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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

美しかったもの

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↑Skeletal reconstruction of cf. Pinacosaurus sp. MPC-D 100/1305. Scale bar is 1m.

 

 サイカニアといえば、「エウオプロケファルスと違って前肢やわき腹にも鎧が存在する」ということで名前を覚えた方も多いのではないだろうか(筆者もそのクチである)。「前肢やわき腹に鎧が存在する」鎧竜の化石は稀であり、従ってこれを化石化の過程によるみせかけと見る向きさえあったわけである。しかし、不穏なタイトルから既にお察しの方も多かろうが、「前肢やわき腹に鎧が存在するサイカニアの全身骨格」は――頭部以外は――サイカニアではなくなってしまった。モンゴル古生物学センターの所蔵するオリジナルがたびたび来日し、また神流町恐竜センターにて見事なキャストが常設展示されている「サイカニアの完全な骨格」は実のところコンポジットであり、そしてサイカニアの要素は頭部――ホロタイプのキャストが据えられていた――に限られていたのである。


 アンドリュース率いるAMNHの遠征隊による調査やソ連によるWWⅡ直後の調査によってゴビ砂漠に広がる上部白亜系では様々なアンキロサウルス科の化石が採集されてきたが、「まともな骨格」――頭骨と首から後ろの要素がほどほどに揃った骨格はなかなか出てこなかった。全身の要素が最もよく残っていた“シルモサウルス・ヴィミニカウドゥスSyrmosaurus viminocaudus”のホロタイプPIN 614でさえ首なしの有様だったのである。

 1960年代になるとポーランド隊がモンゴル入りし、そこで多数の良好な鎧竜化石を得た。アンドリュース隊によって発見・命名されたピナコサウルス・グレンジャーリの実態が(ある程度)明らかになったのはこの時であったし、美しく関節したアンキロサウルス科の上半身――後のサイカニア・フルサネンシスのホロタイプとなる標本MPC-D 100/151もポーランド隊の手によって発掘された。これらの化石は董枝明言うところの「モンゴル―ポーランド娘子軍」の一角を担っていたマリヤンスカによって記載され、そして彼女は鎧竜の権威として名を馳せていくのであった。


 さて、サイカニアのホロタイプはワルシャワのポーランド科学アカデミーにて産状レプリカが展示されたオリジナルは容赦なくクリーニングされた)のだが、三次元的にマウントされることは(モンゴルに返還された今日でも)なかった。一方で、1990年代後半から「サイカニアの全身骨格」として注目を集めるようになったのがMPC-D 100/1305である。
 MPC-D 100/1305の背面にはほとんど鎧が残っていなかったのだが、前肢やわき腹、そして尾には見事な鎧が残されていた。特にわき腹のものは――90年代までクリーニングされていなかったようなのだが――バルスボルドが「北斎の波」に例えたほどの代物である。
 1995年夏の時点でMPC-D 100/1305は中途半端な状態で展示されていた(「完全にクリーニングされた頭蓋と下顎」、皮骨ごと関節したままの前肢、クリーニング半ばのわき腹のブロック、バラした後肢、関節状態の尾が床に並べられていた)のだが、ほどなくしてこれは(展示に回されていなかった残りの頸椎や胴体のブロックともども)マウントされた。ここに「最も完全な鎧竜の骨格」が組み立てられ、世界を巡るようになったのである。


 「サイカニアの全身骨格」がよく知られるようになる一方で、依然としてモンゴル産鎧竜類のまともな骨格はピナコサウルスの幼体しか見つからない状況が続いていた(ピナコサウルス・メフィストケファルスP. mephistocephalusのホロタイプIMM 96BM3/1を筆頭に3m級の骨格が見つからないわけでもなかったのだが、それらの首から後ろの要素は未記載のままである)。こうした中で、カーペンターを筆頭にMPC-D 100/1305の詳細な骨学的研究が行われることになった。
 満を持して2011年に出版されたモノグラフはMPC-D100/1305の骨学的な記載はもちろんのこと、ハンマーの力学的な解析をもおこなった代物であった。ホロタイプとの間にみられる上腕骨の形態差から、性的二形が存在する可能性にまで踏み込んだ、野心的な論文でもある。カーペンターによる(かなり胡散臭い)骨格図まで添えられ、原記載から30年余りでサイカニア・フルサネンシスの実態が明らかになった。――はずだった。


 博士課程でその辺のアンキロサウルス類の化石を片っ端から引っ掻き回していたアルボアはあることに気付いた。カーペンターらのモノグラフでMPC-D 100/1305の産地はサイカニア・フルサネンシスのホロタイプMPC-D 100/151と同じフルサン――バルンゴヨットBaruungoyot層とされていたのだが、所蔵先のモンゴル古生物学センターの記録では、MPC-D 100/1305は1976年のモンゴル―ソ連共同調査によってザミン・コンド――ジャドフタDjadokhta層で採集されたことになっていたのである(採集されてから20年近くに渡って中途半端なクリーニングで放り出されていたということらしい)。
そしてアルボアはとんでもないことに気がついた。MPC-D 100/1305のマウントに据えられていた頭はMPC-D100/151すなわちホロタイプのキャストその人だったのである(写真で見てもクラックの入り方が完全に一致する)。どういうわけかカーペンターらはMPC-D 100/1305の頭骨がまるっきりMPC-D 100/151と同じものであることに気が付かなかったらしい。

