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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

小川を渡って谷間を抜けて【ブログ4周年記念記事】

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↑Skeletal reconstruction of Edmontosaurus annectens (upper row)
and Edmontosaurus regalis (lower row). Scale bar is 1m.
 
Edmontosaurus annectens
 Silhouette: "X-rex" MOR 1142, roughly scaled.
 (not fullly?) Adult: composite (proportion after AMNH 5730), 
scaled as MOR 003.
 Subadult: composite, proportion after and scaled as holotype USNM 2414.
Edmontosaurus regalis
 Adult: composite, largely based on ROM 801.
 Subadult CMN 8399.
 
 よくわからないフラストレーションとほんの思い付きと暇つぶしで本ブログを立ち上げてから4年が経ってしまった。立ち上げてから4年も経てばそれなりに(特にここ2年あまりで)色々な巡り合わせがあるわけで、我ながら軽い思い付きで始めてみるものである。ゆるく適当に今後もやっていきたい次第である。
 
 先日のトロオドン云々といい、古くから知られていた分類群というのはどこかしらに「弱点」というか、厄介な事情を抱えているものである。巡り巡ってそうした事情はしばしば研究上の大きな障害となりうるわけで、だからこそ「疑問名」が活きるのだ。
 エドモントサウルスと聞いて、読者の皆様は他にどんな恐竜を思い浮かべるだろうか?筆者くらいの生まれになるとすでにエドモントサウルスといえばティラノサウルスに襲われているのが常であった一方で、アルバートサウルスに襲われていることもしょっちゅうであった。
 ティラノサウルスアルバートサウルスとでは時代が違う――のは本ブログの読者の皆様には書くまでもないこととして、元来エドモントサウルスとはアルバートサウルスと同じ地層――アルバータのホースシュー・キャニオンHorseshoe Canyon層(カンパニアン後期~マーストリヒチアン後期前半;約7500万~6750万年前)から産出するエドモントサウルス・レガリEdmontosaurus regalis(カンパニアン末~マーストリヒチアン前期;約7350万~7150万年前)のことであった。
 
 北米での最初の恐竜発見はモンタナだったが、最初のまともな化石が見つかったのは東海岸であった――という話はこれまでに散々してきた通りである。1855年、医者上がりの化石ハンター兼地質学者であったハイデンは、モンタナ(当時はまだネブラスカ準州だった)のおなじみジュディス・リバーJudith River層(カンパニアン中期~後期;ざっくり8000万~7530万年前ごろ)で収集した多数の化石(大部分が歯だった)をライディの元へ送った。1856年になってライディはこのコレクションの分類・命名を行ったのだが、その中には運命の4種が含まれていた。「トカゲ」の歯が2種――パラエオスキンクス・コスタトゥスPalaeoscincus costatusとトロオドン・フォルモススTroodon formosus(実は原記載にはウムラウトがない。いつの間にかウムラウトが付け加えられてTroödonになっていたらしい)、そしてヨーロッパ産のものとよく似た恐竜の歯が2種――デイノドン・ホリドゥスDeinodon horridusそしてトラコドン・ミラビリスTrachodon mirabilisである。これら4種(特に後者2種)が、北米「最初」の恐竜となったのだった。
 
