GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

砕かれた鎧 前編

イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of Ankylosaurus magniventris.
Based on AMNH 5895 (holotype), AMNH 5214, and BMNH R8001.
Scale bar is 1m (for largest skull CMN 8880).

 卒論(とそれに関連する発表会やら何やら)を叩き潰して無事に卒業できる身となった筆者であるが、そういうわけで気が付けばうっかり1週間以上ほったらかしていたわけである。そろそろ恐竜博2016に向けて本格始動(?)といきたいが、その前に、鎧竜の前後編といきたい。

 さて、以前アンキロサウルスの骨格図を描いた際にちらっと触れたが、ここ数年アンキロサウルス科の分類学的研究が飛躍的に進み、属・種の整理が進んでいる。その過程で、よく知られた「マラソンミンミ」が新属クンバラサウルスになったりクライトンサウルス属が疑問名になったりと、傍目から見ても壮絶な状況となっている。
 北米の白亜紀後期後半のアンキロサウルス科といえば、30年来アンキロサウルスとエウオプロケファルス「だけ」という状況が続いていた。しかし、ここ数年の研究によって、エウオプロケファルス(クームズが70年代の研究で定義したもの)はバラバラになり、ディオプロサウルスとスコロサウルス、アノドントサウルスがエウオプロケファルスから分離復活を果たした。また、アメリカ南西部からノドケファロサウルスやジアペルタといった新顔も報告されるようになり、かなり賑やかな状況となった。

 こうした「新顔」が話題(狭い世界の話である)になる一方で、アンキロサウルスそのものは少々厄介だったりもする。いつも通り前置きが長くなったが、適当にお付き合い願いたい。

 アンキロサウルスの最初の化石が採集されたのは1900年のことだった。アメリカはワイオミング州、ランスLance層(マーストリヒチアン後期:6800万~6600万年前ごろ)で空前絶後の巨大獣脚類の骨格と共に発見された多数の皮骨(現在のBMNH R8001)は、オズボーンによってそのままその動物―――ディナモサウルスに属するものとみなされた。1906年ディナモサウルスがティラノサウルスのジュニアシノニムとなったことで、ティラノサウルスは「装甲獣脚類」となったのである。
 同じく1906年、絶好調のAMNHは何度目かの遠征隊をモンタナへと送った。AMNHの誇るキュレーターのひとりであるピーター・カイセンは、ヘル・クリーク層で大きな恐竜の部分骨格(AMNH 5895)に出くわした。
 カメのような頭と異様に幅の広い胴体、そして多数の皮骨をもったその恐竜は(既に知られていたステレオケファルス=エウオプロケファルスと共に)「剣竜の」新しい科を代表するものと考えられ、バーナム・ブラウンによって1908年にアンキロサウルス・マグニヴェントリスAnkylosaurus magniventris命名・記載された。この時ブラウンは「ティラノサウルスの皮骨」とも比較を行っているが、形態の大きな違いから「ティラノサウルスの皮骨」とアンキロサウルスの皮骨は全くの別物と考えたのであった。
(この時ブラウンは「トリケラトプスの皮骨」についても議論している。マーシュによってトリケラトプスの皮骨とされる骨要素がいくつか記載されているのだが、ブラウンはこれらの化石が実際にトリケラトプスの骨格と一緒に見つかったものではないこと、これまでの自身のフィールド調査ではトリケラトプスの骨格と「トリケラトプスの皮骨」が一緒に見つかったことは全くないことを指摘している。実のところ、「トリケラトプスの皮骨」の一部は“スティギモロク”ないし“ドラコレックス”の後頭部の破片であった。)

 1910年になり、ブラウンとカイセンはカナダのアルバータ南部、スコラードScollard層(6700~6600万年前ごろ)でアンキロサウルスの新たな化石を発見した。この標本(AMNH 5214)は見事な頭骨や模式標本では欠けていた四肢、複数の皮骨、そして巨大な尾のハンマーを保存していた。かくしてアンキロサウルス科における尾のハンマーの存在が明らかになった・・・のだが、クリーニングが難航したのか何なのか、この標本はその後長らく記載されず、結局アンキロサウルス科のハンマーの存在が世に知られるようになるのはディオプロサウルスの記載(1924年)を待たねばならなかった。
 その後しばらく「まとも」なアンキロサウルスの化石が見つかることはなく、また記載もおこなわれることはなかった(一方で、1920年代にはAMNHはエウオプロケファルスの化石をいくつかアンキロサウルス名義でコレクションに追加している。こうした化石の比較から、この時期にはオズボーンもブラウンも「ティラノサウルスの皮骨」の正体に気が付いていた)。
 1947年になってC.M.スターンバーグはスコラード層で巨大なアンキロサウルスの頭骨(CMN 8880)を採集したが、それが目下「最後の」発見となっている。1970年代になり、ようやくクームズによって「現代的な」アンキロサウルスの復元が試みられるとともに、AMNH 5114の簡潔な記載・図示がおこなわれる始末だった。

 最近(2004年)になって、カーペンターによってアンキロサウルスの再記載がおこなわれた。発見されている目ぼしい骨について(実質的に初めて)詳しい記載・図示がおこなわれると共に、皮骨の配置についてもいくつか重要な指摘がなされている。上の図は当然ながらカーペンターの再記載に基づくものである(鎧の配置はカーペンターによる復元とはずいぶん違うが。。。サファリのアンキロサウルスはカーペンター復元に良くも悪くも忠実である)。
 パッと見でわかるポイントとして、エウオプロケファルスなどと比べるとアンキロサウルスはかなり頭が大きい。首と尾は明らかに短くなっており(椎体が前後に短くなっている)、全体としてアンキロサウルスはアンキロサウルス科の中でもかなりずんぐりした部類のようだ。首が短くなったあおりを受けて首の第2ハーフリングは肩口に移動している(結果的に大きくなっている)ようである。
 ハーフリングとハンマー以外の皮骨はもっぱら「中央に低いキールのあるプレート」と「端に低いキールのあるプレート」、「キールのない扁平なプレート」そして「とがったプレート」の3種類からなっている。
 「元サイカニア」と比較する限り、とがったプレートは(腰から?)尾の側面にかけて存在したようである。キールのないプレートは、腰の上に載っていた可能性が指摘されている。中央にキールのあるプレートのうち、大きなものは背中を覆っていたのだろう(小さなものは前肢の鎧の可能性がある)。

 カーペンターの再記載によってその実態が明らかになったアンキロサウルスではあるが、依然として標本の質・量ともに貧弱である(なんといっても上の図の椎骨と手足はサイズのひとまわり近く違う個体に基づいている)。系統解析ではもっぱらエウオプロケファルスやスコロサウルス、アノドントサウルスとひとまとまりのクレードをなしているが、これらの鎧竜とかなり見かけが異なっているのは確からしい。復元といい系統関係といい、このあたりについては新たな発見に期待するほかないだろう。

後編に続く!

◆追記◆
 先日(2017年10月)アルボアとマロンによる再記載が出版され、アンキロサウルスの形態や古生態について様々な議論が行われた(これによる「新復元」は筆者による骨格図と基本的に同じようなものとなっている)。カーペンターによる記載の誤りなども訂正され、既知の標本に関してはこれで全貌が明らかになった格好である。