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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

アントロデムスのおわりに

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↑Skeletal series of allosaurids.
Top to bottom,
Saurophaganax maximus composite of holotype and paratype,
(roughly) scaled as one of largest paratype OMNH 1935;
"Epanterias amplexus" holotype AMNH 5767;
Allosaurus fragilis composite, largely based on and scaled as DINO 2560;
Allosaurus fragilis USNM 4734 (suggested neotype; crashed tail excluded).
Scale bar is 1m.

 アロサウルスといえばジュラ紀後期の北米を代表する大型獣脚類であり、カルノサウルス類の栄えあるアロサウルス科の代表種―――だったのだが、ここ20年余りの分岐分類に基づく再検討の結果、アロサウルス科の楽しい仲間たちは跡形もなくなってしまった。今日、アロサウルス科に残されたのは疑わしいものを含めてわずか3属―――今回紹介するサウロファガナクス、エパンテリアス、そしてアロサウルスである。

 1860年代後半には北米東部に続き、北米西部でも恐竜の化石を求めて発掘が行われるようになった。が、まだボーンウォーズの本格的な開戦には至っておらず、従ってこのころ採集されたのはほんの断片ばかりであった。その中で、コロラドの「恐らく」モリソン層(ジュラ紀後期;いちいち説明するとクソ長くなるので過去記事参照)から産出した尾椎の椎体(の破片)は、1870年にライディによってヨーロッパ産の獣脚類―――ポエキロプレウロンPoekilopleuron(ライディは綴りを間違えた)の新種、P. ヴァレンスvalensとされた。が、1873年になって、ライディはこれを新属とみなし、アントロデムス・ヴァレンスAntrodemus valens命名しなおしたのだった。
 1870年代に突入すると(化石の発掘に関しては)平和だったはずの西部は最前線と化した。コロラドの狭いエリアを舞台に、モリソン層でのボーンウォーズが始まったのである。獣脚類に関して先手を取ったのはマーシュで、フェルチの第1クオリー(過去記事参照)から産出したYPM 1930(椎骨少々と歯、上腕骨の断片など)に基づき、1877年にアロサウルス・フラギリスAllosaurus fragilis命名したのである。
 この年には同じフェルチの第1クオリーで関節したアロサウルスのほぼ完全な骨格―――USNM 4734が採集されており、マーシュは部分的にクリーニングの済んだ部位について記載を行っている(実のところホロタイプそのものの記載はほとんど行っていなかった)。デスポーズでほぼ完全に関節していたことを見落としたためにうっかり尾をバラバラに粉砕(廃土の山から尾椎の残骸が33個と血道弓少々が回収された)してしまったが、USNM 4734は完璧といっていい骨格だった。しかし、この骨格にばかり時間を割くわけにもいかなかった(隣には関節したステゴサウルス・ステノプスのホロタイプやらケラトサウルスのホロタイプやらが転がっていたのである)マーシュには、とうとうUSNM 4734の詳細な記載を出版することはかなわなかった。
 
 マーシュはさらに1878年、1879年と連続して同じモリソン層産の獣脚類を記載・命名した。1878年命名されたのがアロサウルス・ルカリスAllosaurus lucaris(翌年に新属ラブロサウルスの模式種となった)クレオサウルス・アトロクスCreosaurus atroxで、前者は部分的な頭骨や複数の椎骨、部分的な肩帯と前肢、後者は前上顎骨や頬骨、いくつかの椎骨、部分的な腰帯と後肢からなるYPM 1890に基づいている。また、1879年に命名されたラブロサウルス・フェロクスLabrosaurus feroxは妙な形の歯骨USNM 2315に基づいている。
 こうした状況にも関わらず、モリソンの中大型獣脚類に対するコープの動きは静かだった。手持ちの状態のよいアロサウルスの骨格はジャケットの開封さえしなかったのだが、一方で、コロラドの“コープの乳首”で発見され竜脚類だと思って命名した部分骨格AMNH 5767―――エパンテリアス・アンプレクススEpanterias amplexusは実のところ大型のアロサウルス類であった。

