GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

首の長いワニ

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↑Skeletal reconstruction of Baryonyx walkeri holotype NHMUK R9951.
Scale bar is 1m.

 微妙に忙しい状態が続いているうちに、(大した感慨を味わう間もなく)10万アクセスを超えていたわけである。大変ありがたい限りなのだが、そういうわけで記念記事を書こうにもなかなかしんどいところである。

 バリオニクスといえば今でこそスピノサウルス科の代表例のひとつとしてしれっと図鑑におさまっているが、筆者の幼少時(90年代)には「奇妙な恐竜」の代表例として、ずいぶんフィーチャーされていたものである。近縁種の研究が進むにつれ、(依然として奇妙な形態をもつことに変わりはないのだが)そのあたりの言及は大人しくなっていった―――のだが、一般にみるバリオニクスの復元イメージは未だに原記載当時の印象が強く残されているといえる。そういう時にしゃしゃり出るのが本ブログのイメージになって久しいような気がするのだが、そういうわけでお付き合い願いたい。

 イギリスのウィールデンWealden超層群といえばイギリスの白亜紀前期の有名どころの恐竜を産するのだが、どうにも獣脚類のまともな骨格が出てこなかった。恐竜研究の黎明期からずっと掘り続けられており、少なくとも鳥脚類に関してはそれなりにまとまった骨格が出ていたにも関わらず、である。そんな事情もあって、1983年にウィールド粘土Weald Clay層(白亜紀前期オーテリビアン~バレミアン;バリオニクスの産出層準はバレミアン初期なのでざっくり1億2900万年前ごろか)から大型獣脚類の部分骨格―――バリオニクス・ウォーカーリが発見されると、一大センセーションが巻き起こることになったのだった。
 地層の名前からもわかる通り、ウィールド粘土層の分布するサリーでは粘土の採掘が行われていた。1983年1月7日、アマチュア化石ハンターのウィリアム・ウォーカーはそうした粘土坑で、シルト岩のノジュールに出くわしたのである。ノジュールからは骨が覗いており、ウォーカーは採集を試み―――ノジュールごと化石を粉砕しかけた。集めた破片を接着してみると巨大な爪―――先端は欠けたままだった―――と肋骨の破片が姿を現し、ウォーカーは愕然としたのだった。
 幸いなことに、1週間後にウォーカーが現地を再び訪れてみると、爪の先端はまだそこにあった。かくしてどうにか復元された巨大な爪はウォーカーの義理の息子によって大英自然史博物館へ持ち込まれ、チャリグとミルナーがこの降ってわいた話に対応することになった。
 ウォーカーによる発見は色々な意味で幸運であった。末節骨と一緒に肋骨の破片が持ち込まれたことからして、現場に獣脚類の部分骨格が(まだ)埋まっていることはほぼ確実だったし、粘土の採掘のために骨格の上に載っている粘土層がごっそり重機で取り除かれているわけである。粘土坑での採掘は(冬の間ぐちゃぐちゃになる関係で)4月から再開されるため、ウォーカーによる発見が数ヶ月遅れていれば、骨格の破壊は必至であった。かくして粘土層から水気の抜ける春を待って本格的な発掘が始まり、密集したシルト岩のノジュールから続々と化石が発見されたのである。この骨格NHMUK R9951ジョーズをもじり、“Claws”の愛称で呼ばれるようになった。

 ノジュールがやたら固かったためにクリーニングは難航したが、とりあえず7割がた終わった1986年に、チャリグとミルナーによってこの獣脚類はバリオニクス・ウォーカーリ―――「ウォーカーの重い爪」と命名された。チャリグとミルナーは、ワニのような異様な頭骨と歯をもつことからバリオニクスが魚食性であった可能性を指摘し、またごつい前肢から多少なりとも4足歩行していた可能性をも指摘した。巨大かつ重々しいつくりの末節骨は前肢のものか後肢のものかはっきりしなかった(デイノニクスを念頭に置いていたわけである)が、前肢にあったとすれば、クマのように魚を引っ掛けてすくい上げるのに使ったのではないかとまでチャリグとミルナーは考えていたのである。
 例によってこの恐竜の分類は揉め(ラウイスクス類とみなす意見さえあった)、チャリグとミルナーはバリオニクス科を設けることとした。北アフリカ産のスピノサウルス類(スピノサウルスとのちのクリスタトゥサウルス)とバリオニクスとの類似性はポールやタケ、ビュフェトーなどによって再三指摘された(当のミルナーとチャリグも原記載の中で指摘している)が、一方で北アフリカ産の標本は断片的であり(ましてエジプト産スピノサウルスの標本は失われていた)、このあたりの議論は揉めに揉めたのである。

 とはいえ、1997年になってバリオニクスのモノグラフが出版される頃にはこのあたりの議論もだいぶ落ち着いていた(チャリグとミルナーはバリオニクス科をスピノサウルス上科の中に置いた)。原記載から10年あまりでバリオニクスのホロタイプの全容が明らかとなり、その異様な形態が改めて示されたのである。
 クリーニングが完了してみれば、酸でエッチングされた魚のウロコ(現在でもレピドテス属として紹介されがちだが、最近になってシーンスティアScheenstia属に移された)が見いだされ、原記載時のチャリグとミルナーの説を裏付けする格好となった(ついでに胃石らしいものや、酸でエッチングされたイグアノドン類の骨も発見された)。
 
 さて、バリオニクスの頭骨は(今日に至るまで)断片的な化石しか知られておらず、厄介なところである。チャリグとミルナーはモノグラフの中で復元頭骨図を示した(バリオニクスの復元骨格の頭部も基本的にこの図と同じつくりである)―――が、これを一刀両断したのがセレノであった。
 バリオニクスのモノグラフの出版の翌年である1998年にセレノらはニジェール産のスピノサウルス類スコミムス・テネレンシスを記載し、バリオニクスと酷似していることを示した。論文の中でセレノらはスコミムスの吻とバリオニクスのその他の頭骨要素を組み合わせた頭骨図を示し、チャリグとミルナーによるバリオニクスの頭骨復元が派手に誤同定を含んでいること(頬骨は実際には前関節骨であり、後眼窩骨とされた骨は上角骨の後端部で、角骨は左右逆だった)を指摘したのである。

 その後、2002年のイリタトルの再記載により、スコミムスの頭骨における「セレノ復元」の問題が指摘されるようになった。また、最近になってバリオニクスのホロタイプの椎骨の配置について見直しが行われ、かつて描かれていたような下向きにカーブした首ではなく、(平常時は)S字に強く湾曲した柔軟な首をもっていたことが明らかになった。
 一方で、バリオニクスのまともな骨格は未だにホロタイプだけであり、依然としてその姿には謎が多い。同時期のヨーロッパや北アフリカからは近縁種(およびB.ウォーカーリそのもの?)の骨格が複数発見されているものの、記載が予察的なままだったりそもそもの状態がかなり不完全だったりで、現状あまり復元の助けにはならないのである。

 白亜紀前期後半のヨーロッパから北アフリカにかけての広い範囲で、バリオニクスやその近縁種は割とポピュラーな恐竜だったらしい。謎の多い恐竜ではあるのだが、この時代、この地域の連中を語る上では避けて通れない相手である。

今回の記事を書くにあたって某YさんとKさんから多大な資料提供をいただきました。ありがとうございました。