GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

トリケラトプスの鎧、トロオドンのヘルメット、そして

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↑Skeletal reconstruction of Lancian pachycephalosaurins.
Top to bottom,
Pachycephalosaurus wyomingensis AMNH 1696
(holotype of P. "grangeri"; adult),
?Pachycephalosaurus sp. NMNS specimen ("Sandy"; subadult),
"Stygimoloch spinifer" MPM 8111 (subadult),
"Dracorex hogwartsia" holotype TCMI 2004.17.1 (large juvenile),
"William's ranch pachycephalosaur".
Scale bar is 1m.

 一昨年の夏にリニューアルされた国立科学博物館の地球館B1Fには、相変わらずの凶暴な照明ではあるものの、様々な展示が追加されている。一方で少なからずバックヤードに下げられた標本もあるわけで、「パキケファロサウルスの骨格」は2体から1体に減ってしまった――が、キャストではなくオリジナルのマウントに差し替えられた。
 “サンディ”の愛称で知られてきたこの標本の重要性については言うまでもないのだが、この標本を含め、ララミディアはランス期のパキケファロサウルス類はいずれも数奇な運命を辿ってきた。書き出しの時点で長くなりそうな雰囲気に満ち満ちているのだが、そういうわけで色々と書きたい。

 北米における「まともな堅頭竜類の頭骨」の発見は1921年のことだが、知られている限り最古の発見は1859年~1860年ごろまで遡ることができる。ハイデン(ライディやコープとセットでよく登場する)がこの時期に発見した5cmほどの「こぶの塊」は、1872年になってライディによって爬虫類(あるいはアルマジロのような哺乳類)の皮骨とみなされティロステウス・オルナトゥスと命名された(そしてそれきりほぼ忘れ去られた)。
 それからしばらく堅頭竜類に関する動きはなかったのだが、1889年のトリケラトプスの発見を皮切りにハッチャーが足しげく「ケラトプス層」(現ランス層)に通うようになると(当然)状況は変わることとなった。マーシュはハッチャーが発見した奇妙な「トゲこぶ」をトリケラトプスの皮骨とみなし(何しろ角竜と剣竜が密接な関係にあると考えられていた時代である)、1891年にこれの図示を行ったのである。ハッチャーもこの考えを受け継ぎ、しばらくの間「トリケラトプスの皮骨」が研究を混乱させることになったのだった。

 このあたりの「こぶの塊」や「トゲこぶ」が堅頭竜類(というかパキケファロサウルス族)に属することは書かずとも察していただけようが、19世紀後半~20世紀初頭にかけて知られていた堅頭竜類の化石は「こぶの集合体」かさもなくばつるりとした頭頂ドームの一部だけであり、両者を結び付けるのは簡単なことではなかった。
 1921年にジョージ・スターンバーグがダイナソーパーク層で発見した堅頭竜類最初の部分骨格――UALVP 2――は堅頭竜類の実態を初めて明らかにするものであった――が、これを研究したギルモアは勢い余って(この標本をステゴケラス・ヴァリドゥム(命名はランベ)と同定したうえで)ステゴケラスをトロオ(エ)ドンのシノニムにしてしまった。ここに堅頭竜類としてのトロオドン科が誕生し、その後しばらく、新たに見つかった堅頭竜類の化石(依然としてドームだけだった)はことごとくトロオドン属となったのである。

 こうしてギルモアによって命名されたトロオドン属のなかでも、ひときわ異彩を放っていたのがランス層産のトロオドン・ワイオミンゲンシスだった。これは他の「トロオドンの頭頂ドーム」の倍以上のサイズがあり、「こぶの集合体」が付いているあたりも別物であった。
 いかんせん頭頂ドームだけではそれ以上どうしようもなかったのだが、その後10年ほどでトロオドン・ワイオミンゲンシスとよく似た(一回りデカい)、ほぼ完全な頭骨AMNH 1696が発見された。これはトロオドン・ヴァリドゥスの3倍というすさまじいサイズで、かつずっと長い吻をもっており、(ギルモア言うところの)トロオドンとは著しく異なっていたのである。
 かくして1943年、ブラウンとシュレイカーはAMNH 1696を新属新種パキケファロサウルス・グレンジャーリPachycephalosaurus grangeri命名するとともに、トロオドン・ワイオミンゲンシスをパキケファロサウルス属第二の種P.ワイオミンゲンシスとした(ついでにサウスダコタ産の低いドームをもつ標本DMNH 493を第三の種P.ラインハイマーリreinheimeri命名した)。

