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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

恐竜復興

イメージ 1
↑Skeletal reconstructions of Deinonychus antirrhopus.
Top, MCZ 4371 (excluding its vertebra series).
Bottom, based on AMNH 3015 (large part of postcranium),
YPM 5205 (holotype; pes), YPM 5206 (manus), YPM 5210 (skull),
YPM 5232 (skull) and other YPM specimens.
Pubis reconstructed after MCZ 4371. Scaled as AMNH 3015.
Scale bar is 1m.

 バーナム・ブラウンといえば、アメリカ・カナダ双方における白亜紀後期の恐竜の輝かしい発見で知られている(その辺は今までもずいぶん書いたしこれからも書くことになるだろう)。しかしブラウンが白亜紀後期専門の化石ハンターだったかといえばそんなことはなく、AMNHの遠征隊を率いて1930年代初頭にモンタナはビッグホーン郡、クロウ族居留地に露出する下部白亜系―――クローヴァーリーCloverly層(白亜紀前期アプチアン~アルビアン)の調査を行っている。
 ブラウンはこの遠征も首尾よく成功のうちに終えた。AMNHは状態のよい中型鳥脚類やノドサウルス類の骨格複数、そして2種の小型獣脚類のまとまった骨格を手に入れたのである。これらはいずれも明らかに新属新種であり、ブラウンらAMNHのスタッフはクリーニングと記載の準備を進めた。中型鳥脚類は“テナントサウルス・カイゼニTenantosaurus kaiseni”、ノドサウルス類には“ペルトサウルスPeltosaurus”、小型獣脚類2種はそれぞれ“ダプトサウルス・アジリスDaptosaurus agilis”、“メガドントサウルスMegadontosaurus”の「仮称」が与えられた―――が、論文用の図版まで完成していたにも関わらず、どういうわけかそれらが記載・命名されることはなかった。“ペルトサウルス”の素晴らしい骨格AMNH 3036はウォールマウントとして展示され、“ダプトサウルス”の骨格も手足にアーマチュアを通す穴がドリルで開けられ組み立ての準備が進められた―――が、これは結局組み立てられないまま収蔵庫で埃をかぶることになった。

 時は流れて1964年の8月の暮れ、イェール大学ピーボディ博物館はオストロム指揮のもと、モンタナのクローヴァーリー層で調査を行い、そしてそこで多数の恐竜化石に出くわした。ほとんどは30年以上前にブラウンらが採集していたものと同種らしかったが、より多数の、より状態のよい化石が続々と発見されたのである。その中で最もオストロムの目を引いたのがひとつのボーンベッドから発見された化石―――亜成体らしき中型鳥脚類の周りに散らばった多数の小型獣脚類の、少なくとも5体分に相当する奇妙な骨格だった。

 オストロムは注意深くクリーニングを進め、この小型獣脚類が“ダプトサウルス”であることに気が付いた(さらに“メガドントサウルス”の歯も“ダプトサウルス”であることも見抜いた)。そしてクリーニングが完了し、この小型獣脚類のとんでもない特徴―――ブラウンが気付かなかった―――をオストロムは目の当たりにすることになった。手首の折り畳みを可能にする、鳥類じみた半月型の手根骨。後肢の第Ⅱ趾―――人差し指の末節骨「だけ」は著しく巨大な鎌型の爪―――「シックルクロー」になっており、しかも著しく特殊化した第Ⅱ趾は過伸展が可能でシックルクローが地面に接しないように持ち上げておくことができる構造だった。そして近位を除く尾椎の前方関節突起と血道弓の前方は著しく伸長し(尾椎ロッド)、それぞれ重なり合うことによって「固い」構造を作り出していた。

 オストロムはこの発見(“ダプトサウルス”でほぼ欠けていた頭骨も新たに大半が見つかった)をもって“ダプトサウルス”の記載・命名に踏み切り、1969年にこれをデイノニクス・アンティロプスDeinonychus antirrhopus((尾で)カウンターバランスをとる恐ろしい爪、の意)と正式に命名した。ホロタイプとなったのはこのYPMのボーンベッドから産出したほぼ完全な足YPM 5205であり、これらとそのほかのYPMボーンベッドの化石(ホロタイプを含めて少なくとも5体分に相当するが、いかんせん尾を除いてある程度ばらけていたのでナンバーは多数に分割された)、そしてAMNH 3015―――確実に同一個体と言い切れる頭骨以外ほぼ完全な骨格―――を組み合わせることで、骨格の大半が復元可能であった。
 また、オストロムは、デイノニクスのシックルクローを備えた過伸展可能な第Ⅱ趾(長い)が、ドロマエオサウルス―――ティラノサウルス類として記載された謎の小型獣脚類や、ヴェロキラプトル、ステノニコサウルス、サウロルニトイデスといった白亜紀の奇妙な小型獣脚類とそっくりであることも見抜いていた。

