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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

羽毛のゆくえ【ブログ3周年記念記事/恐竜王国2012始末記番外編】

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↑Skeletal reconstructions of Yutyrannus huali.
Top to bottom, ZCDM V5000 (adult; holotype),
ZCDM V5001 (large subadult; paratype)
and ELDM V1001 (subadult; paratype).
Scale bar is 1m.

 いきなりで恐縮だが3周年である。よせばいいのに始めて3年ももってしまったわけで、色々と恐ろしい話である。それなりの知名度を得たようで恐縮しきりの筆者だったりもするのだが(平静を装いつつ冷や汗をかきまくるタイプ)、そういうわけで今後も適当にやっていきたいところである。

 恐竜王国2012といえば色々な意味でトラウマを残した(読者の方にも少なくないはずだ)イベントである。例によって筆者にトラウマを残したのは言うまでもないことで、これまで何度か「始末記」を書いていたりするのは読者の皆様にはご存知の通りである。
 恐竜王国2012の最大の目玉―――今にして思えばほとんどありえないような話で、今後再び来日することは多分ないだろう―――が、その年の春(!)に命名されたばかりのユティラヌス・フアリYutyrannus huali(漢字で種小名まで入れて書くと「華麗羽暴龍」となって非常にかっこいい)だった。これは化石化した羽毛が確認できた恐竜としては既知のものでは最大であり(全長9mとの触れ込みだったが、実際には8m弱といったところのようだ―――後述)、本種の分類と相まって大きな話題となった。中大型の基盤的なティラノサウルス類がほぼ全身を羽毛に覆われていたのなら、大型のティラノサウルス類―――ティラノサウルスの成体でさえある程度以上の量の羽毛をまとっていた可能性が出てくるのである。かくして恐竜博2011以降くすぶっていた「羽毛ティラノ」が席巻し、業界(?)の炎の時代が始まったのだった。
 そういうわけでいつも通り前置きが長くなったが、FPDMの特別展でユティラヌスのレプリカを観察できたということもあり、「羽毛ティラノ」の源流であるユティラヌスについて振り返ってみたいと思う。

 ユティラヌスが発見された時期は2012年以前…なのは当たり前として(2010年ごろだろうか)、実のところ産出層準はおろか産地さえはっきりしない。というのも、ユティラヌスの3つのタイプ標本―――ホロタイプ(ZCDM V5000)と2つのパラタイプ(ZCDM V5001とELDM V1001)は正規の手順を踏んで発掘された標本ではない。一人の化石ディーラーの手によって諸城恐竜博物館(ZCDM)とエレンホト恐竜博物館(ELDM)に持ち込まれたものなのである。

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↑FPDMの特別展で展示されたレプリカ
右がホロタイプZCDM V5000、左がパラタイプZCDM V5001

 模式標本のうちZCDM V5000とZCDM V5001はほぼ全身が関節しており(もっとも頭骨や胴体、四肢はばらけ始めており、腐敗はかなり進んでいたように思われる)、交差するように横たわっていた。一方で、ELDM V1001はよく関節しているものの(前肢は外れている)、前肢の大半や尾は失われている。化石を持ち込んだ人物の言うところではこれらの化石はひとつところ(遼寧は北票、Batuyingziのどこか)から産出したとのことで、どうも大小3頭のユティラヌスが一ヶ所で化石になっていたようである。

(ZCDM V5000の右前肢の付近にはばらけた遠位尾椎がいくつか転がっているのだが、どうもこれはZCDM V5000や同じスラブのZCDM V5001のものにしては妙な位置にある。先述の通りELDM V1001の尾は欠けているのだが、もしかするとある程度関節した状態でZCDM V5000に向かって伸びていたのかもしれない。ELDM V1001だけが別の博物館へ持ち込まれたということは、あるいは最初(ないし最後)にELDM V1001が(尾や前肢を事故で破壊されつつ)採集されたということを示しているのかもしれないが、このあたりの事情は不明である。)