 ライディは1856年のうちにもうひとつ、ハイデンのコレクションの中から恐竜を命名していた。サウスダコタの「大褐炭層」(現ランスLance層)から産出した椎骨と趾骨の寄せ集めに基づくテスペシウス・オクシデンタリスThespecius occidentalisである。
 このあとしばらく北米西部からの報告は途絶えるのだが、1871年になってカンザスのナイオブララNiobrara層から頭部を欠く他はほぼ完全なハドロサウルス類が発見された。この標本YPM 1190を掘り当てたのはマーシュ率いるピーボディ博物館の遠征隊で、マーシュはこれを翌1872年にハドロサウルス属の新種ハドロサウルス・アギリスH. agilis命名した。頭骨を除けば初めてのハドロサウルス類の全身骨格といってよかったのだが、ハドロサウルス・フォーキイと代わり映えしなかったためか(H.フォーキイの時点で部分的とはいえ頭骨以外はまんべんなく発見・記載されていた)、マーシュがYPM 1190を詳しく記載することはとうとうなかった。もっとも、その後のハドロサウルス類の研究の進展に伴い、1890年にマーシュは本種を模式種として新属クラオサウルスClaosaurusを設立している。
 さて、マーシュのこうした動きにやきもきしていたコープも西部に手を出すこととなり、1872年のアガタウマスの発見・記載を皮切りに続々と断片的な骨格を見つけては命名していった。キオノドンCionodonやディスガヌスDysganusディクロニウスDicloniusといったこれらは同一個体かも定かでない断片的な骨や歯の寄せ集めに基づいており、20世紀に入るともはやほとんど無視されるようになった代物であった。
 
 1882年、コープに運が回ってきた。コープ配下の化石ハンターであるワートマンとヒルサウスダコタの「ララミー層」で、見事な頭骨の残ったハドロサウルス類の骨格の大部分を発見したのである。コープはこの「ガチョウに似た」あるいは「上から見ると吻を短くしたヘラサギにも似ている」頭骨の歯がトラコドン・ミラビリスとよく似ていることを確認し、そしてこれをディクロニウス・ミラビリスと呼んだ。
 この時、コープは何を思ったか、ライディがトラコドンという属名を放棄しているものと勘違いし、「入れ物」のなくなってしまったT.ミラビリスをディクロニウス属としたのであった。その上でこの標本――のちのAMNH 5730ディクロニウス・ミラビリスと同定したのである。AMNH 5730はハドロサウルス類最初の完全な頭骨(それまでごく断片的な化石しか知られていなかった)であり、マーシュなどはディクロニウスをトラコドンかハドロサウルスのシノニムとして扱っていたこともあって、20世紀後半まで続く混乱が生じることとなった。ハドロサウルス科でも屈指の幅の広さを誇るくちばしをもったAMNH 5730の頭を据えた「トラコドン」や「ハドロサウルス」の復元画が氾濫することとなったのである。
 
 1880年代も後半になると、マーシュによって送り込まれたハッチャーが西部で活動するようになった。その皮切りとしてハッチャーはランス層で巨大な歯骨(復元すれば長さ1.1mに達するという)を発見し、マーシュはこれをトラコドン属の新種――AMNH 5730が念頭にあるのは言うまでもない――トラコドン・ロンギケプスT. longicepsとしたのである。
 ハッチャーの手にかかればハドロサウルス類の全身骨格の発見などは時間の問題だったわけで、1891年には2体のほぼ完全な骨格――のちのUSNM 2414YPM 2182が発見された。マーシュはUSNM 2414をホロタイプに、YPM 2182をパラタイプとしてクラオサウルス属の新種、クラオサウルス・アネクテンスClaosaurus annectens命名したのである。annect――「繋げる」という意味の種小名には、基盤的なハドロサウルス類であるらしいクラオサウルス・アギリス(首なしではあったが、「第Ⅴ中足骨(のちに第Ⅰ中足骨と再同定されたが結局第Ⅴ中手骨の誤認だったらしい)」をもつ)と、より派生的な「トラコドン類(つまりこの場合AMNH 5730を指す)」との間に位置づけられるというマーシュの考えが反映されている(結局のところこれは正しかった)。
 イェール大学はピーボディ博物館といえば言わずと知れたマーシュの活動拠点であるが、ここにはマーシュが1899年に亡くなるまで恐竜の復元骨格が存在しなかった。1901年にYPM最初の復元骨格としてYPM 2182を組み立てたのがビーチャー――黄鉄鉱化したトリアルツルス・イートニの研究に名を残すチャールズ・ビーチャーその人であった。マーシュに師事し高い評価を受けていたビーチャーは(専門は三葉虫などの古生代無脊椎動物だったが)しばしばマーシュの脊椎動物化石コレクションのプレパレーションに従事しており、マーシュの死後ピーボディ博物館の地質学部門のキュレーターに収まったのである。ビーチャーは記念すべき復元骨格第1号に(ほぼ完全で関節もよくつながっていたことから)YPM 2182を選ぶと、極力元の産状を活かす形で(省力化の意味合いも大きかったのだろう)現生のエリマキトカゲのダッシュ時の姿勢を参考に、ウォールマウントとして仕上げたのであった。
 パラタイプがYPMで組み立てられる一方で、ホロタイプはその他のコレクションと共にスミソニアンに移管されUSNM 2414となった。こちらも1903年から1904年にかけてギルモアの手でウォールマウントにされ、スミソニアン初の実骨マウントとなったのである(そして最近リノベーションに向けて解体され、キャストが4足歩行姿勢で組み直された)。
 
