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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

フクイラプトル

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↑フクイラプトル・キタダニエンシスの模式標本FPDM 97122(の大部分)
FPDM 9712243、FPDM 9712229(参照標本)。スケールは1m
Skeletal reconstruction of Fukuiraptor kitadaniensis
Based on FPDM 97122(Holotype), FPDM 9712243
and FPDM 9712229(reffered).
Scale bar is 1m. After Azuma and Currie(2000).

 さて、フクイラプトルと言えばもはや説明不要…としてしまうとブログの記事を書く意味がない。とはいえ、命名までに紆余曲折あったことはご存知の方も多いだろう。ここ数年で本種を取り巻く状況が激変(?)したこともあり、ここらで一度きちんと書いておきたいと思う。

 手取Tetori層群といえば、ご存じ日本の下部白亜系の代表のひとつにして恐竜化石の一大産地である。北陸に広くまたがっており、3つの亜層群に分割される。下(古い方)から順に、九頭竜Kuzuryu亜層群、石徹白Itoshiro亜層群、赤岩Akaiwa亜層群である。福井県の恐竜産地は赤岩亜層群の上部に位置する北谷層(白亜紀前期バレミアン前期;1億2800万年前ごろ)である。

 古参の方ならご存じだろうが、第2次恐竜ブーム華やかなりし90年代、福井からは「3種」の獣脚類が知られていた。1988年の予備調査で発見された歯2本に基づくドロマエオサウルス科の“キタダニリュウ”と単離した尺骨に基づくアロサウルス科の“カツヤマリュウ”、そして第一次発掘(1989~1992)で発見されたに基づくメガロサウルス科の“ツチクラリュウ”である。
 さて、1993年に、獣脚類の断片的ながら比較的まとまった化石が発見されていた(恐竜学最前線③参照)。巨大な末節骨と踵骨、中足骨と趾骨、そして上下の顎の一部からなるそれはドロマエオサウルス類とされ、一般向けには“キタダニリュウ”の追加標本として扱われるようになった。また、これと同じ場所から“カツヤマリュウ”と思しき歯も発見された。

 “キタダニリュウの部分骨格”に含まれていた末節骨は当初後肢の第Ⅱ指のものとされ、デイノニクスよりやや大きい程度のドロマエオサウルス類として考えられていた(恐竜学最前線③、ニュートン別冊恐竜のすべて参照)。その後、95年になって末節骨は前肢のものと再同定され、福井に「ユタラプトルの75%の大きさの」ドロマエオサウルス類が存在していたことが明らかになった。はずだった。

 96年から始まった二次調査で“キタダニリュウの部分骨格”の周囲から新たに多数の獣脚類の化石が発見され、いずれも“キタダニリュウの部分骨格”と同一個体であるように思われた。
 そうだとすれば、事態はとんでもなくややこしかった。最終的に姿を現した“キタダニリュウの部分骨格”はほっそりとしたカルノサウルス類的な代物であったのである。にも関わらず、依然としていくばくかのコエルロサウルス類的な特徴も認められた。

 こうして“キタダニリュウの部分骨格”は“勝山産獣脚類”として2000年に復元骨格が製作された。直後に記載論文が出版され、“キタダニリュウの部分骨格”はフクイラプトル・キタダニエンシスの模式標本となった。一連の模式標本の中には先述の“カツヤマリュウの歯”も含まれている。椎体と神経弓は癒合しておらず、よって模式標本は未成熟であるとされた。
 原記載中で、フクイラプトルは「明らかにカルノサウルス類だが、コエルロサウルス類の特徴ももっている」とされ、基盤的なアロサウルス上科に位置付けられた。また、「オーストラリアのドワーフアロサウルス"Allosaurus robustus"」との類縁性も指摘された。

 その後、フクイラプトルの模式標本の20mほど脇から、多数の幼体(の断片的な骨格)がまとまっているのが報告された。少なくとも13個体からなり、いずれもフクイラプトルの模式標本よりずっと小さな個体である。“キタダニリュウ”の「模式歯」のうちのひとつ(FPDM-V98120002)もフクイラプトルの幼体のものとされた。(さらに言うと、“ツチクラリュウ”の「模式歯」も一連のフクイラプトルの標本と同じ産地からの発見であるといい、恐らくはフクイラプトルと考えられる。)

 フクイラプトルの系統的な位置についてはなんともいえない状態が続いたのだが、その後メガラプトルなどとまとめてメガラプトラとし、ネオヴェナトル科の派生的な位置(すなわち非常に派生的なアロサウルス上科)に位置付けられた。オーストラリア産のアウストラロヴェナトルAustralovenatorやラパトルRapatorと姉妹群とされ、原記載時の東とカリーの見立て(“ドワーフアロサウルス”は今日一般にアウストラロヴェナトルに近縁とされている)が正しかったことを示している。
 が、その後の研究で、メガラプトラが基盤的なティラノサウルス上科に位置する可能性が浮上してきたわけである。フクイラプトルもティラノサウルス上科の基盤的なメンバーだった可能性が急浮上して現在に至っている。

 メガラプトラの位置付けはまだしばらく揉めそうなので深入りはしない。いずれにせよ、フクイラプトルの存在は、白亜紀前期の東アジアとオーストラリア(ゴンドワナ)の間に密接なつながりがあった可能性を示している。
 最近の研究で、群馬の山中地溝帯、瀬林Sebayashi層下部(バレミアン後期)からもフクイラプトルの一種の歯(モルナーらによってとりあえずF. aff. kitadaniensisとされている)が確認された。当時、そこそこの範囲でフクイラプトルやその近縁種がみられたようである。

 結局、残ったのは“カツヤマリュウ”の「模式尺骨」と“キタダニリュウ”の「模式歯」の片割れだけになってしまった。“カツヤマリュウ”の尺骨もフクイラプトルと産地は同じだが、形態は明らかに異なり、フクイラプトルとは別の獣脚類であるらしい。
 “キタダニリュウ”の残された1本の歯については、現在でもドロマエオサウルス類とされているようだ。第一次~第二次調査がおこなわれた層準より約5m上位から、三次調査でかなり完全なドロマエオサウルス類が発見されているのだが、これは鋸歯を持たない点で“キタダニリュウ”とは異なる。