↑Skeletal reconstruction of Neuquensaurus australis.
and MLP-CS 1102.
Scale bar is 1m (for MCS-5).
Notes: additional postcranial elements are known.
先日徳島に行ってネウケンサウルスの復元骨格を見て、せっかくだから骨格図を描いてみようと思ったわけである。思ったよりもちゃんと記載がなされていたのはありがたかった(毎度ながら資料を提供してくださったSさんに感謝である)。
リチャード・ライデッカーといえば、色々やっているので一度くらいは名前を聞いたことがあるだろう(断言)。1874年から1882年までインドの地質調査所で化石の研究に精を出していたライデッカーは、イギリスに帰国してから10年ばかり、ヨーロッパの化石に関する本を書いて過ごしていた。
さて、その頃建国ほやほやのアルゼンチンでは、ラプラタ博物館が新たに開館していた。ここには多数の哺乳類や爬虫類の化石が集められており、ライデッカーはこれらを研究すべく、1893年にアルゼンチンへと旅立った。
収蔵されていた珍しい化石にいたく感動したライデッカーは、それらの化石の中に、(インド勤めの時に自ら記載した)ティタノサウルスによく似た尾椎が含まれていることに気付いた。さっそく彼はこの化石(仙椎といくつかの尾椎)をはじめとする多数の竜脚類の化石をティタノサウルス属の新種、ティタノサウルス・アウストラリスTitanosaurus australisとして記載したのだった。
1923年になって、今度はヒューネがアルゼンチンにやってきた。ヒューネはライデッカーの記載した一連の化石を再検討するとともに、新たに同じ地層(アナクレトAnacleto層;カンパニアン前期)から発見された竜脚類の化石の研究もおこなった。ヒューネはライデッカーの記載した標本および新標本の中に2つのタイプを見出し、がっしりした四肢をはじめとする標本をティタノサウルス・ロブストゥスT. robustusとして分離したのだった。
複数個体の寄せ集めではあったが、ティタノサウルス・アウストラリスは頭部を除くほぼ全身の要素が揃っていた。ヒューネはアンタークトサウルスの頭骨と組み合わせることで骨格図を描き上げ(最初の復元骨格もこの時期に組み立てられたと思われる)、その後長らくティタノサウルス・アウストラリスの復元は「ティタノサウルス」の一般的イメージとして君臨し続けた。
1970年代の終わりから80年代にかけて、南米の竜脚類の研究が一気に動き始めた。パウエル(サルタサウルスの研究でおなじみ)はT.アウストラリスとT.ロブストゥスを新属ネウケンサウルスNeuquensaurusとして独立させたのである。
一方で、ネウケンサウルス属(N.アウストラリスとN.ロブストゥス)をサルタサウルス属に含めてしまう意見もあった。もっとも、サルタサウルスの模式標本とネウケンサウルス(="T".アウストラリス)の模式標本とでは重複する部位がなかったりもして、厄介な問題だった。
最近になってまとまった骨格が見つかったり模式標本の再検討がなされたりで、ネウケンサウルス・アウストラリスは確固たる独自性を築き上げた。一方でN.ロブストゥスにははっきりした独自性が確認できず(なにしろ模式標本は四肢だけである)、最近ではもっぱら疑問名として扱われている。N.ロブストゥスと同様の骨がN.アウストラリスと一緒に見つかる例もあり、ひょっとしたら性差を示しているのかもしれない。
サルタサウルスと比べると、N.アウストラリスはわりあいに四肢がきゃしゃである。系統的にはサルタサウルスとごく近縁とされており、共存していた可能性も指摘されている。ティタノサウルス類の例に洩れず本種もよく発達した皮骨をもっており、生時は角質の大きな棘をもっていたと思われる。
(一般にサルタサウルスの方が年代が新しいとされているのだが、サルタサウルス・ロリカトゥスの模式標本(6つの仙椎からなる癒合仙椎)の含まれていたボーンベッドからは、ネウケンサウルスと思しき癒合仙椎(7つの仙椎からなる)が産出している。あるいはひょっとすると、“N.ロブストゥス”はサルタサウルスなのかもしれない。)
ネウケンサウルスやサルタサウルスは、竜脚類の中でもかなり小さい部類に入る。当時の南米が多島海のような環境(例えば白亜紀後期のヨーロッパ)ではなかったにも関わらず、明らかに二次的に小型化しており、非常に興味深い。ネウケンサウルスはアエロステオンやアベリサウルス、アウカサウルスといった中大型の獣脚類と共存しており、色々と気になるところである。