意味していたわけである。IVbユニットからは様々なアンモナイトやイノセラムスの他、“モササウルス”・ホベツエンシスやフォスフォロサウルス・ポンペテレガンス、メソダーモケリスといった脊椎動物化石が知られていた一方で、恐竜の化石は(函淵層全体を見渡しても)初めての産出だったわけである。函淵層のIVbユニットはノストセラス・ヘトナイエンゼ帯――北西太平洋地域の上部白亜系の生層序区分のうち、最下部マーストリヒチアンに相当するもの――にあたり、従ってカムイサウルスの時代はマーストリヒチアンの初頭、すなわち(ざっと)7200万年前と言うことができる。カムイサウルスの産出層準の直下および直上からはパキディスカス・(ネオデスモセラス)・ジャポニカム――ノストセラス・ヘトナイエンゼ帯を代表する通常巻アンモナイトも産出しており、カムイサウルスの時代論についてはかなりの自信をもって言い切ることができるといえよう。

 

(よく言われることではあるが、海生無脊椎動物の生層序で時代を論じられるのは、海成層から産出した強みではある。カムイサウルスと姉妹群になったケルベロサウルス-ライヤンゴサウルスについては、ここまではっきりした時代を絞り込むのは現状難しい。)

 

 これまた発掘当初より言われていた話ではあったが、カムイサウルスは関節がつながった状態で保存されていた――が、蓋を開けてみれば、思いのほか関節が外れかかっていた(=海底でかなり腐乱していた)ようである。骨格は部分的にしかノジュール化しておらず(なにしろ全長8mの中大型恐竜である)、ノジュール化していなかった部分では凍み上がりやらなんやらで保存状態はかなり悪い。そもそも化石化の初期段階で生物侵食を受けているようであり、骨の表面にはさまざまな「虫食い」がはっきり確認できる。骨格は小断層でぶった切られていたのだが、なぜか左の大腿骨が(左の脛を本来の位置に置き去りにしたまま)ばらけた頭骨の付近に移動しており、ひょっとすると何かしらの大型スカベンジャーの仕業なのかもしれない。腰の保存はかなり悪く(腰帯の要素は揃っていたものの仙椎がなぜかそっくりなくなっている)、このあたりも初生的な生物侵食と後生的な侵食の相乗効果によるのだろう。

 カムイサウルスの“ホロタイプ”(厳密さを期すならば、上述の通り、カムイサウルスが有効名にスライドして初めてホロタイプとなる)HMG-1219が産出した函淵層IVbユニットは下部砂質シルト岩層とも呼ばれ、その名の通り主に砂質シルトや砂質泥岩からなっている。穂別周辺の函淵層は現状(出版されている限りでは)あまり詳しい堆積学的研究が行われているというわけではないのだが、とはいえ古くから今日までずっとIVbユニットは外側陸棚――大陸棚の縁辺部(ざっと水深80~100数十m程度)の堆積物として扱われている。この細粒の堆積物とは明らかに異質な直径3cmほどの円礫が2つと直径1cmの亜角礫がカムイサウルスと共産しており、これらは胃石なのかもしれない。

 

 系統解析の結果、(6月の発表ですでに明らかにされていたことだが)カムイサウルスはケルベロサウルス-ライヤンゴサウルスクレードと姉妹群となり、エドモントサウルス族に含まれることとなった。もっとも、小顔かつスレンダーなカムイサウルスは、大きな頭をもちどっしりしたエドモントサウルスやシャントゥンゴサウルスとはだいぶ毛色が異なり、どちらかといえばブラキロフォサウルス族やクリトサウルス族的な見てくれである。カムイサウルスはブラキロフォサウルス族やクリトサウルス族、サウロロフス族の細かな特徴もモザイク的に保持しており、(時代はむしろシャントゥンゴサウルスやライヤンゴサウルスより新しいようなのだが)エドモントサウルス族のあけぼのの姿を残しているのかもしれない。

 恐竜博2019のパンフレットには最初から露骨な記述があり、そもそも筆者は昨年秋の時点で目の当たりにしていたことでもあるのだが、カムイサウルスの頭蓋天井――前頭骨(生物侵食のせいで保存はいまいちなのだが)には、長く伸びた鼻骨の「乗り上げ面」が存在する。この面(縁がやや盛り上がっている)に鼻骨が乗り上げるように関節するわけなのだが、この関節面の作りはエドモントサウルスではなく(亜成体の)ブラキロフォサウルス――鼻骨からなる板状のクレストが頭蓋天井を半ば覆う――と酷似している。この特徴はすなわち、カムイサウルスがブラキロフォサウルスの亜成体様のクレストをもっていたことを示唆している。だとすればハドロサウルス亜科(筆者はむしろサウロロフス亜科を使うタイプの人類である)の4大グループは、全てなにかしらの鼻骨クレストをもっていた格好になる。カムイサウルスのクレストは、ひょっとするとサウロロフス族とエドモントサウルス族の共通祖先から引き継いだものなのかもしれない。