 マーシュはランス層産の吻の短いハドロサウルス類をクラオサウルス属とした(マーシュはトラコドンをハドロサウルスとディクロニウスのシニアシノニムとして扱った一方で、キオノドンやオルニトタルスス、クラオサウルスは別属とみなしていた)わけだが、ランス層といえばテスペシウス・オクシデンタリスの産地でもある。マーシュの死後、クラオサウルス・アネクテンスをテスペシウス・オクシデンタリスのジュニアシノニムにしようという意見が出るのは自然なことであった。
 ハッチャーは1902年にこのあたりのレビューを行い、「ハドロサウルスやテスペシウスなどはいずれもトラコドンのシノニムである」とした一方、「クラオサウルス・アギリスはトラコドン属ではない」とした(つまり「トラコドン類」はトラコドン属とクラオサウルス属の二つに分かれるが、“クラオサウルス”・アネクテンスはトラコドン属となる)。さらにハッチャーはもっと踏み込んで、トラコドン・ミラビリス(この場合AMNH 5730を指していることに注意)とトラコドン・アネクテンスがそっくりであり、両者の違いは化石化の過程における変形や個体変異による可能性をも指摘したのであった(が、さすがにT.アネクテンスをT.ミラビリスのシノニムにすることは控えた)。
 
 ハッチャーのこの「トラコドン化」は、1910年代に入ってジュディス・リバー層(T.ミラビリスの模式産地はこちらである)や、その同時代層での化石発掘ラッシュが始まるまで、広く受け入れられることとなった。従って、1908年にランス層で発見された見事なハドロサウルス類のミイラ化石(AMNH 5060)がAMNHで展示されたとき、これに「トラコドンのミイラ」のキャプションがつけられたのは無理もないことであった(そして果てしない混乱を招くことになった)。
 1910年代に入り、ブラウンとスターンバーグ一家がアルバータで火花を散らすようになると、どうも「トラコドン類」は著しい多様性を持っており、少なくともトラコドン・ミラビリスの模式産地/時代(ジュディス期))には“トラコドン”・アネクテンスや「コープのディクロニウス・ミラビリスの全身骨格」のようなランス期のタイプがいないらしいことが明らかになった。ここまで来るとさすがに色々とまずいことが明白となり、スターンバーグ(父)はランス期の「トラコドン類」をテスペシウス属にまとめることを提案した(“トラコドン”・アネクテンスをテスペシウス・オクシデンタリスのシノニムにすることはしなかった)。
 スターンバーグ(父)はかくして、その後自ら発見・研究したランス期のカナダ産ハドロサウルス類をそれぞれテスペシウス・エドモントニT. edmontoni(ホロタイプCMN 8399エドモントン層下部産――現ホースシュー・キャニオン層産;結局ランス期のものではなかった)、テスペシウス・サスカチュワネンシスThespesius saskatchewanensis(ホロタイプCMN 8509は現フレンチマン層産)と命名したのである。
 
