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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

孤独の海

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↑Skeletal reconstruction of Nipponosaurus sachalinensis holotype UHR 6590.
Scale bar is 1m.

 今でこそ「恐竜研究(というか中生代の大型化石爬虫類全般)」が行える研究機関は日本でもみられるようになったが、かつては――研究対象を世界に求めることのなかった頃は、独り立ちした研究者にせよ学生にせよ「恐竜研究」に携わることのできるケースは極めて稀であった。たまたま研究に携わることができたとして、それは「たまたま」であったから、そうした分類群を専門とする古脊椎動物研究者はほとんどいなかったわけである。たまたま研究に駆り出されるのは、研究分野が近くて化石哺乳類研究者、遠ければ無脊椎動物――アンモナイトやその他の化石軟体動物研究者であった。
 こうした状況が変わり始めたのは最近の話で、つまり日本人研究者として最初に恐竜の研究に取り組んだ長尾巧も恐竜屋ではなかった。イノセラムスをはじめとする二枚貝化石が専門だったのである。

 北海道帝国大学の古生物学教室で教授を務めていた長尾はしばしば「多芸はよくない」と口にしていたというのだが、1933年7月に「多芸」に首を突っ込むことになった。南樺太(現サハリン)の林業者が「動物の頭」を持ちこんだのである。これがデスモスチルス気屯標本の頭部で、長尾率いる調査隊はソ連との国境にほど近いエリアでデスモスチルス・ヘスペルスのほぼ完全な骨格を発掘し、その後ライフワークとして研究に取り組むことになったのだった。
 さて、1934年になり、デスモスチルスの発掘も終わって札幌へ戻ってきた長尾の元にまたも南樺太から連絡が届いた。連絡の主は当時北大に出入りしていた化石販売商の根本で、三井鉱山の川上炭鉱(現シネゴルスク)に附属する病院の建設現場で骨化石が発見されたというのである。拡張工事で削られた崖から姿を現した巨大ノジュールに、化石がまだまだ埋まっていることは間違いなかった。
 その年の11月から12月にかけて鉱山の作業員らを動員して発掘が行われ、1体の比較的よく揃った恐竜の部分骨格が採集された。採集された骨格は北大に寄贈されることになり(重役会議の場で決まったという)、デスモスチルスと同様に長尾が研究にあたることとなった。またしても「多芸」に手を染めることになったのである。

 「上部菊石層群の上部」(海成層;色々とめんどくさい研究史があるのだが、とりあえず現在では蝦夷層群ブイコフBykov層と呼ばれている。サントニアン後期~カンパニアン前期(およそ8400万~8200万年前)とされているのだが、このあたりについては後述する)で発見されたこの恐竜は、部分的に関節がつながった状態で保存されていた。部分的に関節した状態であった割には骨そのものの保存状態は良いとはいえず、表面がだいぶボロボロになっていた上にノジュールとしっかり結合しており、(当時の機材では)クリーニングは文字通り骨の折れる作業となった。
 あらかたクリーニングの終わった1936年、長尾は記載論文を出版し、この恐竜について詳細に記載するとともにニッポノサウルス・サハリネンシスNipponosaurus sachalinensis(今となっては色々とアレな感じの学名である)と命名した。前肢を欠くほかは全身のかなりの部分が残っており(頭骨についてもとりあえず後頭部が採集された)、北米産の様々な“トラコドン科”と比較することができたのである。

 1936年当時、ハドロサウルス類の分類は割と混乱状態にあった。おおむね現在と通ずる分類が確立されていたものの、棒状のクレストをもつサウロロフスやプロサウロロフス、パラサウロロフスの位置づけには議論が生じており、結果、クレストをもたない「ハドロサウルス亜科」、ひれ状あるいはドーム状のクレストをもつ「ランベオサウルス亜科」、そして棒状のクレストをもつ「サウロロフス亜科」の3つに大別されることとなっていたのである(さらに、パラサウロロフスをサウロロフス亜科に入れるのかランベオサウルス亜科に入れるのかの問題がここに付随する)。
 ニッポノサウルスの頭骨の前半部は未発見であり、従ってクレストの有無は不明であった――が、長尾はしっかりニッポノサウルスの座骨にブーツが存在すること――ランベオサウルス亜科の特徴を見出していた(一方で、当時はサウロロフスにも座骨ブーツがあると考えられていたこともあり、サウロロフス亜科の可能性についても長尾は言及している)。
 当時知られていた北米産の(パラサウロロフス以外の)ランベオサウルス亜科の恐竜といえば、ランベオサウルスにコリトサウルス、ヒパクロサウルス、“ケネオサウルス”、“テトラゴノサウルス”の5属であった(うち最後の2属は現在では幼体に基づくものとして、疑問名やシノニムとなっている)。ニッポノサウルスの仙椎(前半3つが保存されていた)が癒合していた(実際には第1仙椎はまだ癒合していなかったのだが)ことから長尾はこれを成体であると考え、既知の大型属の幼体である可能性を否定した。“ケネオサウルス”、“テトラゴノサウルス”(いずれも当時はランベオサウルス類の小型種とされていた)とはよく似ているフシがあったのだが、いかんせんニッポノサウルスではクレストが未発見だったので、まともな比較は不可能だった。