 

 ケルベロサウルスにせよ(もっぱらケルベロサウルスのシノニムとして扱われるクンドゥロサウルスにせよ)ライヤンゴサウルスにせよ、ボーンベッドからの産出ということもあって、その実態は不明瞭であった。アジアの真正ハドロサウルス科は依然として実態のはっきりしないものが少なくなく、また時代論がおぼつかないものも多い。その中にあって、カムイサウルスは生息時代もその姿もかなりはっきりと示すことができる、唯一とさえ言えるものである。

 カンパニアン-マーストリヒチアン境界前後の日本列島がユーラシア大陸の縁辺部だったことは今さら書くまでもないことである。当時の大陸縁辺部の陸上生態系の情報は日本中の化石をかき集めてもおぼろげなものではあるが(かき集めるのがそもそも妥当かという問題もある)、それでも和泉層群や那珂湊層群からは、アズダルコ類やニクトサウルス類といった翼竜、甲長80cm超のスッポン類、全長10mほどのランベオサウルス類といった化石が知られている。

 

 カムイサウルスのホロタイプはほぼ完全な骨格ではあったが、とはいえ骨学的情報のすべてが明らかになったわけではない。結局のところ、“パーフェクト”などあり得ないのである。

 カムイサウルスの第2標本は将来的に産出するだろうか?カムイサウルスを取り巻く生態系は明らかになるだろうか?アジア沿岸部のマーストリヒチアン初頭の地層は、穂別地域の函淵層に限らない。カムイサウルスのホロタイプはまさしく奇跡の化石――函淵層のIVbユニットから恐竜の全身骨格が産出するとは誰も思わなかった――だが、実のところ海成層から恐竜が――特にハドロサウルス類が産出する例は思いのほか少なくないものである。辛抱強く探せばそのうち出てくることもあるだろうし、おそらくその前に大量のアンモナイトと海生爬虫類の化石が積み上がることになるだろう。

 カムイサウルスの発見と記載は、恐竜研究の枠を超えて、ある種日本の上部白亜系の研究の集大成とさえ言ってよいかもしれない。明治からのもろもろの積み重ねが、カムイサウルスの研究を今後も後押ししていくのである。

 

 

 

 

再び発つ

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↑Skeletal reconstruction of Hadrosaurus foulkii holotype ANSP 9201-9204, 10005.

Scale bar is 1m.

 

 どういうわけか本ブログでも散々取り上げてきたむかわ竜は、記載論文の出版が間近に迫っているらしい。むかわ竜の化石が奇跡の産物だというのは今さら書くまでもない話なのだが(海成層は言うに及ばず、外側陸棚ならなおのことである)、一方で、むかわ竜をはじめとするハドロサウルス類が海成層から産出することは必ずしも珍しい話ではない。単離した要素は数知れず、部分骨格も少なくないのである。

 「最初の」ハドロサウルス類――恐竜研究の黎明期に燦然と輝くハドロサウルス・フォーキイもまた、海成層から発掘された奇跡の恐竜であった。

 

 北米最初の恐竜化石の記載・報告は1856年にさかのぼることができるものの、肝心の標本は歯や単離した椎骨や趾骨に限られていた。今日恐竜化石の宝庫として知られるアメリカ西部だが、当時の状況はヨーロッパ――すでに様々な部分骨格が知られていた――とは大違いだったのである(今日ではあまり想像できない様相ではある)。
 が、それから数年で状況は一変することになった。当時知られていた恐竜化石の中でも最良のものが、アメリカ東部――ニュージャージー州で発見されたのである。この化石は恐竜の復元を完全に塗り替えるものであり、そしてコープとマーシュによる「ボーンウォーズ」のきっかけさえ作ることになった。この恐竜――ハドロサウルスの発見から、輝かしい北米の恐竜発掘の歴史が始まったのである。