 スターンバーグ(父)による「テスペシウス化」もよく受け入れられた一方で、ハッチャーによる「トラコドン化」の影響は依然として残されていた(AMNH 5060のキャプションは相変わらず「トラコドンのミイラ」だった)。そんな中でランベは「エドモントン層(下部)産」(現ホースシュー・キャニオン層産)の見事な骨格CMN 2288と2289を模式標本(ホロタイプは2288)として、新属新種エドモントサウルス・レガリEdmontosaurus regalisを設立した。これはコープの「ディクロニウス・ミラビリスの全身骨格」と似ていたが、ずっとがっしりしており、また吻も短かった(実のところ原記載の中で「テスペシウス類」との比較は行っていない)。
 かくしてランス期の多様なテスペシウス属とそれより古い、がっしりしたエドモントサウルス属(E.レガリスのみ)という状況はその後しばらく続くようになった。が、いかんせんテスペシウス・オクシデンタリスも首なしの断片の寄せ集めに過ぎず、他のまともな「テスペシウス類」との比較が結局のところ困難だったのである。また、コープの「ディクロニウス・ミラビリスの全身骨格」AMNH 5730の分類も難題であった。これとよく似たほぼ完全な骨格AMNH 5886ともども1908年にマウントされたまではよかったものの、キャプションは「トラコドン類」としか書きようがなかったのである。
 
 1942年のラルとライトによるハドロサウルス科のモノグラフは、こうした混乱に終止符を打つべく出版されたものだった。当時知られていた全てのハドロサウルス類についてレビューするとともに、ランス期の「テスペシウス類(からテスペシウス・オクシデンタリスを除いたもの)」に――アナトサウルスAnatosaurus(アヒルトカゲの意)――を与えたのである。“クラオサウルス”・アネクテンスは紆余曲折の末にアナトサウルス属の模式種アナトサウルス・アネクテンスに、「ディクロニウス・ミラビリスの全身骨格」はアナトサウルス属の新種アナトサウルス・コープイAnatosaurus copeiに、テスペシウス・エドモントニとテスペシウス・サスカチュワネンシスそして“トラコドン”・ロンギケプスはそれぞれA.エドモントニとA.サスカチュワネンシス、A.ロンギケプスとなった。テスペシウス・オクシデンタリスの尾椎はアナトサウルスとはどうやらプロポーションが異なるようだったので、ラルとライトはそれ以上テスペシウスについては触れないこととしたのだった。
 
 かくしてランス期のハドロサウルス類は全てアナトサウルス属となり、ライディ以来90年近く続いていた混乱に終止符が打たれた――はずだった。ラルとライトはアナトサウルス属を設立する際にエドモントサウルス・レガリスとよく似ていること(一方で、概してエドモントサウルスより華奢で小顔であること)を指摘し、頭骨のちょっとした違いとその時代などから両者を区別したのだが、現実問題両者は非常によく似ていたのである。
 一方で、アナトサウルス・コープイとアナトサウルス・ロンギケプスはやたらと長い吻をもっていた。
 
 1970年代になると形態解析に新たな手法が導入されるようになり、最終的にブレット=サーマンがアナトサウルスに引導を渡すこととなった。アナトサウルス属がエドモントサウルス属のシノニムとなる一方で“アナトサウルス”・コープイ(と“アナトサウルス”・ロンギケプス――もっぱら疑問名として扱われるようになっていた)は新属アナトティタンAnatotitanとなったのである。“アナトサウルス”・エドモントニ(本来エドモントネンシスとなるべきである)はアネクテンスのシノニムとなり、かくして混沌の権化のようになってしまったこれらの恐竜は、エドモントサウルス3種(E.レガリス、E.アネクテンス、E.サスカチュワネンシス)とアナトティタン・コープイの計4種となることで落ち着いたのであった。――2000年代までは。
 
