GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

黄昏色に染まるころ

イメージ 1
↑Composite skeletal reconstruction of Torvosaurus tanneri
Based on Dry Mesa specimens and FMNH PR 3060.
Scale bar is 1m for Dry Mesa specimens (large).

 トルヴォサウルスといえば、恐竜博2002での復元骨格の展示を皮切りにわりかしメジャーの座に躍り出た恐竜である(そんなことはない)。命名も1979年と比較的最近であり、アロサウルス一択であったジュラ紀後期の大型獣脚類界隈に一石を投じてからまだ日が浅かったりもする。
 そうは言ってもモリソンMorrison層といえば19世紀の後半には精力的な発掘が行われていたのは言うまでもないことで、実のところトルヴォサウルスの標本もこの時期からいくらか採集されていた。もっとも、モリソン層の「まとも」な大型獣脚類の骨格は待てど暮らせどアロサウルスしか出てこなかったわけで(今でも状況は変わっていない)、そうした標本はこれといって同定もできず埃を被ることになったのである。

 長らく中型サイズ以上の獣脚類がアロサウルスとケラトサウルスしか知られていなかったモリソン層だったが、そうした状況を打ち破ったのが(ダイナソー・ジムこと)ジェンセンやマドセンらであった。コロラドやユタでの精力的な調査によってモリソン層における恐竜研究の停滞は打ち破られ、新たな(そして混沌とした)ステージへと移行したわけである。
 ジェンセン率いるBYUのチームが目星を付けたのがコロラド南西部――ドライ・メサ――であった。ここでは1971年に獣脚類の巨大な前肢の末節骨が発見されており、1972年から発掘を始めたジェンセン隊はすぐに大当たりを引いた。おびただしい数の化石がそこにあったのである。

 ドライ・メサではスーパーサウルスや“ウルトラサウロス”といった目を引く超大型の竜脚類の化石が発見されたが、それに加えて未知の大型獣脚類が発見された。とりあえずやたらマッシブだが短い前肢の大半や完全な腰帯が発見され、前肢をホロタイプとしてトルヴォサウルス・タンナーリ――ジュラ紀中期のメガロサウルスやポエキロプレウロンとよく似ている――が命名されたのであった。
 ドライ・メサの発掘にはかなりの時間を要し、凄まじい量の化石が採集された結果ジャケットの開封すらおぼつかないこととなった。どうにか封を切ってみれば、3体ぶんのトルヴォサウルス――うち2体は互いに区別できない程度に同サイズ――がそこにあったのである。かくして、ブリットによる詳細な再記載と前後して最初の復元骨格(上の骨格図とほぼ同じ資料に基づいていることになる)が制作されたのであった。
 これをきっかけにトルヴォサウルスの新標本が続々と発見されたかといえばそんなことはなかったのだが、それでもワイオミングでそれらしい化石がいくらか報告されるようになった(そしてバッカーなどはこれらの標本をエドマルカEdmarkaや“ブロントラプトルBrontoraptor”、“ワイオミングラプトルWyomingraptor”と呼んだ)。また、ポルトガルでもトルヴォサウルスの化石がいくらか報告されるようになった(そしてトルヴォサウルス属の新種T.ガーニーイとなった)のである。

 北米のT. タンナーリのみならずポルトガルT.ガーニーイ、さらにT.ガーニーイと思しき胚の発見など、命名から日が浅い(そんなこともない)わりに興味深い話題に富んでいるトルヴォサウルスだが、上の図(これでもコンポジットである)を見れば明らかなように、その姿にはまだ謎が多い。以前横浜で展示された“Elvis”も結局のところ部分的な骨格であり(それでも1個体のまとまった骨格という意義は大きいのだが)、プロポーションひとつとっても何らかの確信を持って復元することはできない状況である。
 原記載でメガロサウルス科とされたトルヴォサウルスであったが、紆余曲折を経つつ今日でもメガロサウルスやポエキロプレウロン(そしてスピノサウルス類)と密接な関係があるとされている。まとまった骨格の少ないメガロサウルス類にあって、コンポジットとはいえ全身のそれなりの部分の知られているトルヴォサウルスは今なお貴重な存在である。
 
 ジュラ紀中期に、三畳紀の香り高いディロフォサウルス(やその類縁)を押しのけて忽然と現れたメガロサウルス科はしかし、ジュラ紀後期にはトルヴォサウルス属を残すのみとなっていたらしい。ジュラ紀中期のものでさえ極めて長い歯をもっていたメガロサウルス科の「火力重視」はトルヴォサウルスでさらに推し進められたが、結局重武装のカルノサウルス類(この場合カルカロドントサウルス類)にこうした生態的位置は取って代わられてしまったようである。