 1858年夏、アメリカ自然科学アカデミーの会員であったW.P.フォークはニュージャージーのハッドンフィールドでバカンス中であった。フォークはこの時、近所に住んでいたホプキンスという男から気になる話を聞いた――20年ほど前に彼の農場にある泥灰土坑で大きな椎骨が多数見つかったというのである。ホプキンスは見つかった化石を気前よく全て来客に送ってしまったといい、昔の話ということもあってこれらの化石の所在はもはや不明であった。発奮したフォークにホプキンスは農場での調査を快諾し、そして発掘が始まった。
 ホプキンスが散々歩き回った末にかつての泥灰土坑――しばらく前に放棄され、川の流れで完全に埋まっていた――の位置に目星を付け、そして現役の泥灰土坑からかき集められた作業員たちが掘ること1日、20年前の泥灰土坑の端が姿を現した。そこからホプキンスの記憶を頼りに掘り進め、最終的に3m掘り下げたところで巨大な骨がいくつも姿を現した。――北米最初の恐竜の骨格がそこにあったのである。
 泥灰土はやたら粘り、にわか作りの発掘隊は小さなコテとナイフでこれに立ち向かうほかなくなった(母岩が柔らかかったぶん、当時の技術でもクリーニングは完璧にできたのだが)。化石には触る前から細かなクラックが入っている始末で、フォークらはこれを荒布で包んだうえでわらを大量に敷き詰めた荷馬車に載せて現場から運び出した(この時産状図が作成されたというのだが、これは現存していないようだ)。
 このニュースはすぐにライディや科学アカデミー会長のリーに伝えられ、彼らもアドバイザーとして発掘に携わることになった。発掘は10月まで続き、そして12月14日にライディによってこの恐竜はハドロサウルス・フォーキイHadrosaurus foulkii――フォークのかさばるトカゲの意――と命名されたのだった。


 フィラデルフィアの自然科学アカデミーに収蔵されることになったハドロサウルスの骨格は、当時知られていた恐竜の骨格の中でも最良の部類のひとつであった。不完全ではあるが頸椎、胴椎、尾椎はそれなりに発見され、前後肢は大部分が保存されていた。肩帯は見つからなかった(実際には烏口骨が採集されていたが、これが同定されたのは発見から150年近く後の話である)が腰帯は大部分が保存されており、そして頭骨も歯骨(ではなく上顎骨だった)の破片が採集されたのである。
 当時知られていた恐竜化石のうち、1個体で四肢の要素が揃っていたのは他に1834年発見の「メイドストーンのイグアノドン」(いわゆるマンテル・ピース;ポールはこれをマンテロドン・カーペンターリと命名したが、ノーマンは単にマンテリサウルス・アザーフィールデンシスに参照している)のみであった。これはマンテルの有名な骨格図のベースとなり、また1852年にホーキンズによって制作された水晶宮の復元模型(監修はオーウェンである)のプロポーションのよりどころともされたが、マンテルにせよオーウェンにせよ完全な四足歩行の動物として復元していたのである。
 ライディはハドロサウルスの極端な前後肢のプロポーションの差(実のところマンテル・ピースでもかなり差はあるわけだが、なお極端であった)に注目した。発掘中にライディが2頭の恐竜由来かと思ったほど前後肢の長さには差があったのである。ライディはハドロサウルスが(海成層から産出したために)半水生であったとしつつ、摂食時はカンガルーのように三脚立ちをしていたと考えたのだった。ライディはまた、ハドロサウルスがイグアノドンとよく似ていることをしっかり見抜いた。水晶宮の復元模型の制作からわずか6年で、恐竜のイメージは完全に塗り替えられたのである。

(ライディはまた、原記載の中でハドロサウルスの全長を7.5mと妙に正確に推定している。復元骨格が制作されるのはしばらく後の話だが、復元骨格に表現されている要素は基本的に全て原記載(後のコープによる“ラエラプス”の時と同様、アカデミーの定例会録という形である)の中で述べられている。ライディの頭の中には最初からしっかりした復元像が描かれていたようだ。)