 E.レガリスとE.アネクテンスの区別は実のところ2000年代まであいまいな点があり、ヘル・クリーク層から発見された大きめのエドモントサウルス類はE.レガリスとしばしば同定された(一方でホースシュー・キャニオン層産のE.アネクテンス――“テスペシウス”・エドモントニもいたわけである)。また、E.アネクテンスにしては吻が長め(だがアナトティタンにしては短い)な標本も見つかるようになった。状態の良い頭骨が見つかるにつれAMNH 5730――アナトティタン・コープイの模式頭骨が上下にかなり潰れていることも明白となり、状況は100年前に戻りつつあった。
 ハッチャーが1902年に指摘した通り、エドモントサウルス・アネクテンスとアナトティタン・コープイは実質的に区別できなかったのである。
 
 2011年になってこれら北米のエドモントサウルス類の頭骨について詳細な形態解析――成長過程も考慮に入れたもの――がなされ、E.レガリスとE.アネクテンスの頭骨の違いがはっきり示されると共に、“テスペシウス”・エドモントニがE.アネクテンスではなくE.レガリスの亜成体であること、E.サスカチュワネンシスがE.アネクテンスの亜成体に過ぎないこと、そしてアナトティタン・コープイがE.アネクテンスのよく成長した個体であることも明白になったのだった。こうして再定義されたE.レガリスとE.アネクテンスは時代がはっきり異なり(前者がエドモントン期――カンパニアン最後期からマーストリヒチアン前期、後者がランス期=マーストリヒチアン後期)、このあたりの混乱も解消されたのである。
 
 最近の系統解析で、シャントゥンゴサウルスやケルベロサウルスKerberosaurus(およびクンドゥロサウルスKundurosaurus)といったアジアの中大型~超大型のハドロサウルス類がエドモントサウルスと近縁であることが明らかになった。また、近年発見された標本(例えば“X-rex”ことMOR 1142や“Becky's Giant”ことMOR 1609)はE.アネクテンスがシャントゥンゴサウルスと同等のサイズ(ざっと全長15m)まで成長した可能性を示しており、カンパニアンの中ごろからマーストリヒチアンの最後まで、東~東北アジアからアラスカ、ララミディア中部にかけて巨大なハドロサウルス類の1グループが繁栄していたらしいことを示唆している。
 
 実に150年近くの混乱を経てようやく落ち着きを見せそうなエドモントサウルス属だが(一瞬アナトサウルス属が復活する気配を見せた――が、これは単にたまたまとある系統解析で他のハドロサウルス類ともども多系統になってしまっただけの話であった)、言うまでもなく数ある恐竜の中でもかなり「ちゃんと」復元できるポテンシャルを秘めている。E.レガリス、E.アネクテンス共によく保存されたミイラ化石が(特にE.アネクテンスでは複数)知られており、少なくとも「ガワ」の復元の直接の参考になる標本が揃っているのだ。
 そうはいっても(石化した)乾燥死体を相手にする難しさは言うまでもない(このあたりは「恐竜異説」でバッカーが散々論じた通りである)。トラコドンは遠く去り、すっかり水から上がったエドモントサウルスではあるが、本当の姿が明らかになるのは(少なくとも)まだずっと先の話である。
 
(今日トラコドン・ミラビリスの模式標本群はランベオサウルス類(ホロタイプ)と角竜(パラタイプ)のキメラであったことが知られているが、中でもホロタイプはコリトサウルスの歯によく似ているらしい。最近アメリカ側(ジュディス・リバー層)でもコリトサウルスが発見されたというのだが、そういうわけでトラコドン・ミラビリスの正体が明らかになる日は多分永遠に訪れないだろう。)
 
◆追記◆
 うんざりするほど多数の化石が知られているエドモントサウルスだが、あんがい日本国内ではまともな展示はレアものである。全身骨格が豊橋と福井にある(豊橋のものは実骨で有名だが、実のところ福井のものも部分的は実骨が組み入れられているようだ)ほか、板橋区立教育科学館に右脚(実物なのだがどうも複数個体のコンポジットらしい)が展示されている。