 この年のうちに、オストロムはデイノニクスの詳細な骨学的記載を出版した。愛弟子のバッカーが描いた生態復元画と骨格図の飾るこの論文の中で、オストロムはデイノニクスの系統関係について詳しく論じるとともに、デイノニクスの生態について革新的な説を展開した。
 デイノニクスは頸椎や胴椎のつくりからして、椎骨を垂直に立てて生活する動物でないことは明白だった―――走鳥類のように胴体を常に水平に保つ動物であったとオストロムは考え、さらに突っ込んだ議論を展開した。曰く、歯の作りは(時としてスカベンジャーになることは当然あり得るが)本種が生きた動物を襲っていたことを示唆する。そして、本種の身体のつくり―――猛禽類のような爪を備え、「羽ばたき動作」に加えて手首の折り畳みまで可能な前肢、切り裂きに適した逆涙滴型の断面をもつ、折り畳み可能な後肢の巨大なシックルクロー、スタビライザーとなる固い尾―――は、デイノニクスが活発なハンターであったことを強く示唆する。
 オストロムやバッカーが描き出した活発なデイノニクスの姿は革新的ではあったが、一方で、むしろ19世紀から20世紀初頭にかけて展開された古典的な説―――コープやオズボーンの考えに立ち返ったとさえいえた。ここに恐竜ルネサンスが始まったのである。

 オストロムの研究は革新的かつ丁寧であったが、デイノニクスがドロマエオサウルス科としては実質的に初めてほぼ全身が(バラバラで)発見されたということもあり、ちょいちょい骨の誤同定があった。恥骨として復元されていた骨は烏口骨であり、新たなデイノニクスの標本MCZ 4371の発見によって恥骨の奇妙な形態が明らかになった。AMNH 3015やYPMボーンベッドの標本(1体だけふた回り小さかったのだが)はいずれもほぼ同サイズの個体であったが、MCZ 4371はこれらより一回り大きく、どうやら成体のようであった。興味深いことにMCZ 4371のシックルクローはAMNH 3015やYPMボーンベッドの個体よりもカーブが弱く、オストロムはこれが個体変異や成長段階による差、さらには性差である可能性をも挙げつつ明言を避けた。

 さて、YPMボーンベッドで一緒に発見された亜成体の中型鳥脚類―――のちにオストロムによってテノントサウルスと命名された―――がデイノニクスに捕食されたのかどうか、当初オストロムは明言を避けた(このあたり、かなりオストロムは慎重である)が、化石の産状から、これらの動物が死後掃き寄せられてボーンベッドが形成されたわけではない(=少なくともかなり近くの場所で死んだ)ことを記している。また、クローヴァリー層においてテノントサウルスと一緒にデイノニクスの歯がよく見つかることも記している。
 その後オストロムはこのYPMボーンベッドの産状について、デイノニクスの群れによるテノントサウルスの襲撃によるものと捉えるようになった。テノントサウルスはデイノニクスよりもはるかに大きく(体重にして十倍は開きがある)、単独のデイノニクスではシックルクローがいかに強力な武器であったとしても相手にするには厳しそうなサイズである。従って、群れ(統率された群れであったかどうかはさておき)による狩りはもっともらしい仮説であった。
 一方で、これを疑問視する向きも少なくなかった(実際問題としてオストロムの説はかなりの飛躍を含んでいる)。また、オクラホマのアントラーズAntlers層(アルビアン後期~アプチアン前期)ではテノントサウルスが少なくとも18体分(うち3体はかなり関節)とデイノニクス1体のばらけた部分骨格(欠損部位は割と多い)が一ヶ所から産出した例(いずれも死後大して流されていないらしい)が知られており、これはこれで示唆に富んだ産状である。
 最近になって、YPMボーンベッドは(コモドドラゴンなどでみられるような)獲物を巡る種内闘争と共食いの結果(1匹のデイノニクスがテノントサウルスの亜成体を殺したところに続々と他のデイノニクスが集まり、奪い合いになった末に共食いに発展した)生じた可能性も指摘されている。このシナリオでは、最終的に勝者となったのが一回り大きな成体―――YPMボーンベッドには含まれていない―――と考えることができる。また、YPMボーンベッドで関節状態で残っていたのはいずれも尾や手先足先―――食べる部分の少なそうな部位でもあった。このシナリオに則ってアントラーズ層のボーンベッドの場合を考えてみると、何らかの原因でテノントサウルスが大量死している現場にデイノニクスが続々と集まり、テノントサウルス3匹にはほとんど手を付けないままたらふく食べて退散してしまった(テノントサウルスの死体がたくさんあったので争いは「ほとんど」起こらなかった)と解釈できる。もっとも、古生物学におけるこうした行動学的な推論は常に議論の的であり、まだまだ今後も議論は続くだろう。