 こうした事情もあって、ニッポノサウルスの分類学的な有効性について、実のところ端から長尾は疑念を持っていた。一方でこうしたタイプの“トラコドン科”は北米でしか見つかっておらず(明らかにニッポノサウルスは“マンチュロサウルス”やタニウスとは別物だった)、かくして、(半ば割り切って)長尾はニッポノサウルスを命名したのである。
 さて、ニッポノサウルスのホロタイプは全身が比較的よく残った標本ではあったのだが、前肢がそっくり欠けていたり、肝心の頭骨前半部が欠けていたりで不完全燃焼といったところではあった。そもそもの産状が部分的に関節していたということもあり、まだ掘り残しがあると睨んだ長尾は、1937年の夏に川上炭鉱を訪れることにした。この追加発掘で、すでに完成していた附属病院の一部を取り壊すという最終手段が功を奏し、長尾の目論見通りホロタイプの掘り残しの前肢――ほぼ完全――が採集されたのである。この前肢についても1938年に記載が行われ、ニッポノサウルスに関する基礎研究はひと段落付くことになった。

 原記載の中で(属・種の分類に使えるような)まともな骨学的特徴が見出されなかったため、その後ニッポノサウルスの分類学的な位置づけは混乱することになった。クレストが欠けており、幼体くさい雰囲気(小さな体サイズやひょろ長い後肢など)が漂っている状況ではなおさらである。
 また、もう一つ大きな問題があった。ニッポノサウルスを“マンチュロサウルス”の近縁とみなす意見から、ハドロサウルス科の基盤的なものとみなす意見、そして疑問名とする意見までよりどりみどりであった一方で、それらの意見は全て長尾の原記載にのみ基づいていた。誰もニッポノサウルスのホロタイプに触ったことがなかったのである。原記載の図版には明らかにクリーニングの終わっていない椎骨の写真があふれており、従って誰かが基礎的な情報を更新する必要があった。
 これに名乗りを上げたのが北海道大学の学生であった鈴木であり、修士研究(!)としてニッポノサウルスの再記載にあたることとなった。手始めに行われた再クリーニングの結果、案の定椎骨の縫合線がはっきりと現れた。ニッポノサウルスのホロタイプUHR 6590は成体ではなかったのである。

 ホロタイプの再クリーニングの結果、新たに関節した頸椎~胴椎や頭蓋天井の一部、そして吻の断片が見出された。これによって(断片とはいえ)頭骨の詳細な骨学的情報が明らかとなり、ニッポノサウルスがランベオサウルス亜科に属することは確実となった。さらに、ニッポノサウルス独自の特徴らしいものも複数見出された。
一方で、原記載で図示された要素のうち、いくつかのものは原記載時の状態からかなりのダメージを受けていることが確認された。後頭部の要素も長年の間にダメージを受けており、頭蓋天井とされていた要素(前述の通り正真正銘の頭蓋天井が新たに見出されており、原記載で頭蓋天井や方形骨とされていた骨は何かの誤認だったらしいのだが)はごっそり行方不明になっていたのである。
 再記載にあたって行われた系統解析では、驚くべきことに(時代も地域もかけ離れているにも関わらず)ニッポノサウルスはヒパクロサウルス・アルティスピヌスの姉妹群となった(そしてニッポノサウルス+H.アルティスピヌスのクレードがH.ステビンゲリの姉妹群となった)。アジアと北米との間で白亜紀後期に恐竜の移動があった可能性は様々な研究で示唆されていたが、ニッポノサウルスもその一例であるらしいことが示されたのである。

 鈴木による再記載は2004年に出版された。久方ぶりにニッポノサウルスが表舞台へ出てきた一方で、この再記載で示された「ニッポノサウルス独自の特徴」について疑問視する向きもあった。
 また、ニッポノサウルスをヒパクロサウルス・アルティスピヌスと結び付けていた特徴についてもばっさりと否定された。ホロタイプは亜成体(あるいは大型幼体)であり、クレストがごっそり欠けていることもあって、系統解析には(やはり)色々な問題が伴うことも改めて指摘されるようになった。かくしてニッポノサウルスの有効性に再び黄信号が灯ったのである。
 そんなこんなで、ニッポノサウルスの(有効性と)系統的位置づけをはっきりさせるべく再研究が行われた。大腿骨や肋骨、血道弓をスライスして成長線の観察が行われ、ニッポノサウルスがどうも亜成体というより大型幼体であるらしいことが明らかになった一方で、全身の要素についても詳細な観察と比較が行われた。結果、特に頭骨から(今度こそ)ニッポノサウルス独自の特徴が見出されたのである。
 ニッポノサウルスの歯骨の筋突起は(頭骨前面/後面から見た時に)歯骨本体のど真ん中に位置しており、そこからいきなり垂直に伸びるが、他のハドロサウルス類では筋突起の基部は歯骨の側面の場所にあり、そこから斜め上に伸びる点で異なっている。また、ニッポノサウルスはハドロサウルス科としては唯一、はっきりした歯骨の「棚」をもっており(エオランビアやプロバクトロサウルスのようなもっと基盤的なものにはみられる一方で、ハドロサウルス科では幼体にさえもみられない)、全体として特殊化した下顎をもっていることが明らかになった。
 
