↑Composite skeletal reconstruction of Campanian "Troodon".
Scale bar is 1m.
Latenivenatrix mcmasterae (upper row)
Based on CMN 12340 (holotype; skull roof, forelimb, foot, tail fragments),
TMP 82.19.23 (skull), TMP 92.36.575 (dentary, metatarsus),
UALVP 55804 (pelvis).
Scaled as TMP 80.16.1748.
Stenonychosaurus inequalis (lower row)
Based on CMN 8539 (holotype; manus, foot, caudal vertebra),
UALVP 52611 (skull roof), TMP 82.19.151 (dentary),
MOR 748 (Two Medicine specimen; pelvis and hindlimb).
Scaled as UALVP 52611.
先日のラテニヴェナトリクスLatenivenatrixの記載とそれに伴うトロオドンの疑問名送りは記憶に新しい。近年の歯化石の形態解析と合わせ、白亜紀後期後半の北米産トロオドン類の分類学的な整理がこれでかなり進んだ格好である。――我々の見ていたトロオドンとはなんだったのだろうか?
ジュディス・リバー層で発見されたトロオドン・フォルモススTroodon formosusがライディによって命名されたのは1856年のことであり、名実ともに最初に命名された北米産恐竜のひとつであった――のだが、ライディはこれをlacertian――トカゲの仲間と考えていた(Lacertaはコモチカナヘビ属)。ホロタイプANSP 9259はわずかに1本の歯(後の研究で後方の前上顎骨歯であることが判明した)だったが、非常に特徴的な形態を示していたのである。
コープが1877年に獣脚類の可能性を指摘したことを皮切りに、トロオドンの分類は二転三転することとなった。1900年代の初頭になってもランベはライディの考えを引き継ぎトロオドンをトカゲの仲間として扱う一方、ノプシャやヘイなどはこれをメガロサウルス科に置き、ブラウンはアンキロサウルス科に分類する始末だったのである。一方で、依然としてトロオドンは歯しか知られておらず、このあたりの議論に決着をつけるのには無茶な状況でもあった。
状況が変わったのは1920年代になってからだった。1921年にジョージ・スターンバーグがアルバータで発見した奇怪な鳥盤類の骨格はステゴケラス・ヴァリドゥムのドームを備えていた一方、トロオドンと(なんとなく)似た歯――発達した鋸歯をもつ牙――を前上顎骨に備えていたのである。これの研究にあたったギルモアはステゴケラス属をトロオドン属のジュニアシノニムとみなし、ドーム状の肥厚した頭骨をもつ小型鳥盤類のグループをトロオドン科と呼んだ。かくしてギルモアによるトロオドン・ヴァリドゥスのモノグラフが出版された1924年以降、トロオドンの分類に決着がついたかに見えた。
(トロオドンはかつて一般にTroödonと綴られ、カナ転写でトロエドンとあてられることが多かった。1856年の原記載ではウムラウトがないのだが、いつしかウムラウトが付け加えられたようである。こんにち学名には英語アルファベット26文字の使用のみが許されており、ウムラウトやハイフンは削除されて久しい)
こうした安定状況に冷や水をぶっかけたのは「トロオドンの骨格」を発見したジョージの弟――チャールズ・モートラムであった。トロオドン・フォルモススの歯を入念に観察したチャールズ・モートラムは、1945年になってT.フォルモススと「トロオドン・ヴァリドゥスの歯」が概形しか似ていないことを指摘したのである。鳥盤類の歯のような発達した鋸歯を備えている一方、トロオドン・フォルモススの歯の基本的なつくりは獣脚類的であり、チャールズ・モートラムはトロオドンをステゴケラス属をトロオドン属から切り離すこと、それまでトロオドン科と呼ばれていた堅頭竜類をパキケファロサウルス科と呼ぶことを提案したのだった。
最終的にこの問題に決着を付けたのはラッセル(ロリスの方)だった。現在のダイナソー・パーク層(層準不詳)から採集された小型獣脚類の顎ROM 1445にトロオドン・フォルモススと(今度こそ)酷似した歯が植わっていることを発見したのである。ライディによる命名から90年以上がすぎた1948年になって、ようやくトロオドン・フォルモススが小型の獣脚類であることが明らかになったのだった(その後1981年になってベアドがうっかりトロオドンをヒプシロフォドン類とみなしたりもしたのだが)。
さて、トロオドンが堅頭竜類としてコンセンサスを得られかけていた1932年、ギルモアはダイナソー・パーク層(層準不詳)で採集された歯骨CMN 8540――歯は全て脱落していたがやたら多くの歯槽があった――を新たな「トカゲの仲間」ポリオドントサウルス・グランディスPolyodontosaurus grandisと命名した。