 デイノニクスの骨格図はバッカーによる「修正版」が長らく出回っていたが、グレゴリー・ポールはヴェロキラプトル・モンゴリエンシスを参考に、これに大幅な修正を加えた(実際問題としてオストロム/バッカーによる頭骨の復元にはかなりの問題があったし、ましてバッカーによる骨格図は真に完全なドロマエオサウルス類の骨格―――ヴェロキラプトルの闘争化石が発見される前に描かれたものであった)。1988年当時、ドロマエオサウルス類の頭骨に関する知識は恐ろしく貧弱であり(まともに記載されていたのはドロマエオサウルスとヴェロキラプトルそしてデイノニクスだけで、完全な頭骨はヴェロキラプトルしか知られていなかった)、かくしてポールはデイノニクス・アンティロプスをヴェロキラプトル属とみなし、これをヴェロキラプトル・アンティロプスと呼んだ。この「大きくて頭骨のゴツいヴェロキラプトル」がジュラシック・パークに与えた影響はいまさら語る必要もないだろう。

(ポールは肉食恐竜事典の中で上述の通りデイノニクスをヴェロキラプトル属に含めるとともに、デイノニクスに二つのタイプ―――がっしり型ときゃしゃ型があるらしいことに触れている。がっしり型には暫定的に先述したカーブの弱いシックルクローをもつMCZ 4371を含め、きゃしゃ型の代表としてAMNH 3015を挙げている。また、YPMボーンベッドにはがっしり型ときゃしゃ型がともに存在すること、MCZ 4371の産地(クローヴァリー層リトル・シープLittle Sheep部層上部)がYPMボーンベッド(クローヴァリー層ハイムズHimes部層(=ユニットⅦ)下部)より下位であることを指摘し(オストロムも指摘しているが)、性差だけでなく分類学的な差異の可能性をも示唆している。とはいえ、きゃしゃ型とされるAMNH 3015がリトル・シープ部層中部から産出していることを考えると、分類学的な差異ではなさそうである。また、シックルクローの形態を除けばがっしり型ときゃしゃ型の差異はさほど明確でもなさそうである。最近では、シックルクローの形態の違いは成長段階によるものと解釈されることもあり、筆者もわりと同意見である(後述)。)

 オストロムによって「切り裂く武器」と解釈されたシックルクローであるが、近年になって「切り裂く武器ではない」といった意見もよく見られるようになった。特に「切り裂けない」とする実験はセンセーショナルに放映されたりもしたが、これは実のところシックルクロー(とそれを覆うケラチン鞘)の断面形は特に考慮していないようでもある。一方で、(特に幼体のうちは)樹に登るのに(も)役立ったという話はいかにもありそうである。既知のデイノニクスの標本の中で抜きんでて大きいMCZ 4371のシックルクローのカーブが弱くなっているのは、あるいはこれと関係しているのかもしれない。最近になってデイノニクスの幼体に飛行能力があった可能性まで指摘されているが、少なくとも成体より木登りがうまかったのは確かだろう。ともあれ、シックルクローが切り裂く「だけ」に役立ったということもないだろう。獲物を押さえ込むのにも役に立ったことと思われる。

 結局のところデイノニクスは今日に至るまで完全な頭骨(ひいては骨格)は知られておらず、それなりに化石が知られている割には復元のおぼつかない部分がままあるのが現状である。1995年になり、60年越しにAMNH 3015―――“ダプトサウルス”の模式標本になるはずだった骨格(驚くべきことに本種のものらしい卵殻が腹の周辺から発見されている)がAMNHのリニューアル展示の目玉のひとつとして組み立てられたが、結局この骨格にも、ほかのデイノニクスの標本では補えない欠損部位がいくつもあった。
 行動学や機能形態学への(閉じかけていた)道を開き、恐竜ルネサンスの始まりを告げたデイノニクスであるが、その姿が明らかになるのはまだ先の話である。