 かくしてこれら3体の標本はクリーニングされ、ティラノサウルス上科に属することが判明するとともにその凄まじいありようが明らかになった。3体はともに羽毛―――厳密にいえば繊維状外皮構造を保存していたのである。
 ZCDM V5000では尾に沿ってはっきりした繊維状外皮構造が確認できる。繊維状外皮構造の長さは15cmほどで、それぞれ平行に、尾の長軸に対しおよそ30°でびっしりと並んでいる。びっしりと並んでいるがゆえに、例えばベイピャオサウルスにみられる「幅広の繊維」なのか、より一般的にみられる糸状のものなのかははっきりしないという。いわゆる「あごひげ」はあまり明確なものではなく、広い意味での外皮の痕跡と捉えておくべきかもしれない。
 ZCDM V5001では腰(というか尻)およびかかと付近に繊維状の構造が認められる…がこれの詳細な構造ははっきりしない。あるいはこれはZCDM V5000の尾の先端にあったものかもしれない(ZCDM V5000の尾は途中でなくなっているものの、欠損部を延長していくとちょうどZCDM V5001の尻/かかと付近に達する)。
 ELDM V1001では首および上腕骨らしき長骨の周辺に繊維状外皮構造がみられる。首の繊維状外皮構造の長さは20cm以上あり、それぞれ平行に、背縁に対して斜めに並んでいる。上腕骨らしき長骨の周囲にみられるものは少なくとも長さ16cmあり、これもそれぞれ平行に、長骨に対し斜めに並んでいる。
 これらを組み合わせて考えると、ユティラヌスの身体のかなりの部分を羽毛が覆っていたと考えてよさそうだ。模式標本3体のうち2体は埋積される前にかなり腐敗していたことが明らかであり(どちらの標本も全体的には生前のシルエットをかなり保っている…のだが、顔面が“ちぎれて”いたり、胴体が“爆発”しかけていたり、前肢のうち上腕骨が捻じれてあらぬところに移動していたりと、冷静に考えるとかなり凄惨な状況である)、かなりの羽毛が埋積前に抜け落ちたりして失われたように思われる。

 ユティラヌスの羽毛はどのようなものだったのだろう?現時点でユティラヌスの羽毛の構造について詳しいことはわかっていないが、少なくとも発見されているものに関しては、基本的にかなり単純(かつ恐らく繊細)な「繊維」であったとみなせそうである。
 こうした構造が全身のかなりの部分(依然としてどのくらいの部分だったのかはわからない)を覆っていたらしいにも関わらず、ユティラヌスは全長8m弱(多くの文献ではZCDM V5000で全長約9mとされているが、これはやや過大であるといえそうだ)と、中大型級の獣脚類である。体重もざっと1tはあったと思われ、現在からしてみればかなりのサイズであるといえる。要するに、ユティラヌスの発見は、これほどのサイズの獣脚類であっても、全身を羽毛で覆えるポテンシャルがあるということを示したのである。
 ユティラヌスの産地そして産出層準は先述の通りはっきりしないのだが、大まかな産地そして産状から、かの有名な熱河Jehol層群の義県Yixian層から産出したのは恐らく確実である。義県層は比較的長期間にわたって形成された地層であり(5つの部層に細分される)、その時代は白亜紀前期のバレミアンからアプチアンの前期(約1億2970万~1億2210万年前)にわたる。義県層の堆積場は当時およそ北緯41.9°にあり、化石中の酸素同位体に基づき年平均気温が約10±4°Cと推定されている―――のだが、酸素同位体の抽出に用いられた化石の産出層準については詳しく述べられてはおらず、ある程度の時代幅が含まれているらしい点には注意すべきである。また、あくまでも年平均気温の話であり、最暖/最寒月平均気温などは推定されていない(ついでに誤差も派手である)。ユティラヌスの羽毛と絡めて「冷涼な」遼寧の古気温はよく話題に上るところだが、(少なくともこれだけでは)羽毛についてあまり具体的な議論ができるようなレベルのものでは現状ない点には注意を払うべきだろう。
 義県層からはご存知の通り様々な動植物の化石が産出し、中にはわりあい現生のものに近いものもみられる。義県層(全体の)の植物相は、亜熱帯あるいは温帯の高地に生息する現生種と近縁のものが支配的であるといい、色々と示唆的である。全体的に湿潤な環境ではあったらしいのだが、一方で乾季の存在も指摘されている。これらの情報を組み合わせると、温帯気候で全体的に湿潤ではあるものの、白亜紀にしてはかなり寒い冬が存在したというようなことがいえそうではある。
 また、義県層が堆積したのは「北中国東部高地」と呼ばれる高原地帯であった点も注意すべきだろう。上述の「冷涼な」環境は、いかにもこれと関連がありそうでもある。なんにせよ、割と「特殊」な環境であったらしい点には留意しておくべきだろう。