また、同年に(ポリオドントサウルスの命名に先行して)チャールズ・モートラム・スターンバーグは新たな「コエルルス科」のステノニコサウルス・イネクアリスStenonychosaurus inequalisを命名した。ステノニコサウルスのホロタイプCMN 8539はほぼ完全な足のほか、手や尾の断片が保存されていた(第Ⅱ趾は妙な特殊化をしており、第Ⅲ趾や第Ⅳ趾と比べて極端に短くなっている(非対称、を意味する種小名はこれに由来)ほか、大きな幅の狭い末節骨(属名はこれにちなむ)を支えていた)。
1951年になってチャールズ・モートラムはポリオドントサウルスがトカゲではなくトロオドン科であることを指摘した。また、ポリオドントサウルスとステノニコサウルスがトロオドンのシノニムとなる可能性も述べた――が、特にステノニコサウルスについては(1951年時点で)オーバーラップする部位がないことから、断定は避けたのだった。
1968年の夏はカナダ国立博物館(NMC;現カナダ自然博物館CMN)にとって大豊作の年であった。謎の小型獣脚類――キロステノテス、ドロマエオサウルス、そしてステノニコサウルスと思しき部分骨格を一挙に発見したのである。
1969年にステノニコサウルスらしき骨格CMN 12340(およびそれまでに知られていた実質的に全ての北米産トロオドン類)の記載にあたったラッセル(デイルの方)は、これをステノニコサウルス・イネクアリスと断定し、またポリオドントサウルスをステノニコサウルスのシノニムとみなした(ロリスの記載したROM 1445もトロオドンではなくステノニコサウルスとみなしている。このあたり、結局のところホロタイプが前上顎骨歯一本のみであるトロオドン・フォルモススの扱いには慎重なデイルであった)。ラッセルのこの研究によって、北米産のトロオドン類は実質的にステノニコサウルス・イネクアリス1種にまとめられたのである。
CMN 12340は頭蓋天井や部分的な前後肢、尾の一部やいくつかの肋骨が保存されており、S.イネクアリスとされたその他の標本を組み合わせることで割合にそれらしく復元できるようになった。ラッセルはさらに、サウロルニトイデス・モンゴリエンシスがステノニコサウルスとよく似ていることを見抜き、(前肢の要素はステノニコサウルスを参考にして)骨格の復元を行ったのだった。ここに初めて、トロオドン類の(比較的まともな)復元が示されたのである。ラッセルはこのサウロルニトイデスの復元をたたき台として、後に(ディノサウロイドと対になる)ステノニコサウルスの復元模型を監修することになったのだった。
ラッセルはトロオドンとステノニコサウルスそしてサウロルニトイデスがそれぞれよく似ていることを指摘しつつ、それぞれが依然として断片的な要素しか知られていない(ラッセルの言い分では、トロオドンと断定できる要素は結局歯だけだった)ことから、いずれも別属として扱った。従ってカリーが1985年に抜群によく保存された頭骨(後半部)TMP 82.19.23を記載した際もステノニコサウルス名義だった(この時期カーペンターとポールは共同でステノニコサウルスをサウロルニトイデスのシノニムにしようと画策中だったらしいのだが、これはとうとう出版されなかった)。
バルスボルドは1974年にサウロルニトイデス・ジュニオル――現ザナバザル――を記載した際、トロオドンとサウロルニトイデスの前上顎骨歯の形態の違いを指摘し、一方でサウロルニトイデスとステノニコサウルスの骨格がよく似ていることからそれらをサウロルニトイデス科としてトロオドン科から切り離した(依然としてステノニコサウルスと断定できる前上顎骨歯は産出していなかった)。トロオドンのホロタイプがあまりにも貧弱だったこともあってかこの意見はよく受け入れられた(がゆえにカーペンターとポールはステノニコサウルスをサウロルニトイデスのシノニムにしようと試みたわけである)。
一方で、これに異議を唱えたのがカリーであった。ホーナーがロイヤル・ティレルのそば(ホースシュー・キャニオン層)で見つけた部分的な歯骨(様々な部位の歯骨歯が残っていた)TMP 83.12.11に基づき、同一個体内でも歯の形態が位置によって異なることを示したのである。
カリーはサウロルニトイデス科をトロオドン科に差し戻すにとどまらず、踏み込んでラッセル言うところのステノニコサウルス・イネクアリス(ポリオドントサウルスを含む)をトロオドン・フォルモススのシノニムとした(この時点でトロオドン・フォルモススのレンジはジュディス・リバー層のほかオールドマン層、ダイナソー・パーク層そしてホースシュー・キャニオン層まで及んだ)。さらにカリーはランス層産のペクティノドン・バッカーリPectinodon bakkeriもトロオドン・フォルモススのシノニムとなる可能性まで指摘したのであった。
