GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

私の恐竜遍歴

 今後のネタが仕込み中だったり仕込中じゃなかったりなんだりなので、今回は肩の力を抜いて(いつだって抜きっぱなしの感はあるのだが)適当に書きたい。

 さて、唐突であるが、筆者は1994年生まれの人である。94年生まれだがリアルタイムで∀とか見てたのが自慢である(殴 とりあえずゆとりがデカい口叩いてるだけのブログだと思ってね!

 記事のタイトルに恐竜遍歴と書いておいて何だが、実のところ筆者はいつから恐竜に魅せられていたのかはよく分からない。現状はっきりしていることとして、
茨城県自然博物館が開館した直後に行ったことがある(1歳にもなっていなかった筆者が覚えているわけはなかった)
③幼稚園生のとき、先生にねだってジュラシックパークのビデオを幼稚園で見せてもらう(一応幼稚園児なので、ヤギが置き去りにされるところまでしか見せてもらえなかったが)
 このことから考えると、どうやら3、4歳の時点で恐竜好きだったのは確実らしい。

 で、幼稚園の時にはすでにトリケラトプスが一番好きだった筆者は、図鑑に出ていた荒木せんせーのトリケラなどを見て大興奮だったわけである。そんなこんなで順調に恐竜好きへと育っていた(図鑑の隅の方に出ていたD.ヘンダーソンの魚竜のイラストを見て、実写か何かだと真剣に疑っていたのもこの頃)が、祖父の家でとんでもないものと遭遇するのであった。

 閑話休題、筆者は生まれてから1年半ほどをこの祖父の家で過ごしている。なぜか祖父の家には化石やら鉱物やらが転がっており、筆者はサンゴをおにぎりに見立ててままごとをしたりもしていたそうな。

 祖父の家の本棚には、いくつか幼稚園生男子の興味を引く本があった。なぜか祖父の家には、「恐竜異説」と「新恐竜」、「恐竜の時代(写真集仕立てのアレね)」、そして「アフターマン」があったのである。(さすがに「マンアフターマン」はなかった)

 幼稚園生ではあったが、ミイラの本で鍛えた(どうでもいいが筆者はミイラも好きである。古代エジプトに限らず)ので、自慢じゃないが当時から漢字はけっこう読めたクチである。やたらカッコいいバッカーの絵に酔い(そして表紙のJ.ガーシュのイラストを、またしても実写(特撮)か何かだと思い込んだ男)、ドゥーガル・ディクソンの本にどっぷりつかり、そして気が付けば小学生になっていた。

 小学生になってからは幕張に連れて行ってもらった(幕張デビューは「恐竜博2002」)のだが、この頃の筆者はゾイドとレゴに魂を売り渡していたため、意外と恐竜漬けというほどでもなかった。「ちょっと恐竜に詳しい小学生男子」+αで止まっていた筆者だったのだが、ここで出会ったのが「ポケット版 恐竜図鑑」(過去記事参照)である。

 なんというか、ガチな作りの図鑑だったわけで、筆者は大いに燃えた(恐竜異説なども大人向けの本ではあるのだが、読み物的な側面が強いので語り口はマイルドである)。そんなこんなで中学生になり、学研のトリケラの冊子(ディプロドクスも買っておけばよかったよ…)でさらに泥沼にはまり込んだのである。

 そうこうしているうちに高校生になり、祖父の家に帰省しているとき、近所の図書館で筆者はとある本に出会った。「恐竜イラスト百科事典」である。(またしてもディクソンじゃねーかオイ)
 筆者の知らない恐竜がそこかしこに溢れており、そんなわけで家に帰った筆者は生まれて初めてアマゾンで本を買ったのだった。

 ここでやめておけば、たぶん筆者は恐竜ネタしかないブログを書いたりなどはしなかったと思われる。高校生になってネットの海に飛び込んでみた筆者だったのだが、そこで遭遇したのがこれであった。何をトチ狂ったか、筆者は容赦なくクリックしていたのである。完全に筆者はここで道を踏み外した。

 最近になって知ったのだが、祖父の家にあった恐竜異説やらなんやらは、祖父のものではなかった。祖父の娘―――我が母のものだったのである。他方父方の実家に行ってみれば「ドクターカックは大博士」(と、同じ作者(井尻正二!)による一連の科学漫画)があったりしたわけで、結局のところ筆者の恐竜好きは遺伝だったのかもしれない。デートムービージュラシックパークだったというのも、どうやらそういうことだったようである。