 さて、幸いなことにユティラヌスは模式標本3体を組み合わせることで、尾の後半を除くほぼ全身が復元可能である。ほぼ全身が揃っているとはいえひどく潰れていたりして案外復元しにくい部分もある(あげくどうも原記載の計測値にはかなり問題があるようだ)のだが、割合に軽快な、いかにも基盤的なティラノサウルス類といった趣である。
 一方でこれだけのサイズということもあってか、頭骨は派生的なティラノサウルス類と比べればずっと華奢ではあるものの、それなりにしっかりしたつくりである。首がほどほどに短いのも、大方頭骨がごつくなっているのと関係があるのだろう。前肢はそこそこ長く巨大な末節骨を3つ備えており、やたらごつい上腕骨と相まって、かなりの攻撃力を持っていたようにみえる。一方で、後肢はそれなりに長いもののアルクトメタターサルの気配さえ見られないような状態であり、ティラノサウルス科のようなある種極端な走行適応には至っていないといえる。尾はかなり細く(そして恐らく長く)、頭部の大型化(とそれに伴う首の短縮)を除けば、全体としてかなり「原始的」な体格のまま大型化しているといえそうである。
 頭部の装飾はかなり派手であり、鼻づらの「トサカ」には鼻骨はおろか前上顎骨まで参加している。このトサカは成長に伴って相対的に低くなっていくようなのだが、それでも成体でもかなりはっきりした構造である。涙骨の突起もよく発達しており、トサカとともに非常によく目立っていただろう。後眼窩骨には眼窩に食い込むような妙な突起(表面にくぼみがある)があるのだが、これはティラノサウルス科で広くみられるような皮骨の基部になっていたものかもしれない(眼窩に食い込んでいるようにみえるのは化石化の過程で起こった変形によるとも考えられる)。

 原記載における系統解析でユティラヌスはグアンロンやディロングより派生的かつエオティラヌスより基盤的とみなされたが、その後おこなわれたブルサッテとカーによる系統解析ではディロングよりも基盤的―――プロケラトサウルス科に位置付けられた。最節約法による分岐図ではプロケラトサウルス科は見事に多分岐になってしまったが、ベイズ分析による分岐図ではユティラヌスがシノティラヌスと姉妹群を成すとともに、最も派生的なプロケラトサウルス類であることが示された。シノティラヌスはユティラヌスと同地域、やや新しい時代(九仏堂層;アプチアン中期(1億2030万年前ごろ))の恐竜であり、ユティラヌスの子孫にあたる可能性はままあるだろう。
 ユティラヌスと同時期の遼寧(同じ義県層とはいえユティラヌスの産出層準が不明ということもあって、共存していたかどうかは何ともいえない)には、ずっと小型かつ派生的(というかティラノサウルス科へ続く流れに近い―――アルクトメタターサルの原形(サブアルクトメタターサル)さえもっている)なディロングが生息していた。
 この時期―――白亜紀前期のユーラシアにおいて支配的な大型獣脚類はもっぱらカルカロドントサウルス類やメガラプトル類だった(らしい)わけだが、一方でこれらに匹敵するサイズまで大型化した基盤的ティラノサウルス類が当時存在した(しかもより派生的な小型の基盤的ティラノサウルス類と同時期・同地域に)というのは重要である。このあたりの恐竜相の転換は、おそらくとても一筋縄で説明できるようなものではないのだろう。

 羽毛で話題をかっさらっていったユティラヌスであるが、ほぼ全身骨格が発見されているとはいえ、まだまだ謎の多い恐竜である。羽毛の微細構造ははっきりせず、またその生えていた範囲についても現状でははっきりしない部分がある。もっとも、遼寧のことであるから、いずれはもっとずっと状態のいい標本が複数発見される可能性が高いだろう。系統的位置づけについてもまだ不安定さがぬぐえないといえ(いわゆるプロケラトサウルス類でまともな骨格が知られているものはわずかである)、追加標本や模式標本の詳細な再記載が望まれるところである。
 ユティラヌスの―――ほぼ全身を羽毛に覆われた中大型獣脚類の見ていた世界は、恐竜たちののさばっていた中生代の世界はどんな光景だったのだろう。ユティラヌスの発見によって、恐竜の研究は新たな局面に突入したのであった。