これと前後してモンタナのトゥー・メディスン層でトロオドン類の営巣地(当初オロドロメウスの営巣地とされていたことは今さら言うまでもない)が発見され、上述の経緯からこの「エッグ・マウンテンのトロオドン類」もトロオドン・フォルモススと呼ばれるようになった。このエッグ・マウンテンのトロオドンは複数の骨格(ほとんどは完全にばらけていたのだが)が発見され、中でもMOR 748は部分的な腰帯やほぼ完全な後肢、部分的な尾が(関節した状態で)保存されていた。ここに至って、ついに「トロオドンの復元骨格」が制作されることとなったのである。
これで一件落着――だったのは2000年代までの話である。ザンノらは2011年にカイパロウィッツ層産の部分的なトロオドン類の骨格UMNH VP 19479(完全な足を含む)をタロス・サンプソニTalos sampsoniとして記載したのだが、この時、カリー言うところの「トロオドン・フォルモスス」に複数の種が含まれている可能性について触れ、ホロタイプが前上顎骨歯1本のみであることからT.フォルモススが疑問名になり得ることを指摘したのである。すでに2008年にはロングリッチが歯の定量的な形態解析に基づきペクティノドン・バッカーリを復活させており、これが追い風となった。
ホースシュー・キャニオン層産の前頭骨はそれ以外のものと比べて明らかに前後に短いという特徴をもっており(相対的に吻が短かったという可能性を示唆する)、かくしてホースシュー・キャニオン層のホースシーフHorsethief部層(カンパニアン末~マーストリヒチアン最初期)産の前頭骨TMP 93.105.1をホロタイプとしてアルバータヴェナトル・カリーリAlbertavenator currieiが設立された(前述のTMP 83.12.11が本種に属するかは現状はっきりしない)。さらに、前頭骨や中足骨の違いに基づき、残る「トロオドン」も2つに分割されることとなった。――ステノニコサウルス・イネクアリスと新属新種ラテニヴェナトリクス・マクマスターアエLatenivenatrix mcmasteraeである。
ラテニヴェナトリクスのホロタイプとなったのはステノニコサウルスの復元の扉を開いたCMN 12340で、カリーがステノニコサウルスの頭骨として記載したTMP 82.19.23もステノニコサウルスではなくラテニヴェナトリクスとなった。「エッグ・マウンテンのトロオドン類」の分類について断定はされなかった(今後詳しく研究するらしいことがほのめかされている)が、こちらはどうやらステノニコサウルス・イネクアリスの可能性が高いらしい。
厄介なことに、ステノニコサウルス(ダイナソー・パーク層下部産;7700万~7670万年前ごろ)とラテニヴェナトリクス(ダイナソー・パーク層上部産;7640万~7620万年前ごろ)は骨格の形態(と時代)で区別できる一方、歯の定量的な形態解析では区別することができない。さらに言えば、ジュディス・リバー層産の歯(真正のトロオドン・フォルモススの可能性がある)とダイナソー・パーク層産の歯(ステノニコサウルスとラテニヴェナトリクス双方が入り混じっていると思われる)、ホースシュー・キャニオン層産の歯(アルバータヴェナトルが含まれていると思われる)も形態的に区別できなかった(結局のところカリーによる歯の観察は的確だった)のである。
これはつまり、ララミディア中部のカンパニアン~マーストリヒチアン前期のトロオドン類の歯は(体骨格は少なからず形態差を示す一方で)いずれも有意な形態差をもたず、歯だけで(少なくとも)種レベルの分類を行うことは不可能であることを意味する。かくして、前上顎骨歯1本に基づき命名されたトロオドン・フォルモススは疑問名――「不明確な」学名とみなされたのだった(ついでにポリオドントサウルスも疑問名になった。歯骨の形態はどれもこれも似通っていたのである)。
トロオドンは疑問名の暗黒へ葬り去られ、ある程度(ある程度、に過ぎない)整理の進んだララミディア中部産トロオドン類ではあるが、白亜紀後期後半のララミディアの小型獣脚類相にはまだあまりにも謎が多い。ペクティノドン型の歯はダイナソー・パーク層からわずかながらに発見されており、またリチャードエステシアに代表される“tooth taxon”の正体につながる手掛かりはほとんど知られていないのである。
ラテニヴェナトリクスもステノニコサウルスも、蓋を開けてみれば3m超級と決して小さくない恐竜であった。二回りは小さいドロマエオサウルス類を遥か高みから見下ろしていた“トロオドン”たちは、いかなる生活を送っていたのだろうか。
(余談になるが、よくみかけるハートマンの“トロオドン”の骨格図(ラテニヴェナトリクスの記載論文の図もこれをたたき台にしている)がラテニヴェナトリクスとステノニコサウルス(含エッグ・マウンテン標本)の合成なのは言うまでもないのだが、さらに言えばこれのベースになっているのがポールによる合成骨格図である。これらの骨格図ではやたら頭が大きく描かれているが、実際には上の骨格図のようにもっとずっと小さな頭である(ザナバザルやゴビヴェナトルと同様のプロポーションである)。このあたり、ラッセルによるステノニコサウルスの復元模型や(全体的に粗いつくりだが)復元骨格のプロポーションはかなり妥当である)