 ライディはその後もハドロサウルスの記載を断続的に発表し、(トラコドンやテスペシウスを含め、当時まだ単離した歯しか知られていなかったにも関わらず)ハドロサウルスの歯について、萌出歯とそれに続く(半)未萌出歯が密集した構造――デンタルバッテリー――の存在をも指摘した。また、コープもラエラプスの再記載と合わせてハドロサウルスについて述べ、ラエラプスともどもハドロサウルスが二足歩行の動物であったことを改めて指摘したのである。
 この頃になると、恐竜をはじめ絶滅した巨大動物の化石がアメリカで続々と発見されるようになったことで、水晶宮の復元模型のような実物大のモニュメントを求める声が上がるようになった。この計画はセントラルパークの「古生代博物館」としてまとまり、復元模型や復元骨格――世界で初めての恐竜の復元骨格を含む――の制作が決定されたのである。そして招聘されたのがホーキンズ――水晶宮の復元模型を手がけたその人であった。
 1868年、ホーキンズはフィラデルフィアの自然科学アカデミーにライディを訪ね、古生代博物館の展示に用いるレプリカのための型取りを行った。ここでホーキンズはハドロサウルスやラエラプスの型取りを行うだけでなく、自然科学アカデミーの展示用にハドロサウルスの実物標本を組み立てることになったのである。
 ライディの監修の下、ホーキンズはその当代無比(今日の人物だとしてもなお最高クラスの腕の持ち主だろう)の才能をいかんなく発揮した。左右どちらかしか残っていない要素(特に長骨は左側の要素しかなかった)は鏡写しのアーティファクトで左右を揃え、椎骨も適宜レプリカを作っては(ライディ推定するところの)所定の数まで増やし、ドリルで穴を空けてアーマチュアが通るようにした。長骨は外付け式のアーマチュアで組み上げられ、最終的に骨格全体は両脚と尾、そして支柱を通した樹木の模型で支えられた。イグアナを参考に作られた頭骨(さすがに顎の断片は練り込まれなかった)と哺乳類風の肩帯を組み込まれ、ここに「三脚立ちして木の葉を食べる」ハドロサウルスの実物復元骨格――恐竜の復元骨格として世界で初めてのもの――が完成したのである。1868年の秋のことであった。
 それまでも自然科学アカデミーでハドロサウルスの化石は展示されていたのだが、復元骨格が制作されたことで来館者は凄まじい勢いで増えた。最初の1年で来館者は倍増し、その後の数年で復元骨格が展示される前の3倍以上――年10万人にまで増加したのである。これに焦った自然科学アカデミーは開館日を減らしたり、入場制限をかけるなどして対応したが、結局今日の場所に移転して展示スペースを拡大するほかなかったのだった。現生動物とは著しく異なった体制を示す恐竜の復元骨格――当時すでに絶滅哺乳類の復元骨格は各地で展示されていた――は、進化論を受け入れつつあった人々の強烈な興味を引いたのである。
 さて、セントラルパーク内に設けられた工房に戻ったホーキンズは、ハドロサウルスの復元骨格の量産においてさらに天才ぶりを発揮した。今日でも一般によく用いられている復元骨格レプリカ制作のテクニック――「一体成型」の脊柱、長骨や椎骨内部に完全に埋め込まれたアーマチュア、肋骨籠を内側から支えるプレート――を駆使し、支柱の他は無粋なアーマチュアの露出しない、大変優雅な復元骨格を量産する体制を整えたのである。1869年にはハドロサウルス復元骨格の量産第1号(立ち止まって木の葉を食べようとしているポーズだが、いくぶんオリジナルより行儀のよい姿勢である)が完成し、またラエラプスの復元骨格もひとまず発見部位のキャストの組み付けが完了した状態にあった。そして1871年、運命の日がやってきた。


 古生代博物館計画が中止されたのみならず、制作中の模型もろともセントラルパークの工房は破壊されてしまった。が、ホーキンズはどうにかハドロサウルスの復元骨格の型の持ち出しには成功し、これの量産は可能であった。
 ハドロサウルスの復元骨格は最終的に(破壊されたらしい量産第1号とは別に)3体が量産され、それぞれプリンストン大学スミソニアンスコットランド国立博物館(ヨーロッパで最初の恐竜の復元骨格となった)へ送られた。特にスミソニアンで展示されたタイプは可搬性に優れており、展示レイアウトの変更に伴ってスミソニアン館内を渡り歩いた末1890年代にフィールド博物館へトレードされた。
 ホーキンズの復元は非常に先駆的なものだったが、しかしボーンウォーズの勃発によって指数関数的に増えていくハドロサウルス類の標本によって20年ほどで陳腐化してしまった。1900年代の初めには3体の量産型は全て廃棄され、また自然科学アカデミーのオリジナルも解体されてしまったのである(オリジナルに据えられていた頭部は現存しており、特別展などで展示されることがあるようだ)。


 北米西部――ララミディアから続々と見事なハドロサウルス類の化石が発見される一方、アメリカ東部――アパラチアでは依然としてハドロサウルス・フォーキイのホロタイプが最良の標本といった有様であった。まともな頭骨要素の残っていなかったハドロサウルス・フォーキイが実態のよくわからない代物と化すのは訳ない話で、コープやマーシュがハドロサウルス属の新種として記載した数々の断片がさらに足を引っ張る始末だったのである。保存されていた要素はランベオサウルス亜科ではなく“ハドロサウルス亜科”――エドモントサウルスやクリトサウルスのような「平らな頭蓋」をもつものに似ていたのだが、肝心の頭骨が顎の断片しか残っておらず、このあたりにはいささか疑問も残されていた。
 こうした状況は1970年代後半まで続いていたのだが、アパラチアの恐竜の研究に取り組んでいたベアドとホーナーの師弟コンビは思い切った説を発表した(アブストラクトしか出版されていないので詳細は割と謎なのだが)。オルニトタルスス・イマニスOrnithotarsus immanisやハドロサウルス・カヴァトゥスHadrosaurus cavatus(どちらも今日疑問名として扱われている。オルニトタルススはH.フォーキイの1.5倍ほどとかなりの巨体だが、そもそも産出層がはっきりしない)をハドロサウルス・フォーキイのシノニムとしただけでなく、クリトサウルス属(グリポサウルス属をシノニムとして取り込んでいた)をハドロサウルス属のシノニムとみなしたのである。
 クリトサウルスをハドロサウルスと密接に結びつけるこの意見はそれなりの支持を受けた。――が、それからしばらくしてホーナーは自らこれを否定した(ハドロサウルスは“ハドロサウルス亜科”内の系統不明なものとなった)。やがて行われた再記載で、とうとうハドロサウルス・フォーキイは他のアパラチア産ハドロサウルス類ともども疑問名とされてしまったのである。