(ブラウンとシュレイカーはあくまでもパキケファロサウルス属の模式種はP.グレンジャーリと宣言してはいるのだが、現行の命名規約ではその辺容赦なく先取権を行使する。こんにち上に挙げたパキケファロサウルス属の3種はすべて同一種と考えられており、従って命名の最も早いP.ワイオミンゲンシスが他の2種に優先する。)

 かねてより「トリケラトプスの皮骨」に懐疑的だったブラウンは、マーシュが「トリケラトプスの皮骨」とみなした「トゲこぶ」YPM 335がパキケファロサウルス
「こぶの集合体」と酷似していることに気付いた。ブラウンはこれをパキケファロサウルスの一種(おそらく新種と考えていたものの、「トゲこぶ」しかなかったことから命名は控えた)とみなし、ようやく「トリケラトプスの皮骨」問題は決着したのだった。
 ブラウンとシュレイカーは相変わらずトロオドンを堅頭竜類として考えていたのだが、それからほどなくしてトロオドンが獣脚類(の歯)であり、ステゴケラスとは別物であることが明確に示されるようになった。チャールズ・モートラム・スターンバーグが「トロオドン科」からステゴケラスとパキケファロサウルスを分離させ、パキケファロサウルス科を新たに設立したことで、ようやくこのあたりの分類(のフレームワーク)が定まったのである。

 1970年代後半になって、ベアドとホーナーの師弟コンビはフィラデルフィアの科学アカデミーの収蔵庫をひっかきまわしてる際にティロステウス・オルナトゥス――ANSP 8568に目を留めた。ギルモアもブラウンもシュレイカーも気付かなかったことであるが、これはどうもパキケファロサウルス(のシニアシノニム)であるらしかった。ティロステウス(ライディ以来ほとんど誰も目を向けなかったごく小さな断片に基づく)の名がパキケファロサウルスに取って代わることは相当な混乱を招くことが予想され、かくしてパキケファロサウルスは保留名となったのだった。

 1980年代になるとヘル・クリーク層で新発見が相次ぐようになり(依然としてパキケファロサウルスの化石はまともに見つからなかった)、1983年には「スパイク塊」UCMP 119433に基づきスティギモロク・スピニフェルStygimoloch spiniferが、1987年には頭頂ドームMPM 7111に基づきステノトルス・コーレロムStenotholus kohlerorum命名された。
 が、ステノトルスの記載論文の出版直後、こともろうにMPMの調査隊はヘル・クリーク層でMPM 8111――スティギモロクのスパイクとステノトルスのドームを合わせもつ部分頭骨を発見してしまったのである。あっけなくステノトルスはスティギモロクのシノニムとなり、また因縁のYPM 335はスティギモロクと同定されたのだった。
 
 その後待てど暮らせどパキケファロサウルスの首から後ろは見つかる気配がなく、またスティギモロクの吻も見つかる気配がなかった(しばしば吻はかなり短く復元された)。スティギモロクの骨格の断片(凄まじく貧弱;AMNH 21541など)はあれど、90年代に入ってもなお、依然として北米産のパキケファロサウルス類の骨格はステゴケラス・ヴァリドゥムUALVP 2がほとんど唯一のものだったのである。
 状況が変わったのは1995年のツーソンショーであった。突如として「下顎付き」の「長いトゲをもつパキケファロサウルス」のキャストが展示販売され、しかもこの標本――トリーボールド社が前年にサウスダコタのヘルクリーク層で発見したもの――は骨格のかなりの部分を含んでいるというのである。
 この骨格“サンディ”は90年代後半にはキャストが量産され、世界中の博物館に「唯一のパキケファロサウルスの全身骨格」があふれることになった。国立科学博物館もこのうち2体を購入し、新館のリニューアルに充てたのである。スティギモロク様のスパイクとパキケファロサウルス様の吻を合わせもつこともあって“サンディ”の分類学的・骨学的研究がラッセルらによって計画された――が、これは今日まで未記載のままである。

