なんだかんだでブログを始めて半年である。いまいち勝手がよく分からないまま適当に書き綴ってきたので、これからもお付き合いいただければ。
↑“ビソン”・アルティコルニスUSNM 4739(旧YPM 1871E)
角の長さは60㎝ほど
化石はアメリカ地質調査所お抱えのO.C.マーシュ(ボーンウォーズ真っ最中)の元へと送られ、彼が研究することとなった。
ところで、デンバー層の年代は当時(くれぐれも19世紀末であることに注意)白亜紀とするか新生代のものかはっきりしていなかった。この巨大な角の形態そのものはかなり独特だったが、基部が中空になっていることや角の表面の血管溝のパターンはバイソンと酷似しており、ゆえに(デンバー層を新生代の地層だと考えていた)マーシュは、ためらうことなくこの化石(YPM 1871E)をバイソン属の新種、ビソン・アルティコルニスBison alticornisとして命名したのであった。1887年10月のことである。
(この時、マーシュにYPM 1871Eを送ったW.クロスは、「白亜系の砂岩」からの産出であることを書き添えている。マーシュは特に気にしなかったのだが)
翌1888年。マーシュによって送り込まれたJ.B.ハッチャー(角竜を語る上で絶対に外せない人物)らによって、モンタナ州はジュディス・リバーJudith River層から一対の角と後頭顆が発見された。
明らかに白亜紀後期の地層からの産出であったこともあり、マーシュはこの化石(USNM 2411)を剣竜類に近縁と考えた上でケラトプス・モンタヌスCeratops montanusと命名したのであった。(過去記事参照①②)
ちょうどのその頃、ワイオミング州のとある羊の牧場で「鍬の柄くらいの長さの角」と「帽子くらいの大きさの目の穴」のある巨大な化石がE.ウィルソン(そこの牧場で働いていた男)によって発見された。風化が進んでいたこともあり、牧場主のC.A.ガーンジーが掘り出そうとして引っ張ったところ右の角がもげるという有様だった。
さて、モンタナから帰って来たハッチャーは休む間もなく(?)ワイオミング州へと飛ばされた。ワイオミング州ダグラスに立ち寄った際、アマチュア化石採集家として(地元で)有名だったガーンジーを紹介された。ハッチャーは彼のコレクションの中に巨大な角があることに気が付き、イェール大(マーシュの研究拠点)に帰った際にビソン・アルティコルニスやケラトプスと似ていることに気が付いて愕然とした。
右の角はどうしてもガーンジーが手元に残したかったのであきらめたが、首尾よくハッチャーは頭骨を採集することに成功した。最終的に1892年までハッチャーはワイオミングで化石採集を続けるのだが(いわゆる“古典的なトリケラトプスの標本”のほとんどはこの時ハッチャーが発掘した代物である。また、この時ティラノサウルスの部分的な化石(だと判明したのはずっと後の話だが)やスティギモロクらしきものも発掘している。ハッチャーのチートじみた性能がうかがえる)、ひとまず第1便ををマーシュの元に送った。
1889年の4月、まだハッチャーの第1便は到着していなかったが、マーシュはガーンジーの牧場で見つかった頭骨の命名に踏み切った。ひとまずケラトプス・モンタヌスよりも大きな標本であり、やたら「荒々しい(頭骨表面の血管溝にちなむようだ)」頭骨であることは分かっていたので、ケラトプス・ホリドゥスCeratops horridusと命名したのである。
1889年の5月、待望の頭骨がイェール大学に到着した。500kg近いとんでもない大きさの標本であり、YPM 1820の標本番号を与えられた。さらにこのあと、マーシュの犬として頑張るハッチャーは、ケラトプス・ホリドゥスとよく似た頭骨、そして体骨格の一部まで送ってきたのである。
ハッチャーが送ってきた一連の標本の研究の末、1889年の8月になってマーシュはワイオミング産のケラトプスを独立させた。ガーンジーの牧場から発見された巨大な頭骨の印象的な3本角にちなみ、彼がYPM 1820に与えた新たな属名こそ、トリケラトプスTriceratopsであった。
↑トリケラトプス・ホリドゥスの模式標本YPM 1820
フリルを復元すれば長さ2m程度になると思われる。成長はほぼ停止している
T.ホリドゥスと同時にマーシュはT.フラベラトゥスflabellatusとT.ガレウスgaleusも命名した。(さらにこの時、マーシュはビソン・アルティコルニスをケラトプス属とした。あえてトリケラトプス属に入れなかった理由はよく分からないが、おそらく白亜系とはいえデンバー層がランス層(当時は“Ceratops Beds”と呼ばれていた)と同じ年代であることに確信が持てなかったのだろう)
T.フラベラトゥスの模式標本にはほぼ完全な頭骨(ただし関節は外れていた)も含まれており、その年の終わりには、今日よく知られるトリケラトプスの頭骨の形態が明らかとなったのである。その後数年のうちに骨格復元に踏み切れるだけの化石も発見され、古典的なトリケラトプスのイメージが確立されたのであった。
↑Marsh, 1889より、トリケラトプス・“フラベラトゥス”の頭骨復元図
最初に発表されたトリケラトプスのイラストである
(1930年代にこの標本が展示用に組み立てられた際、復元に修正が加えられている)
Marsh, 1891より、トリケラトプス・プロルススT.prorsusの骨格復元図
トリケラトプスとして最初に描かれた骨格図であり、未だにこの影響は大きい
最初の発見から10年ほどのうちに数々の成果が発表されたせいか、20世紀の初頭以降トリケラトプスに関する研究はかなり停滞することになる。再び活発な研究がおこなわれるようになるのは、実に1980年代に入ってからだったりする。