 が、結局ハドロサウルスはクラオサウルスともども2011年に疑問名から「復活」することになった。なんだかんだでハドロサウルス・フォーキイのホロタイプはアパラチアのハドロサウルス類(広義)としてはかなりまともな部類だったのである。他に知られている骨格といえば、ニュージャージーのネーヴシンクNavesink層の最上部(K/Pg境界の直下にあたる)で発見された部分骨格(コルバートによって“ハドロサウルス・ミノールHadrosaurus minor”の新標本とされたもの)や、アラバマのムーアヴィル・チョークMooreville Chalk層下部産のロフォロトン・アトプスLophorhothon atopus(カンパニアン前期;8300万~8200万年前ごろ)のホロタイプ、そしてカンザスのナイオブララNiobrara層スモーキー・ヒル・チョークSmoky Hill Chalk部層(コニアシアン後期;8700万年前ごろ)産のクラオサウルス・アギリスのホロタイプくらいであった。
 2016年になり、アラバマのムーアヴィル・チョーク層の最下部(サントニアン後期;8500~8400万年前ごろ)からほぼ完全な頭骨を含むハドロサウルス類の部分骨格――エオトラコドン・オリエンタリスが記載された。これはララミディア産のハドロサウルス類と互角の保存状態で、言うまでもなく極めて重要なものであった。系統解析の結果ハドロサウルスがハドロサウルス科の最も基盤的な位置に、その次に基盤的な位置にエオトラコドンが置かれた(そしてエオトラコドンの姉妹群にサウロロフス亜科――かつての“ハドロサウルス亜科”――+ランベオサウルス亜科が置かれた)。また、ハドロサウルスよりも基盤的な位置にはイタリア産のテチスハドロスが置かれたが、もう一つ基盤的な位置にはクラオサウルスが置かれた。この結果はつまり、(依然としてハドロサウルスが実質首なしである点に注意が必要だが)真正のハドロサウルス科――デンタルバッテリーに加え、後方まで長く伸びた外鼻孔とそれを取り巻く浅く広いくぼみを併せ持つ――がアパラチアでサントニアン前期ごろに出現した可能性を示している。カンパニアン前期の地層であるウッドバリーWoodbury層(8200万年前ごろか)産であるハドロサウルスは最古のハドロサウルス科というわけではなさそうだが、エオトラコドンと並んでハドロサウルス科の原初の姿を伝えてくれる。


 オリジナルの復元骨格の解体から80年あまり後の1984年、ハドロサウルスの復元骨格はキャストを用いたウォールマウントとして自然科学アカデミーに帰ってきた。2008年には命名150年(とオリジナルの復元骨格の展示140周年)を記念して3Dの復元骨格(マイアサウラをベースに、ハドロサウルスのキャストを組み込んでいる)が制作され、ずいぶんにぎやかになった展示ホールで来館者を迎えている。そしてニュージャージー州立博物館へ渡ったこれの量産型はドリプトサウルスと共に――かつてセントラルパークの古生代博物館計画で試みられたように――展示され、「州の恐竜」として往時の姿を伝えている。
 ハドロサウルス・フォーキイの模式産地――ホプキンスの農場の一角――は長らく正確な場所が不明になっていたのだが、1984年になってボーイスカウトによって再発見された。1994年に合衆国国家歴史登録財および合衆国国定歴史建造物に指定されたその林は、ハドロサウルス公園として今日も静かにたたずんでいる。

【告知】第三回古生物創作合同展示会に出展します

    

                           (コラをつくったひと:ツク之助)

今年の夏も山本聖士さん主宰の古生物創作合同展示会に出展します。茨城県自然博物館御用達の某有名イラストレーター(筆者ではない)も参戦する今回は、横浜亜熱帯茶館での開催となります。

 