 ヒパクロサウルス・ステビンゲリの様々な成長段階の標本を検討するなどして成長段階における変化が系統解析に与える問題を洗い出したところで、ニッポノサウルスの新たな系統解析が行われた。その結果は(またしても)意外なもので、マーストリヒチアン後期のスペイン産ランベオサウルス類――アレニサウルスArenysaurusとブラシサウルスBlasisaurusとひとまとめになってランベオサウルス亜科の基盤的な位置に置かれたのである。
 アレニサウルスとブラシサウルスが密接な関係にあることは以前から知られていたのだが、ニッポノサウルスの頬骨や歯骨の特徴(頬骨の腹側が突出、側面から見た時に歯骨の筋突起が前傾している、など)はこれらと共通するものであった。ここに至って、ニッポノサウルスが北米ではなくむしろヨーロッパと強いつながりをもっている可能性が浮上したのである。
 近年の研究で、山東省産のチンタオサウルスとスペイン産のパララブドドン、カザフスタン産のアラロサウルスとフランス産のカナルディアがそれぞれごく近縁であるらしいことが示され、どうもアジア-ヨーロッパ間で複数回ランベオサウルス類の移動があったことが判明した。ニッポノサウルスとアレニサウルス、ブラシサウルスを姉妹群とする解析結果もこれを示唆しており、ランベオサウルス類はアジアとヨーロッパ(そして南北アメリカ)で幾度となく移動を繰り返していたようだ。

 依然としてニッポノサウルスのホロタイプは大型幼体であり、しかも(未発達の)クレストが未発見であることから、その姿には謎が多く残されている。ホロタイプの前肢の短さはハドロサウルス科としては有数のレベルだが、果たして成体になったときにどうなっているのだろうか? クレストの形態には謎が多い(ブラシサウルスでは未発見であり、アレニサウルスでも前頭骨のドームしか残っていない)が、ひょっとすると成体ではアレニサウルスと同様の、妙に大きく膨らんだ前頭骨ドームをもっていたのかもしれない。棘突起は成長に伴って大きく伸長する可能性もあり、このあたりは想像すると非常に楽しい(現状では想像するほかないのだが)。

 1993年・94年と日本人研究者によるチームがサハリンで地質調査を行った際にシネゴルスクでニッポノサウルスのホロタイプの産地を再訪しようとした――が、川上炭鉱の附属病院は跡形もなくなっていた。地元民にも当時の様子を知る者はなく、ホロタイプの詳細な産地は所在不明となってしまったのである。ホロタイプがブイコフ層から産出したのはほぼ確実なのだが(戦前の三井鉱山の地質調査のデータやら何やらからするとサントニアン後期ないしカンパニアン前期ではあるらしい)、従って時代やタフォノミーに関する突っ込んだ議論は難しい。
 カンパニアン前期、太平洋岸から西を目指して移動していったニッポノサウルスの一群がいたのだろうか? それとも、サントニアン後期に西からやってきた一群が太平洋岸に居ついたのだろうか?
「日本最初の恐竜研究」は、まだ終わらない。

むかわ竜についてgdgdと

 またである。またであるのだが(あえてバーボンハウスは貼らない)、前回から丸1年は経っているので許してほしい。
 来週水曜日にNHKの恐竜番組があるのはさておき(例によってCGがむごいようだ;給料から受信料が天引きされている筆者である)、問題は番組の紹介サイト(NHKと北大双方にある)である。むかわ竜の(おそらく完全にクリーニングの終わった)化石の写真がそれなりの解像度で置いてあるのである。

 解像度は北大のサイトの方が良好(ついでに右クリックも有効)である。NHKの方の写真を見る限り、これらにはほとんどパースが付いていないようだ(クレーンでかなり高いところからほぼ真上で撮ったのだろう)。全身骨格の写真に付いたパースの問題は常に難題だが、今度はそうではないのだ。
 昨年春のプレスリリースから比べれば違いは一目瞭然で、つまりはプレスリリースの段階では結局それなりの量が未クリーニングだった計算になる。仙椎を除けば椎骨はかなり揃ったようで(尾椎はどうも中位以降ははっきり一続きのようだ)、腸骨も結局完全であった(座骨が近位部しか残っていないのがやはり惜しい)。何より見事なのは頭骨で、吻がすっぽ抜けていることを除けば(少なくとも「ガワ」に関しては)かなり完全である。吻が欠けている点にしても、歯骨は(というより下顎は前歯骨以外ほぼ揃っているようだ)完全で、吻の長さは容易に推定できるわけである。

 かくしてほぼ全身が揃ったわけだが、プロポーションに関する印象は特別昨年のプレスリリースから受けるものと変わらない(すでに四肢はそっくり出ていたし頭骨も要はあったわけで、ある種当然ではある)。スレンダーな上腕骨からしてむかわ竜がサウロロフス亜科なのはたぶん確実だろう。頭はサウロロフス族や(少なくとも派生的な)エドモントサウルス族と比べて小さく(かといってブラキロフォサウルス族ほど小顔でもないようだ)、このあたりのバランスはグリポサウルスに近そうだ。
 一方で前肢はグリポサウルスよりも短く(ブラキロフォサウルスに近いバランスのようだ)、上腕骨はサウロロフス亜科にしてもかなりスレンダーに見える。肩甲骨もほっそりとしており、このあたり二足歩行傾向はかなり高かったのだろう。
 上腕骨だけでなく大腿骨もハドロサウルス科としては非常にほっそりとしており、全体的に老齢個体の印象は受けない。大腿骨遠位端の粗面(しばしばアーティファクトでは覚えたてのスパチュラで彫られたような初々しい面で表現される)はほとんど未発達のようで、胴椎の思わせぶりな保存状態と相まって、サイズの割にはわりあい未成熟だったのかもしれない。