 特に記載のないまま“サンディ”の復元骨格が相変わらず世界各地へ放散していく一方で(キャストが売れる一方、オリジナルは最近までトリーボールド社の展示施設暮らしであった)、1998年にはサウスダコタのウィリアムズ牧場――すべての始まりとなったスーの産地――で新たな発見があった。スーの産出層準と同層準から、平らな頭頂部をもつ小さなパキケファロサウルス類(頭骨はステゴケラスのちょうど倍のサイズがある)の骨格――完全な頭蓋天井とそれに続く部分骨格――が発見されたのである。この標本を発掘したのは“アンフィコエリアス・ブロントディプロドクス”で悪名高いマキシラ&マンディブルで、ディノプレス4号で図示(!)されたきりプライベートコレクションとなってしまったらしい。

 2004年にサウスダコタで潰れているものの前上顎骨を含めほぼ完全な頭骨(とそれに続く頸椎)が発見され、これは2006年にバッカーらによってドラコレックス・ホグワーツィアと命名された。上述のウィリアムズ牧場の未記載標本と似ているもののずっと長いスパイク(スティギモロクや”サンディ”と似る)をもつこの恐竜は、パキケファロサウルス族pachycephalosauriniの新たなメンバーとなる――と思いきや、ホーナーとグッドウィンによってスティギモロクともどもパキケファロサウルスの未成熟個体に過ぎない可能性が指摘されたのである(この時初めて“サンディ”の(部分的な)記載が行われた格好となった)。

 スティギモロクにせよドラコレックスにせよ(そして“サンディ”にせよ)、頭骨を飾る主要な皮骨こぶ/トゲの配置はパキケファロサウルスの成体と同様であった。スティギモロクもドラコレックスも既知の標本は明らかに未成熟であり(“サンディ”が亜成体であることも言わずもがな)、またこれら未成熟個体の頭頂ドームの骨組織は、ドームが急激に発達するものであることを示唆していた。
 “サンディ”、スティギモロク、ドラコレックスは基本的に同サイズであったが、ドームが(体サイズの増大が鈍ってから)急激に形成されるのであれば、このあたりの問題は解決されるのである。ウィリアムズ牧場の標本はスパイクをもたないが、そもそもサイズがドラコレックスや“サンディ”よりやや小さいようであり、一連の「推定成長トレンド」にはうまく載るようだ。最近記載された幼体の頭骨の断片はウィリアムズ牧場の標本とわりあい似ているが、これはさらに小さい個体のようである。

 上に挙げた通り、(すったもんだあって)ランス期のパキケファロサウルス族の分類学的整理は進みつつあるものの、依然として謎は多い。“スティギモロク”のまともな頭骨は未発見であるし、首から後ろのまともに揃った標本はいずれも未記載のままである。
 “ドラコレックス”のホロタイプはほぼ完全な前上顎骨を保存していたが、そこに前上顎歯らしいものはなかった。一方で、「第二標本」はどうやら(少なくとも一対の)前上顎骨歯をもっているらしい。このあたり、頭骨ひとつとっても未だわかっていないことが多くあるのだ。

アーティファクトをてんこ盛りにした「第二標本」の噴飯もののキャストが出回る一方で、肝心の「第二標本」のオリジナルは売れ残っていたようである。最近になってROMがどうやら(アケロラプトルのタイプと同じパターンで)「第二標本」を購入したらしく、記載準備中であるという。3Dできれいに組まれた「第二標本」?にははっきりと上下の「牙」が見て取れ、記載が非常に楽しみである)

 ラッセルによる記載が待てど暮らせど出てこなかった“サンディ”のオリジナルはいつの間にか国立科学博物館によって購入され、そして一昨年から科博の常設展を飾っている。点光源に照らされながら、身じろぎひとつせず“サンディ”は記載の時を待っているのだ。