 コープとマーシュが死んだ後、残されたのは膨大なコレクション―――フィールドでの整理番号こそついてはいるがクリーニングはおろか開封さえされていないジャケット群―――であった。YPMに収まりきらなかったマーシュのコレクションはスミソニアンへ渡り、日夜ギルモアが格闘することになった。また、コープのコレクションはAMNHでオズボーンによって研究されることになった。
 マーシュのコレクションがスミソニアンに到着してから10年ほどが過ぎ、1911年になってギルモアはようやくUSNM 4734―――クリーニング半ばの「完全な」アロサウルス(前述の通り尾は破壊されていたが)に手を付けられるようになった。手始めに前肢の記載を行うとともに頭骨と腰帯・後肢を展示用に組み上げ、そしてケラトサウルスのホロタイプや“オルニトミムス”・セデンスのホロタイプとともに記載した本命のモノグラフを出版したのである。時はすでに1920年になり、マーシュの死からかなりの時間が経過していた。
 ギルモアはこのモノグラフの中でUSNM 4734に加えて複数の部分骨格も記載・図示するとともに、モリソン層産の中大型獣脚類について分類学的整理を試みた(色々と問題があることはすでに1900年代初頭には指摘されていた)。ギルモアはYPM 1930ではなくUSNM 4734こそがアロサウルス・フラギリスの模式標本にふさわしいことを指摘し、これをネオタイプとする可能性をちらつかせつつ、なぜかアロサウルス・フラギリスをアントロデムス・ヴァレンス―――尾椎の破片にのみ基づく―――のジュニアシノニムとみなした。ここにUSNM 4734は文字通りアントロデムスの「顔」となり、その後1970年代になるまでアロサウルスは姿を消すことになった。

 さて、1927年にユタで発見されたボーンベッド―――クリーブランド・ロイド・クオリーの詳しい発掘は1960年になってようやくスタートし、おびただしい数の―――46体もの大小さまざまなアロサウルスが発見された。これらの化石はギルモアの1920年のモノグラフの情報を補ってあまりあるものであり、1976年にマドセンはアロサウルスの詳細な骨学的な再記載を出版した。このモノグラフは(第Ⅴ中足骨をなぜか第Ⅰ中足骨とみなすなどの誤りはあったが)今日に至るまでアロサウルスの骨学に関する最も詳細な論文であり続けているほどの代物である。マドセンはこのモノグラフの中で、アントロデムス・ヴァレンスの模式標本があまりにも貧弱かつ産出層がモリソン層かさえ断定できないことを指摘し、アロサウルス・フラギリスの名を復活させた。さらに、クリーブランド・ロイド・クオリーとほぼ同層準に当たるカーネギー・クオリーから産出した状態のよい骨格UUVP 6000(現DINO 2560;肩帯・前肢と尾を欠く)をアロサウルス・フラギリスのネオタイプとみなしたのである。

 マドセンの研究以降、クレオサウルスやラブロサウルス(そしてエパンテリアス)が顧みられる機会は少なくなった。どちらも頭骨は部分的であり、いずれの部位も基本的にはアロサウルス・フラギリスとよく似ていたのである。従って、これらはもっぱら疑問名として扱われるようになった。
 一方で、バッカーはこれらの産出層準に注目し、魅力的な説を提唱した。アロサウルス・フラギリス―――USNM 4734に代表される「丸顔」のもの―――は、「クレオサウルス類(バッカーは疑問名となったクレオサウルス・アトロクスの名を復活させるよりも新属新種“マドセニウス・トルクスMadsenius trux”を設立してこれに代えようと考えていた)」―――DINO 2560やクリーブランド・ロイドの標本に代表される「細面」のものよりも古い時代のものであり、さらにエパンテリアスは「クレオサウルス類」よりも新しい、最後にして超大型のアロサウルス類であると考えたのである。
 グレゴリー・ポールはこのバッカーの説に基づき、アロサウルス・フラギリスとアロサウルス・アトロクス(バッカー言うところの「クレオサウルス類」である)の骨格図をそれぞれUSNM 4734とDINO 2560をベースに描き、また、カーペンターとともに、アロサウルス・フラギリスのネオタイプはDINO 2560ではなくUSNM 4734こそがふさわしいとする意見を動物命名法国際審議会に提出している。