 ハドロサウルス類のプロポーションは族間(ものによっては種間)で割と明確に差があり、サウロロフス族のような筋肉お化けからブラキロフォサウルス族のような繊細な感じのものまで多様である。むかわ竜はある種キメラ的な(それでいて優雅な)プロポーション(ハドロサウルス類のプロポーションは生涯を通じてあまり変化せず、亜成体から成体となる過程では全体的にゴツくなったり棘突起やクレストが伸びたりする程度のようだ)であるようで、復元骨格の完成が待ち遠しいものである。

全滅した話

 全滅エンド(主に黒富野)に慣れ過ぎた結果オルフェンズの二期であんがいレギュラーに死者が出なかった感のある筆者なのはさておき(ユージンとチャド推しだったのでどっちも生き残っていたということもある)、第二回古生物創作合同展示会はありがたいことに大盛況で終えることができた。売れ残りを手元に置いておくくらいの気分で持っていった41部は(滑り出しがパッとしなかったのでやや焦ったのだが)結局全滅し、ポスターもそれなりにさばけたようである。
 会場(それなりに入るのに勇気がいる構造なのだが終始大賑わいであった)で手に取ってくださった方々には感謝しかないのだが、そういうわけで手に取れなかった方にも救済措置はとったつもりである。9月上旬には稼働状態に入るはず(こちらでもまた告知はしたい)である。

特別展「獣脚類 鳥に進化した肉食恐竜たち」レポ

 7月も下旬である。水面下でまたしてもよくない動きを見せている筆者だったりしてブログの更新がほったらかし気味ではあるのだが、首尾よく早いうちに福井県立恐竜博物館の特別展(そういえば今年は年頭にこの手の紹介記事を書きそびれた)、「獣脚類 鳥に進化した肉食恐竜たち」へ行くことができたわけである。例によって会期は10/14(日)までとかなり長く、何かと行くチャンスは探せるはずだ。

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 アベリサウルスはひょっとすると20年近くぶりの来日(と見せかけてFPDMが購入したものらしい)である。ギガ恐竜展からの続投組もちょいちょいいるのだが、アベリサウルスやピアトニッキサウルス(よりによって一番出来の良くないバージョンである)など、非常に珍しい顔も並んでいる。

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 入っていきなり飛び込んでくる(アベリサウルスやらピアトニッキサウルスやら珍しいものもあるのだが)目玉のネオヴェナトルは“ダイナソー・アイル”ワイト島博物館のマウントを「完コピ」して3Dプリントしたもの(FPDM所蔵)である。足りない胴椎や尾椎はコピペで増やしているようだ。

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 アーティファクトダイナソー・アイルのマウントの完コピなわけで、据えられた頭骨の復元はある種旧復元といっていいものである。鼻骨はそれなりに変形してねじれており、ヤンチュアノサウルス的なクレストは恐らくもっていないだろう(鼻骨の縁にエッジが立っていたのは明らかだが)。

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 丸みのない胴は極めてカルノサウルス類的…だが、肩帯の組み立てがよろしくないため、やたらごつい胸郭に仕上がってしまっている。まとまりのない中足骨は典型的なカルノサウルス類のそれである。

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 リムサウルスのホロタイプ(実物)がしれっと置いてあって肝を抜かした筆者である。今回の特別展はここ数年の慣例から外れ、ホロタイプや実物標本であることを強調するパネルがほとんど設置されていない点に注意が必要である。

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 かなり肉薄して観察することができるのがありがたい。透明感の強い、美しい化石である。

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 ホロタイプの傍らにはまだ歯の残る幼体が横たわっている。

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 目玉のひとつがメガラプトルということで怯えていた読者諸氏のことであろうが(当然筆者もそうである)、蓋を開けてみればつい先日ベルナルディーノ・リヴァダヴィアでお披露目されたものと同型――新復元のものであった。かねてよりメガラプトル類の胴は(ティラノサウルス科のように)かなり幅が広いらしいと言われていたが、マウントでもそれらしく復元されている。

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 不幸にして筆者が描いた骨格図と基本的に同じ顔である(吻はこちらの方が短いが)。

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 尾と首が長すぎるきらいはあるのだが(頸椎はひとつ多くなってしまっているようだ)、胴と四肢のバランスはこんなものだろう。前肢が回内しているのを気にしたら負けである。

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 ビセンテナリアは復元骨格のみの来日である。賢明なる読者のみなさまはお気づきだろうが、頭骨の産出部位はこれだけである。

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 ズオロンとアオルンをひそかに楽しみにしていた筆者(前者は実物である)だが、色々あったらしくどちらもだだっ広い展示ケースが目立つ。会期後半あたりに、ひょっとすると足りてない部分のレプリカが投入されるかもしれないという消息筋の話もあるにはある。アオルンの頭骨は塗膜が厚めなのが辛いところ。

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 チエンジョウサウルスのキャストは下顎のアーティファクトが割と無残なのだが、変形の少ない右側面(完全度でいえば左側には及ばないのだが)を見ることができる。左側は割と妙な顔つきだったのだが、右側を見ればなんということはないアリオラムス顔である。