というわけで、GET AWAY TRIKE !は以下のアイテムを頒布します。

・GET AWAY TRIKE ! in Press GP03S(新刊)…¥2000

・GET AWAY TRIKE ! in Press GP02A(既刊:残部少)…¥3000

・骨格図クリアファイル(ティラノサウルストリケラトプス、むかわ竜、デイノケイルス)…各¥500

・骨格図ポスター各種…¥1000

 

 骨格図クリアファイルの頒布は今回が初めての試みです。骨格図ポスターも新作を複数用意しています。

 会場ではもしかすると重大告知ができるかも…!というわけで、お盆休み最終日ですが、みなさまふるってご来場くださいませ。

 

第3回古生物創作合同展示会

とき:8/18(日)11:00~17:00

ところ:横浜亜熱帯茶館 ~爬虫類Cafe~

www.google.com

 

ごあいさつ

 というわけで(前略)、かねてからひっそり予告していた通り、Yahoo!ブログからはてなブログへのおひっこしとなりました。先代は立ち上げから5年と10ヶ月に渡ってご愛顧いただいたわけですが、はてなブログでも引き続きGET AWAY TRIKE !をどうぞよろしくお願いします。

「恐竜博2019」レポ

 7月も半ばである。筆者はといえば色々と綱渡りの状況が続き(無事渡りきれたかといえばそんなことはない)、そうこうしている間にブログの引っ越しができるかといえばそんなこともなかったわけである。

 諸般の事情により内覧会におよばれしていたにもかかわらず参加できなかった筆者だが、意地で恐竜博2019(7/13(土)~10/14(月・祝))の初日に行ってきたわけである(毎度ながらお付き合いいただいた山本聖士さんには感謝の言葉もない)。もろもろの事情は薄い本のネタにとっておくとして、かいつまんで展示を紹介したい。

イメージ 1
 謎の骨格図をばらまいている入り口をくぐれば、いきなり目玉の一つであるデイノニクス・アンティロプスのホロタイプYPM 5205のお出ましである。足だけとはいえ保存のよさも相まって存在感はすさまじく、初っ端から身動きが取れなくなること請け合いである。隅々までよく観察されたい。

イメージ 2
 デイノニクス、テノントサウルスのマウントは共に今回の特別展に合わせて組まれたものであるらしく、前者のマウントは現在存在するタイプの中では最良のものと言ってよいだろう(依然として問題はあるのだが)。よくできたテノントサウルスの亜成体もよく知られた頭骨の主のようで、日本ではまずお目にかかれない代物である。

イメージ 4
 もとを辿れば本館の展示以前に特別展の目玉としてカーペンターによってマウントされた骨格である。今となってはプロポーションには問題しかないのだが、裏を返せば10mクラスのマイアサウラの要素が組み込まれているということでもある。

イメージ 5
 羽毛恐竜枠は今年も見事な標本が(キャストについても)持ち込まれており、シノサウロプテリクスのホロタイプは久方ぶり(たぶん)の実物である。頭骨の保存はコンプソグナトゥス・“コラレストリス”と並び、コンプソグナトゥス科としては最良の部類に入るだろう。

イメージ 3
 問題のスピノサウルスの頭骨はだいぶ無理やり展示に組み込んだ感があり、見ての通りの代物である。別の意味でCTのかけがいはあるだろう。

イメージ 6
 デイノケイルスのホロタイプは今回キャストだけだが、その分肉薄して観察することができる。サイズ相応のゴツさはあり、原記載でカルノサウルス類とされたのもわかる話ではある。関節の粗面は竜脚類的な発達具合である。

イメージ 7
 二度目の来日のはずだが、今回合法的に日本の土を踏んだことになる。しっかり張り付いて観察されたい。

イメージ 8
 「ひづめ型」の末節骨だが、側面から見ると根元でカーブしているのが面白いところである。背景に映り込んでいる骨格図は気にするな!(魔王様)

イメージ 9
 グラスファイバーの生々しい浮きがあったりで突貫工事感は割と露骨なのだが、そうは言ってもよくできたマウントである。頭にせよ前肢にせよ、全身のバランスからしてみれば特段大きなものではない。左膝に引っ付いているのは胃石のブロックである。

イメージ 10
 伏兵だったアンセリミムスの全体パースを撮りそびれたのはさておき、カーンに加えて未記載のオヴィラプトル類も来日している。前肢の退縮がかなり進んだタイプであり(しかも二本指である)、ネメグト層から盗掘された標本である。

イメージ 11
 鳥屋城層産のモササウルス類の産状はため息が出るほど美しいのだが、それを容赦なくクリーニングしているのはさすがといったところである。モササウルス類としては異様なプロポーションやら肩関節の構造やら、見どころは非常に多い。