 90年代に入ると新たな発見が相次いだ。かつてオクラホマで発見された巨大アロサウルス類でありながら正式に記載されることなく埃をかぶっていた“サウロファグス・マキシムスSaurophagus maximus”(ポールはこれをエパンテリアスと同じものとみなした)がサウロファガナクス・マキシムスSaurophaganax maximusとして正式に記載されたのである。模式標本は少なくとも2体からなるボーンベッドをなしており、椎骨や血道弓の形態は明らかにアロサウルス・フラギリスとは別物であった。
 ユタのカーネギー・クオリーからほど近い場所ではアロサウルスの亜成体の極めて保存のよい骨格DINO 11541が発見され、アロサウルス・“ジムマドセニ” Allosaurus "jimmadseni"と非公式に命名された(未だに正式に命名されていない)。また、ワイオミングのハウ・クオリーでは、スイスのアータル博物館によって、尾を欠くものの保存のよい骨格―――ビッグ・アルBig Al(土地問題で押収された末にMOR 693となった)と、尾を含めてほぼ完全な骨格―――ビッグ・アル2ことSMA 005が発見されたのである。ここにようやくアロサウルスの骨格の実態が完全に明らかになった―――のだが、結局のところDINO 11541やMOR 693そしてSMA 005の骨学的な記載は未だに出版されておらず、本当の意味で明らかになるにはまだ時間がかかりそうだ。
 2006年にはポルトガルのロウリンニャLourinhã層ポルト・ノヴォPorto Novo部層(ジュラ紀後期キンメリッジアン)から産出した化石に基づきアロサウルスエウロパエウスAllosaurus europaeus命名された―――が、これは結局のところただのA.フラギリスである可能性がぬぐえないようだ。なんにせよ、アロサウルス科がヨーロッパに進出していたことは間違いない。

 最近おこなわれた複数の形態解析―――主にクリーブランド・ロイドの標本に基づく―――は、バッカーやポール言うところの「丸顔のフラギリス」と「細面のアトロクス」が連続的な形態変異の範囲内に収まることを示している。一方で、「いわゆるジムマドセニ」はどうもA.フラギリス(いわゆるアトロクスを含む)の個体変異の範疇からやや外れる―――頬骨のラインが真一文字である―――らしい。MOR 693やSMA 005を「いわゆるジムマドセニ」に含めるかどうかも意見の分かれるところである。2014年にはアロサウルス属の新種アロサウルスルーカシAllosaurus lucasiが命名された―――が記載には色々と問題があり(読まなくても見れば察していただけるであろう)、これは基本的に無視してよいだろう。

 結局のところ、アロサウルス科でよくわかっているのはアロサウルス属のみなのが現状である。アロサウルス属内の分類は上述の通り議論のあるところであり、サウロファガナクスに関しても、「A.フラギリスやA.“ジムマドセニ”ではない大型種」くらいしか現状言うことはない(アロサウルス属に入れてしまう意見は至極真っ当である)。エパンテリアスに至っては「デカいアロサウルス類」以上に言えることはなく、従って今日ではもっぱら疑問名とみなされている(サウロファガナクスかもしれないし、A.フラギリスの大型個体かもしれないし、やはり独立した種なのかもしれないが判断のしようがない)。
 モリソン層から産出する恐竜化石の研究が始まって140年余りが過ぎたが、化石の質・量ともにモリソン層産獣脚類ではもっとも優れ、かつよく研究されているアロサウルス類でさえこの様である。1000万年近くに渡って続いた「モリソンの時代」の全容が明らかになるのはずっと先のことだろう。