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 このあたりの変形の実態というものはなかなか(紙面の都合もあって)論文では見えてこないものだったりもする。

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 またしてもしれっとハプロケイルスのホロタイプ(実物)である。首のあたりに見えるのはワニ類である。

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 取り外された頭骨ももちろん展示されている。筆者が波紋をアクリル板に流しているというわけではなく、単にTシャツが映り込んでいるだけである。

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 キャストとはいえベイピャオサウルス(sp.名義)は大変見ごたえがある。バラけかかってはいるものの、頭骨もよく保存されている。

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 色々あった末にヘユアンニア属で落ち着きそうである。キャプションモヘユアンニア・ヤンシニとなっている。

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 泣きながら骨格図を描いた日々が昨日のことのように思い出される。

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 エピデクシプテリクスともども、イーも恐竜博2016で果たせなかった実物の来日である(写真だとわかりにくいが実物もかなり見にくい)。

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 何気なく展示されているが、このアンキオルニス(sp.)はかなり立体的に保存されており、思わず息をのむ。個人的には今回最大の目玉としてよいくらいの化石である。

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 こちらのアンキオルニスは首なしだが、軟組織がよく残っている。前翼膜の確認された標本でもある。

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 思わずスルーしかかった筆者だが(上野で散々出来のいいキャストを見ている)、これは実物である(恐竜博2004以来くらいだろうか?)。どんなに出来がよくとも、やはりキャストとは一味も二味も違うものである。

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 こちらのミクロラプトルも尾を除けば全身がよく保存されている。胃内容物(半ば関節した鳥類)が残されているだけでなく、腹骨も完全に保存されている(非常に示唆的なラインを描いて恥骨につながっている)。

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 遼寧産の未命名の鳥類化石。肩帯ごと前肢がすっぽ抜けたせいで、一見ダッシュ中のトカゲの類に見える。

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 キャストではあるのだが、一応ティアニュラプトルは日本初公開だったようである。この写真だけでも(ドロマエオサウルス類にしては)妙なプロポーションがわかるだろう。

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 ブイトレラプトルもいささかざっくりしたつくりではあるのだが、ローラシアのものとはだいぶ毛色の違った様子ははっきり見て取れる。アウストロラプトル(後ろの影)はフェバリットの模型を実物大にそのまま引き延ばしたような出来であり、従って写真は割愛。

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 ヘスペロルニス(レガリス)はよく考えてみるとかなりデカかったわけである。オリジナルの骨格はそれなりに実物を練り込んで作っていたようだ。

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 北谷層産の鳥類(サペオルニスくらいの段階のものだろう)の研究は順調に進んでいるようで、(解像度はかなり粗いが)3Dプリントによる復元骨格(こういう色なのでなんとなく作りかけのガレキっぽい)がお目見えである。立体的に保存されていることの意義は言うまでもなく、今後が非常に楽しみなものである。



 筆者の好みの割と出たチョイスだったが、もちろん紹介を割愛した展示は数多い。遼寧産羽毛恐竜や鳥類化石の実物やキャストは非常に質の良いものぞろいであり、量もかなりのものである。
 “インゲニア”のキャプションがヘユアンニア属になっていたり“トロオドンの復元骨格”がステノニコサウルスsp.名義になっていたりする一方、実物やらホロタイプやらの(去年まで派手に主張していた)表示がほぼ消えていたりと、いささか厄介なところもある(今どき珍しく、「草食」表記をやたら見た)。獣脚類の主要グループの復元骨格はすべてそろえた格好なのだが(おまけでペラゴルニスとケレンケンもいる)、それゆえ復元骨格が玉石混交なのもいつも通り(ピアトニッキサウルスはどうも出来のよろしくない方のタイプである)といえる。とはいえ、凄まじい標本をホイホイ放り込んでくるあたりもいつも通りといえ、腰を据えてじっくり見てやりたいところである。

(完全に余談になるが、FPDM所蔵となったネオヴェナトルとメガラプトルを見れば誰しもフクイラプトルが脳裏をよぎるだろう。しばらくすれば第二博物館もできあがるはずだが……?)

背負わされた名の重み

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↑Skeletal reconstruction of
Fukuiraptor kitadaniensis holotype FPDM-V 97122 (top)
and Australovenator wintonensis holotype AODF 604 (bottom).
Scale bars are 1m.

 2000年に命名されて以来、フクイラプトル・キタダニエンシスは常に「恐竜王国福井」の先頭に立ち続けてきた。事あるごとに復元骨格がメディアを飾り、また復元骨格に基づき制作された復元模型も常に第一線にあり続けてきた。とはいえ、命名から15年以上も経てばいかなる恐竜であってもそれなりに「見てくれ」は変わり得るもので、それがメガラプトル類であればなおのことである。

 「『日本から恐竜は出ない』のがかつての常識だった」とはよく言われることであるのだが、実のところ1951年には(広義/旧義の)手取(てとり)層群(明治初期にはすでに植物化石の名産地として知られていた)から恐竜化石がいずれ発見されるであろうことが小林貞一によって「夢想」されていた。1966年には福井県美山町(現福井市)小和清水の九頭竜層群(旧九頭竜亜層群)の最上部、境寺層でアスワテドリリュウ――テドロサウルス・アスワエンシスTedorosaurus asuwaensis(トカゲ類)が、そして1982年には勝山市北谷町――運命の露頭で、1本のワニの歯が発見された。福井県立博物館建設準備室――典型的な総合博物館になるはずだった――が中心となった調査で発見されたのは、見事なゴニオフォリス類の化石――ほぼ完全な骨格だった。

