↑Skeletal reconstruction of Citipati sp.
"Zamyn Khond oviraptorine" MPC-D 100/42.
Scale bar is 1m.
オヴィラプトルの「卵泥棒」から「抱卵恐竜」への「転身」について、今さら語る必要はないだろう。また、かはくの展示のこともあってかさすがにシチパチの名も定着してきたように思う(気のせい)。
そうは言っても、シチパチはそれはそれで曲者であり、(そもそも頭骨以外がまともに記載されたオヴィラプトル科がほぼ存在しないという事情もあって)何かと厄介なケースがままある。オヴィラプトルとシチパチのややこしい関係について、適当に書き散らかしておきたい。
オヴィラプトル・フィロケラトプスの模式標本(にして目下唯一の骨格AMNH 6517)が発見されたのは、アンドリュース隊による遠征2年目となる1923年のことだった。ジャドフタDjadochta層(カンパニアン中期?;ざっくり8000万年前ごろか)の模式地であるフレーミング・クリフで、見事に関節した上半身が発見されたのである。(頭の4インチ≒10cm下位から巣の化石AMNH 6508も産出した)
1924年にオズボーンはフレーミング・クリフ産の獣脚類(オヴィラプトルの他にヴェロキラプトルとサウロルニトイデス)をまとめて記載・命名したのだが、中でもオヴィラプトルは厄介だった。関節こそきれいにつながっていたものの風化がひどく(往々にしてジャドフタ層の標本にはよくある)、特に頭骨のダメージがひどかったのである。とはいえ頭骨はバラバラに砕けてはおらず(単に風化でボロくなっただけである)、オズボーンはそれらしく頭骨を復元することができたのであった。
その後しばらくゴビからまともなオヴィラプトル類の標本は産出しなかった(70年代半ばまでオヴィラプトルはオルニトミムス類とされる始末で、当然頭骨はオズボーン復元のままだった)のだが、80年代に入って状況は激変する。1981年にバルスボルドによって「オヴィラプトル・フィロケラトプスの完全な頭骨」MPC-D 100/42(略号が時期によってIGMだったりGINだったりGI(SPS)だったりでカオスである)が図示されたのである。また、アジャンキンゲニアやコンコラプトルもバルスボルドによって記載・命名されるようになった。
その後も(そして現在に至るまで)散発的にMPC-D 100/42の頭骨や体部が図示(そして申し訳程度に記載)され、徐々にオヴィラプトル・フィロケラトプスの姿が明らかになっていった。1988年にポールはMPC-D 100/42の頭骨とAMNH 6517の体部を合体させ(つつ後肢と腰帯をアジャンキンゲニアあたりから引っ張ってきたようである)、オヴィラプトル・フィロケラトプスの骨格図を描いたのだった。
MPC-D 100/42の記載が一向に進まない一方で、90年代に入るとAMNHの調査隊がモンゴルに「帰って」きた。ジャドフタ層で状態のよいオヴィラプトル類の骨格が複数発見されたのだが、その中に卵を抱えた骨格MPC-D 100/979――“ビッグ・ママ”があった。
90年代時点で命名されていたゴビ産のオヴィラプトル類は3属あった。うち、インゲニア(現アジャンキンゲニア)は手のつくりからして明らかに“ビッグ・ママ”ではなかった。コンコラプトルは概して“ビッグ・ママ”よりも小さく、従って”ビッグ・ママ”はどうやらオヴィラプトルらしかった。また、この時の調査で発見された見事な頭骨を含むほぼ完全な骨格(首から後ろはほぼ未記載なのだが)MPC-D 100/978も、暫定的にオヴィラプトル・フィロケラトプスと同定された。
2001年になってこれらの標本に関する分類学的な研究が出版されたが、結果は意外なものとなった。MPC-D 100/978は新属新種シチパチ・オスモルスカエのホロタイプとなり、(首と頭がそっくり失われていたのだが)“ビッグ・ママ”もC.オスモルスカエとされたのである。さらに、MPC-D 100/42――オヴィラプトル・フィロケラトプスとして知られていたほぼ完全な骨格は、シチパチ属(C.オスモルスカエなのかは微妙)の可能性が指摘されるようになった。MPC-D 100/978にせよ100/42にせよ、AMNH 6517よりも明らかに吻が短かったのである。
かくして、すったもんだの末にオヴィラプトル・フィロケラトプスの姿は再び闇の中に消えてしまった。未だに新標本は知られておらず、クレストの形態(というか有無)は完全に謎である。
MPC-D 100/42にしても未だにきちんとした記載は行われておらず、当然のことながら分類についても詳しい研究は行われていない(時々系統解析にぶちこまれ、そして気ままに位置を変える)。C.オスモルスカエとして扱われることが(科博のキャプションを含め)しばしばなのだが、実のところ新属新種の可能性もままあるわけである(筆者はC.オスモルスカエでいいような気がしているのだが)。
オヴィラプトル類を始め、ウランバートルの恐竜センターのバックヤードにはゴビ砂漠産の未記載標本が掃いて捨てるほど転がっている。モンゴルといえば野外調査がフィーチャーされがちではあるのだが、バックヤードに年単位で籠るというのも多分一興だろう。
(ウィットマ―研(チャージングGOはしない)のサイトといえば様々な恐竜(に留まらない)の頭骨のレプリカの写真があるのだが、その中に「Oviraptor philoceratops」のキャプションで怪しげな写真が載っている。これはガストン・デザインによるレプリカであり、たまにミネラルショーでもお手頃価格で見かける(というか筆者も持っている)のだが、原標本はどうもプライベートコレクションであるらしい(同じ標本に基づくらしい抱卵ポーズの復元骨格も存在する)。ガストン・デザインのHPのキャプションにはジャドフタの文字があり、またこの標本の手のつくりはオヴィラプトル型である――が、プライベートコレクションともなればこのあたりは色々と怪しくもなる。ルイス・レイによって“ロナルドラプトル”と呼ばれた標本(これもプライベートコレクション;ガストン・デザインがキャストを販売)はこのオヴィラプトル類とよく似ているが、こちらはサイトの記述ではヘルミン・ツァフすなわちネメグト層産となっている。ポールのPrinceton field guide to~では、”ロナルドラプトル”をコンコラプトル・グラキリスの成体とみなしたうえでアジャンキンゲニア・ヤンシニのシノニムとして扱っている。)