イメージ 12
 むかわ竜のマウントはかなり厳重に囲ってある。終わってみれば(当然、始まってすらいないという見方もできる)筆者としても謎の感慨深さがあったりもする。
 関節突起の変形やらマウントの都合やらで肋骨籠がやたら幅広くなっている(ハドロサウルス類は幅の狭い生き物である)が、それを除けば基本的によくできたマウントである。吻のアーティファクトはもう少し短くてよいはずだ。

イメージ 13
 イクチオルニスの実物というだけで日本国内では十分珍しいのだが、この保存状態である。脇にあるマウントのディテールとの差に注意したいところ。

イメージ 14
 パタゴプテリクスも最良の部類に入る標本のはずである。前半身は驚くほど立体的に保存されている。

イメージ 15
 ヴェガヴィスもため息が出る代物である(並べ方が謎なのはともかくとして)。このくらいの完全度で初めて現生鳥類との関係がまともに議論できるのだろう。


 標本点数はいささか少ない感もあるのだが、今回の標本の質は極めて高く、「ハズレ」は実質スピノサウルスの頭骨とチレサウルスのマウントくらいであろう。数年前に学会で報告されたきり動きのなかった「二本指のテリジノサウルス類」(写真はあえて貼らなかった)も、腰帯の保存状態など、見るべきところはたくさんある。
 恐竜博2019の展示物は(結局のところむかわ竜にせよデイノケイルスにせよ)通好みというかだいぶ渋いチョイスといえるが、それでも(NHKのもろもろが相当効いているのだろうが)大盛況であった。ティラノサウルス(穂別博物館が購入した“スコッティ”である)の存在感がろくにない展示というのも珍しいもので、このあたりはひとつの試金石となるかもしれない。
 学術協力者の名前ばかりが取りざたされていたような印象のある本展だが、蓋を開けてみれば監修者のこれまでの研究の集大成といった趣の展示であった。どういうわけか筆者がクレジットに見え隠れしたりもしているのだが、それはさておき、一つの到達点としてみられる特別展である。

企画展「体験!発見!恐竜研究所 ようこそ未来の研究者」レポ

 会期が始まってからだいぶ経ってしまったわけだが、そうは言ってもゴールデンウィークはこれからであり、修羅場はこれからであろう。そういうわけで開幕セレモニーにおよばれしてきた筆者だが(なんなら本ブログも協力機関としてクレジットされている)、ミュージアムパーク茨城県自然博物館の企画展「体験!発見!恐竜研究所 ようこそ未来の研究者」について、ごくかいつまんで紹介しておきたい。
 本企画展は大変「教科書的」な展示企画となっており、その内容はおそろしく網羅的である。図録の作りも含めて、基本の「き」から最新のトピックまで追いかけられる作りなわけである。会場・図録ともツク之助(最近筆者と手を組んだ)によるやたら親しみやすい絵に溢れている一方で、妙にマニアックな標本がちりばめられているあたりはさすがといったところである。茨城県白亜紀の化石をきっちり並べているあたりもさすがに地元(というにはだいぶ遠いが)というべきで、最近発見された巨大なスッポンの化石(撮影禁止)まで展示されている。

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 改めて見るとやはりとんでもなくデカいわけである。常設展示のエウオプロケファルス・トゥトゥス(あるいはスコロサウルス・スロヌス――ペンカルスキ―の分類にはかなり懐疑的な筆者である)と比べてみれば、うっかりアンキロサウルスの全長を11mほどと見積もったクームズの気持ちもよくわかるものである。

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 主に巡回要員と化している感はあるが、茨城県博のカルノタウルスは日本で初めて展示された代物(の成れの果て)のはずである。キャストとはいえ頭骨を間近で見る機会は案外少ないわけで、原記載では実態のつかめない無残な変形っぷりがよくわかる。前頭骨の角は本来ほぼ水平に伸びていたと思われる。

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 タッチ要員で“ウルトラサウロス”のホロタイプBYU 9044(今日ではスーパーサウルスの胴椎とされている)のキャストが置いてあったので肝を抜かした筆者である。サイズの割に極めて繊細な代物であることがよくわかる。

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 そしてその奥にしれっと鎮座しているのはウルトラサウロスとされていた肩甲烏口骨BYU 9462(あくまでもホロタイプは胴椎の方である)である。やたら細い肩甲骨ブレードの軸部が目を引く。

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 目玉展示ということでさすがに大迫力である(ジェーンの薄さがやけに目に付く)。床置きされているぶん、実際のサイズ感そのままなのが地味に嬉しい。幼体はLACMのマウントと同型(=常設展示されているLACM 28471が載っているもの)が展示されると思いきや、タルボサウルスの幼体準拠の頭骨の載ったタイプであった(スケジュールの関係でやむなく常設のLACM 28471のキャストの写真をうまいこと企画展のポスターに使ったということのようである)。