(地層名としては手取(てとり)層群を用いるのだが、元になった地名(川)本来の読みは手取(てどり)である。よくある話なのだが、1894年に横山又二郎は読み方をうっかり間違えたまま命名したのだった。)

 1986年、事態は一気に動いた。石川県側の手取層群――手取川に面した石徹白亜層群桑島層の巨大露頭――桑島化石壁から、待望の恐竜化石が報告されたのである。1978年に採集されていたそれは獣脚類のちょっとした歯冠の断片ではあったのだが、それでも今後の発見を期待させるものであり、カガリュウの「通称」が与えられたのである。
 手取層群初の恐竜化石となる「カガリュウ」の発見は、桑島化石壁はもちろんのこと、福井県側の調査をも活発化させることとなった。白羽の矢が立ったのが1982年にゴニオフォリス類の産出した露頭であり、1988年に予備調査が行われた。3日間の調査ではあったのだが、案の定と言うべきか、獣脚類の歯が2本――同じ分類群に属すると思しきもの――が産出し、これらには「キタダニリュウ」の通称が与えられた。また、1982年の調査でゴニオフォリス類と共産した複数の骨片をつなぎ合わせたところ、アロサウルス類と思しき尺骨が現れた。「カツヤマリュウ」である。
 この年、福井県は翌1987年度から5ヶ年計画で「福井県恐竜化石調査事業」を行うことを決定した。ここに「恐竜王国福井」が産声を上げたのである。

 本格的な発掘が始まるにつれ、露頭の最下部の砂岩がボーンベッドと化していたことが明白となった。北谷層の恐竜相、さらに言えば当時の情景がかなり復元できる可能性が出てきたのである。発掘2年目からはボーンベッドを面的に掘る方法に切り替え(ある程度のマッピングも行われたが、これはいわゆるボーンマップを描けるような詳細なものではなかった)、さらに多数の化石が発見された。その中には複数のイグアノドン類の骨(ほっそりとしたほぼ完全な歯骨も含まれていた――これはフクイサウルスではない)――「フクイリュウ」である。
 そして1991年、ドロマエオサウルス類と思しき(歯間板が顎骨に完全に癒合する)上顎骨や歯骨の断片が発見された。さらに、1993年には顎の発見地点のすぐそばで巨大な末節骨と足の骨が密集した状態で発見された。末節骨の形態は(断面こそ完全な逆涙滴型ではなかったものの)ドロマエオサウルス科の後肢の第Ⅱ指――シックルクローとよく似ており(左右非対称の血管溝があった)、デイノニクスよりやや大きいサイズのドロマエオサウルス類(しかもデイノニクスよりも華奢な体格らしい)が存在していた可能性が浮上したのである。「キタダニリュウ」がドロマエオサウルス類の歯と同定されたこともあって、この部分骨格(産状からして同一個体であることはほぼ確実だった)が「キタダニリュウ」と同じ種に属する可能性もあった(が断定は避けられた)。
 その後、福井を訪れたカリーはさんざん悩んだ末に末節骨はシックルクローではなく前肢に属するものと再同定した。これに伴いサイズについても再検討され、この部分骨格がどうやらユタラプトルの75%ほどの大きさ――ドロマエオサウルス類としてはかなり大型のものであるらしいことが明らかになったのである。

(これらの化石の実質的なお披露目となった福井県立博物館の特別展に合わせ、フクイリュウの復元骨格も制作された。多数の骨が知られていた一方で、複数個体に属することが明らかであったため、頭骨要素(サイズ的に同一個体分であるように思われた)の他は、いくつかの後位頸椎や前位胴椎、肩甲骨の近位端、中手骨、肋骨、座骨近位端、いくつかの尾椎と血道弓だけが復元骨格に組み込まれ、他はほとんどアーティファクトとなった。そのままフクイリュウの復元骨格の尺骨に組み込まれているのはどうもカツヤマリュウらしい。)

 追加要素の発掘が期待されたこともあり、1996年から始まった第二次調査ではこの「大型ドロマエオサウルス類の部分骨格」の発見地点周辺を集中的に攻めることとなった。結果は大当たりで、第一次発掘の要素と合わせれば前肢の大部分やほぼ完全な後肢が揃うこととなったのである。
――フタを開けてみれば、「キタダニリュウ」とさえ目されたこの「大型ドロマエオサウルス類の部分骨格」FPDM-V 97122(旧FPMN 97122とFPMN 96082443)がドロマエオサウルス類でないことは明らかだった。各要素のサイズや産状(「北谷クオリー」は全体としてボーンベッドの様相を呈してはいたが、それでも20㎡ほどの範囲にまとまっていた)からしてキメラとは考えられなかったのだが、カルノサウルス類の亜成体らしき部分骨格(椎体と神経弓は分離していた)がそこにあったのである。