 

(そもそもカーペンター本人がMPC-D 100/1305の実物にどの程度アクセスできたのかは割と謎である。実物はどうも日本に来日した隙に(恐らく著者のうち日本人の誰かが)撮影・観察したらしい。モンゴルのこの手の標本はなぜか実物のマウントが(長期に渡って)巡回に回ることが多く(その間キャストが留守番である)、アルボア自身はMPC-D 100/1305の実物を観察することはかなわなかったという。鎧竜に限らず、この手の話を嘆く声はモンゴル絡みの文献でよく目にするものである。)


 カーペンターらがモノグラフで「サイカニアの全身骨格」を記載するにあたり、その同定――サイカニア・フルサネンシスへのよりどころとしたのは頭骨――サイカニア・フルサネンシスのホロタイプMPC-D 100/151その人だった。つまり、MPC-D 100/1305そのものをサイカニア・フルサネンシスと同定する積極的な根拠は何もなかったのである。そしてカーペンターらが記載した通りMPC-D 100/1305の上腕骨の形態はMPC-D 100/151とは大きく異なっており(それ以外にもちょこちょこ形態差があった)、そもそもサイカニアとは別物の可能性が急浮上したのだった。バルンゴヨット層の方がジャドフタ層よりも新しいという話はダメ押しにしかならなかったのである。


 かくしてMPC-D 100/1305がサイカニア・フルサネンシスでないことはほぼ確実になったのだが、いかんせん首なしということで科レベル以上の同定は厄介な案件であった。アンキロサウルス科の鎧の実像を最もよく示している標本のひとつであり、依然として首から後ろはほぼ完全であるにも関わらず、である。MPC-D 100/1305の採集されたザミン・コンドでは他にも林原隊によって複数のアンキロサウルス科の化石が採集されていたが、これらは記載待ちの状況であり、現状で比較することはできなかった。
 そのくらいでへこたれるアルボアではなく、次に目を付けたのがMPC-D 100/1305の鎧の配置パターンであった。アンキロサウルス科の鎧の基本配置パターンはいずれも同じらしいが、それぞれの鎧やトゲのサイズ、形状は属レベルで(ひょっとすると種レベルでも)異なっている。そして、MPC-D 100/1305と酷似した鎧をもつ化石はすでに知られていたのである。
 その化石――持ち帰るあてがなかったのか、未採集で放棄された――は、1993年から始まったAMNHの「レコンキスタ(Gレコはケルベスとリンゴくんがお気に入りの筆者)で、ウハ・トルゴッド――ジャドフタ層にて発見(そして撮影)されたものだった。頭骨とハンマーそして背面の鎧は浸食で失われていたものの、わき腹から尾にかけての側面鎧はしっかりと生前の配置を留めており、MPC-D 100/1305と酷似していたのである。
 ウハ・トルゴッドでは多数の鎧竜の化石が採集されていたが、それらは全てピナコサウルス・グレンジャーリであった。問題の未採集標本の同定は今となってはかなわないが、産地からしてみるとP. グレンジャーリの可能性が高そうであり、そしてそれはMPC-D 100/1305にも言えそうだった。


 そうは言っても、現状でMPC-D 100/1305をピナコサウルス・グレンジャーリと断定することは難しい。P. グレンジャーリとして詳しく記載された標本は幼体といってよいサイズのものばかりで、亜成体サイズのMPC-D 100/1305との比較はそう簡単にはいかないのである(実際問題、MPC-D 100/1305の烏口骨の形態はアラグテグAlagteeg層産のP. グレンジャーリの幼体とは大きく異なっている)。また、今日P. グレンジャーリの亜成体ないし成体とされている“シルモサウルス・ヴィミニカウドゥス”(のホロタイプ)はMPC-D 100/1305よりも明らかに尾が長い(そもそも尾椎がずっと多い)。このあたり、林原がジャドフタ層からかき集めてきた標本が重要な役割を担うことになりそうでもある。
 首なしだったとはいえ、MPC-D 100/1305は依然としてアンキロサウルス科の化石としては最良のもののひとつであり続けている。モンゴル産のものとしては数少ない亜成体サイズのまともな骨格であり(それゆえ同定が難しいという側面もあるが)、ネメグトNemegt層で時おり産出する大型のアンキロサウルス類の断片の研究にもずいぶん役立っているのだ。そして何より、前肢やわき腹の鎧の配置を保存しているのは未だにMPC-D 100/1305ただひとつなのである。
 MPC-D 100/1305が“美しいもの”――サイカニアから切り離されたことで、結局サイカニアの実態は闇の中に再び引き戻されてしまった。しかしMPC-D 100/1305は――赤い砂の海に白く砕けた波は、今日もまだ美しくそこにある。