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 隙をつけばジェーンの写真も撮り放題である。

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 例によってしれっとおさわりOKになっているのはUCMP 118742のキャストである。ポールによる伝説の推定値で有名な(そんなことはない)この標本だが、とりあえずおさわりのついでに色々な角度から観察できる。

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 むかわ竜の後方胴椎(撮影禁止)をはじめ、各地のご当地恐竜も色々と展示されている。産地の話はさておき、ニッポノサウルスの(ろくでもない出来のマウントではない)キャストを見る機会もあまりないところである。

 写真で紹介したものは展示のごく一部であり、様々な時代の様々な分類群(恐竜以外も含めて)がかき集められている。展示品のチョイス(トリを飾るのは、筆者がかつて散々触りまくった連中である)もさることながら、映像による解説も要所で光っており、ついでに書き加えておくとちびっこがGAT印の骨格図を奪い合うことさえある。毎年おなじみの福井に加え今年の夏は上野でも恐竜展なわけだが、その前哨戦に(あらゆる意味で)ふさわしい恐竜展といえよう。

恐竜博2019によせて

 カーナビ(特に“レイ”とかそういう名前を付けているわけではない)の言うことには、今日は「恐竜の日」なわけである。由来がいまいちぴんとこない日なのはここに書くまでもないことなのだが、そういうわけでうまくタイミングを合わせたのか、恐竜博2019に展示されるむかわ竜デイノケイルスのマウントが報道発表された。

 むかわ竜のマウントは先日一瞬だけ(ほんの数時間で削除されたあたり、「うっかり」だったのだろう)8割がた組み上がった状態の映像がネットニュースに流れたりもしたわけだが、今回公開されたのは塗装も済んだ完成版(たぶん)である。見ればわかる通りアーティファクトは吻と仙椎、遠位尾椎のみと最小限に留められており、雰囲気のいい塗装と相まって、純骨並みの迫力である。結局(少なくとも今回のバージョンは)アーマチュアが外装式とはいえキャストで組み上げられたわけだが、これはむしろ(当然)英断といえるだろう。
 胸郭の幅が広すぎるのは明らかに胴椎と肋骨の変形のせいのようで(肋骨自体、数は揃っているものの(おそらくほとんどが発掘の過程で)粉々になっている状態である)、本来であれば胸郭はより幅が狭く、烏口骨は(左右で関節することはむしろあり得ないのだが)より正中に近づくはずである。
 頭部のアーティファクトエドモントサウルス準拠のようで(小顔とはいえ、頬骨の形は確かにそれっぽいのである)、吻は(推定される範囲内としては)めいっぱい伸ばして復元されているようである。吻が出ていない以上何とも言えないわけだが、今回の復元骨格より吻が長いということは多分ないだろう。

 デイノケイルスのマウントは塗装前というか見るからに未完成なのだが(右の腰帯ができあがっていないようで、頸椎なども内装式アーマチュアの「フタ」がまだ取り付けられていない。もっとも、化石の色がネメグト層でよくある白っ茶けた色なので、塗装したところでここから特別印象は変わらないはずだが)、その全容を知るのには十分である。「新標本」のうち成体の方のキャストをベースに、ホロタイプ(新標本の成体の方と誤差の範囲で同サイズなわけだが)と幼体の要素をサイズ合わせして組み込んでいるようだが、サイズ合わせはうまくいっているようで、「コンポジット感」は全くない。
 未記載のむかわ竜はさておいてもデイノケイルスの「新標本」の写真の露出はこれまで頭骨を除けば椎骨数点と腰帯、脛などに限られていたわけで、マウントの出来が普通によかった(スゴイ・シツレイ!)のはともかくとしても、今回の情報解禁は素直に嬉しいところである。左膝には母岩のブロックが付いたまま(キャストが取られた)なわけだが、これは胃石の密集したブロックだという消息筋の話である。

 むかわ竜にせよデイノケイルスにせよすんなりマウントが組み上がるわけではない代物だったわけだが、蓋を開けてみれば水準以上の出来だったわけで(このあたりゴビサポートは昔からよい仕事をしていたわけなのだが)、恐竜博2019の展示については(勝手に)一安心である。気が付けば開幕までもう3ヶ月を切っており、楽しい夏まで指折り数える日々はもうとっくに始まっている。

 閑話休題、本ブログに長年お付き合いいただいている読者のみなさまは散々ご存知の通り、げったうぇーとらいく!の白々しい内容の記事には必ず裏があるわけである。備えよう。