 2000年に復元骨格が完成し、それから間を置かずにこの部分骨格はフクイラプトル・キタダニエンシスFukuiraptor kitadaniensis命名された(「ラプトル」の名は、どちらかといえば研究史というよりシンラプトルを意識したもののように思われる)。系統解析の結果フクイラプトルは基盤的カルノサウルス類とされた(が故に、基盤的カルノサウルス類の中で頭骨が最もよく知られていたシンラプトルが復元骨格のモデルとされた)が、一方でコエルロサウルス類的な特徴(前述の顎骨に癒合した歯間板に加え、長くほっそりした前肢、非常に大きな手など)もみられた。また、距骨の形態はオーストラリアのウォンタギWonthaggi層(白亜紀前期;アプチアン前期ごろ?)から産出した「ドワーフアロサウルス」(1981年の最初の記載で何を思ったかAllosaurus sp.と同定され、挙句博物館のラベルにはAllosaurus robustusまで書かれた;90年代にはしばしば「毛皮をまとった」姿で描かれている)とよく似ており、フクイラプトルが「ドワーフアロサウルス」と近縁である可能性まで指摘されたのである。また、ホロタイプから20mほど離れた場所に寄せ集まっていた複数の小型獣脚類(推定全長1mほどの個体から2mほどの個体まで;ほとんどが歯と長骨からなる)はフクイラプトルの幼体とされた
 命名によって、名実ともにフクイラプトルは「恐竜王国福井」の顔となった。「フクイリュウの復元骨格」を「改修」した「フクイサウルスの復元骨格」を従え、「日本の恐竜」の代表としてそこかしこに氾濫するようになったのである。

 アウストラロヴェナトル(原記載ではカルカロドントサウルス科の姉妹群とされた)の発見によってアウストラロヴェナトル、フクイラプトルそして「ドワーフアロサウルス」が近縁である可能性が示され、そしてそれらはメガラプトラとしてひとくくりにされた。メガラプトラの系統的位置づけに関する議論については先の記事に書いた通りだが、いずれにせよフクイラプトルはもはや基盤的なカルノサウルス類とは考えられなくなった。
 メガラプトラの頭骨の復元は(かなり無茶な)コンポジットに頼るほかないことも先の記事に書いた通りで、現状ごく断片的な要素しか知られていない(今後の期待はできるのだが)フクイラプトルの頭骨を復元することはなおのこと難題である。とはいえ、(肉付けしたとしても)復元骨格の頭――ほぼシンラプトル――とはだいぶ趣が異なっていた可能性はままある。
 フクイラプトルの命名から15年以上が過ぎ、フクイヴェナトルや「むかわ竜」のように遥かに完全な骨格も知られるようになった。欠損部位をシンラプトル風のアーティファクトで埋めたフクイラプトルの復元骨格は、今日もガラスの向こうから来館者を出迎えている。


カルノサウリアとコエルロサウリアの狭間で

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COMPOSITE of derived megaraptora
(Aerosteon, Murusraptor, Orcoraptor, Megaraptor);
Aerosteon riocoloradense holotype MCNA-PV-3137;
Murusraptor barrosaensis holotype MCF-PVPH 411;
Megaraptor namunhuaiquii adult
(composite of holotype MCF-PVPH 79 and MUCPv 341)
and juvenile MUCPv 595;
Australovenator wintonensis holotype AODF 604;
Fukuiraptor kitadaniensis FPDM-V 97122.
Scale bar is 1m.

 メガラプトルといえば南米産の巨大ドロマエオサウルス類らしい何か(実のところ原記載ではドロマエオサウルス科とは一言も言っておらず、デイノニコサウルス類に収斂した基盤的コエルロサウルス類の可能性を指摘している)――だったのは昔の話(といっても1998年のことで、実のところ短命な復元であった)で、その後2004年に新標本が報告されたことで、「シックルクロー」は前肢の第Ⅰ指のものであることが明らかになった。しかしこの新標本MUCPv 341も依然として断片的であり、結果メガラプトルの系統的位置づけはカルカロドントサウルス類やらスピノサウルス類の近縁やらで揺れ動くことになったのである(伝説の復元骨格はカルカロドントサウルス類説に従っている一方で、ルイス・レイはスピノサウルス類として描いていたりする)。

 2010年になってメガラプトルがアエロステオン(原記載時には系統不明であった)と近縁であることが示され、またオルコラプトル、アウストラロヴェナトルそしてフクイラプトルまでもがカルカロドントサウリアのいち系統――ネオヴェナトル科の中のまとまったグループ――メガラプトラを作る可能性が指摘されるようになった。
 が、これでメガラプトル――ひいてはメガラプトラ――の系統的位置づけが定まったかといえばそんなことはなかったのは皆様ご存知の通りである。2013年にノヴァスらはメガラプトラがティラノサウルス上科に含まれる可能性を指摘し、2014年にはティラノサウルス類的な特徴を示すメガラプトルの幼体MUCPv 595を記載したのである
 とはいえそれで話が落ち着くほど単純でもなく、依然としてメガラプトラの置き場はネオヴェナトル科内とティラノサウルス上科内(あるいは単に基盤的コエルロサウリア)との間で定まっていない。系統解析のデータセット次第でどちらにでも転ぶことが示されており、このあたりを解決するにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

(そもそも2010年にベンソンらがメガラプトラとネオヴェナトルを結び付けたのは、主に椎骨と腸骨の含気化に関連する特徴によってであった。これに対し、ノヴァスらは2013年に腸骨や後肢の特徴がティラノサウルス類と類似していることを指摘し、2014年には吻や脳函についてもティラノサウルス類的な特徴を見出している。一方で、2016年にノヴァスらはメガラプトラの手骨格からアロサウルス類的な特徴も見出し、メガラプトラの分類についても二、三言述べたが、その程度でどちらかに定まるような話ではないだろう。
 なお、ここまで読んだ方ならうすうす感付いているだろうが、筆者はグアリコやデルタドロメウスがメガラプトラであるとは考えていない(ノアサウルス類だと考えている)。シアッツについてはとりあえず断片的過ぎるので分類に関してはコメントしたくないのが正直なところであるが、現状これもメガラプトラに属するとは考えていない。)

 メガラプトラに含まれる種はいずれも部分骨格しか知られていないのだが、先述の通りメガラプトラの系統的位置づけがはっきりしない(一方でメガラプトラそのものはよくまとまったグループのようである)ため、近縁なグループを参考にするのも難しい。
 従ってメガラプトラの復元に「使える」のはメガラプトラだけということになるのだが、ここで考慮すべきは時空間分布である。メガラプトラは目下、南米(メガラプトルやムルスラプトル、アエロステオン、オルコラプトル)やオーストラリア(アウストラロヴェナトル、ラパトルなど)、アジア(フクイラプトル)で知られているのだが、このうち南米産のものは白亜紀後期前半(セノマニアン~コニアシアン;ざっくり1億~8630万年前ごろ)のものである。オーストラリア産のものは白亜紀前期~白亜紀後期初頭と南米産のものと比べて全体的にやや古い。また、フクイラプトルも白亜紀前期後半(アプチアン後期~アルビアンのどこか;ざっくり1億2000万~1億1000万年前ごろか)のものである。
 メガラプトラ内の系統関係についてはっきりした事はわかっていないのだが、フクイラプトルはもっぱら最も基盤的な位置に置かれ、これは時代と調和的である。セノマニアン(ざっくり1億~9400万年前ごろ)のアウストラロヴェナトルはフクイラプトルと姉妹群とされる場合もあり、また明らかにメガラプトル(チューロニアン後期~コニアシアン前期;ざっくり9000万~8800万年前ごろか)と比べて手骨格は原始的なつくりである。従って、メガラプトルやそれより新しいムルスラプトル、アエロステオンの復元に、そのままアウストラロヴェナトルを参考にするのも考え物ではあるだろう(とはいえ参考にせざるを得ないのだが)。メガラプトル、ムルスラプトル、アエロステオン、トラタイェニアについては同地域で入れ替わり立ち替わりといった産出状況であり、一つのよくまとまった系統を見ているのかもしれない。

(オルコラプトルの時代は原記載でマーストリヒチアンとされていたのだが、実際にはセノマニアンであるらしい。また、アエロステオンの時代も原記載ではカンパニアンとされていたが、これもコニアシアン後期の誤認であった。今年に入って命名されたトラタイェニアTratayeniaの時代はサントニアンであり、目下最新/最後のメガラプトル類の記録となっている。)

 以上のことを踏まえれば、メガラプトラの復元に挑戦できるだろう。メガラプトル、ムルスラプトル、アエロステオンを組み合わせれば、白亜紀後期の(おそらく)派生的なメガラプトラの頭と胴体、四肢のバランスをある程度定めることができる。
メガラプトルの成体の吻の長さは依然として不明ではあるが(おまけにメガラプトルの幼体は全長3mにも満たない)、ムルスラプトルの亜成体は比較的長い吻を持っていたらしいことが示唆されている。アウストラロヴェナトルの歯骨はスレンダーだが、相対的な吻の長さはメガラプトルの幼体と比べてずっと短いようである。オルコラプトルのホロタイプでは後眼窩骨と共に方形頬骨の一部が保存されており、頭骨の復元に役立つ。上腕と大腿は派生的なメガラプトラでは知られていないが、これは現状アウストラロヴェナトルを参考にするほかない。
 南米の白亜紀後期のメガラプトラは比較的長い吻と長い首、第Ⅰ指に「シックル・クロー(ドロマエオサウルス類の後肢のそれと同様、切り裂きに適した逆涙滴型の断面をもつ)」を備えた巨大な手、ほっそりとした長い後肢をもっていたようだ。肩甲烏口骨は大きく、がっしりしており(結果として胸郭がかなり深い)、このあたりは強力な前肢と関係があるのだろう。後肢はある種コエルロサウリア的なプロポーションのようである。フクイラプトルやアウストラロヴェナトルではメガラプトルほど極端なつくりの手骨格は備えていない(末節骨の断面も逆涙滴型にはなっていない)ものの、それにつながる「原形(第Ⅰ指の末節骨の血管溝が左右非対称になっている)」は備えている。また、少なくともフクイラプトルとアウストラロヴェナトルでは趾が長く、分類はさておき、一見すると確かに基盤的なティラノサウルス類的である。
 依然としてメガラプトラの姿も系統的な位置づけは不明なままだが、白亜紀ゴンドワナ、そして少なくともアジアの一部では、「コエルロサウリア的な」見てくれの中大型獣脚類が一時かなり栄えていたらしい。南米のメガラプトラは(少なくとも白亜紀の半ば過ぎまで)アベリサウルス類と共存していたが、両者の間に食べわけが成立していたのは多分確実だろう。白亜紀の恐竜相は、比較的よく見つかる中型以上の獣脚類でさえ、まだまだ分からないことだらけなのである。