GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

蜃気楼の尽きる場所 (恐竜博2016予習/復習記事)

イメージ 3
↑Skeletal reconstruction of Cenomanian North African spinosaurids.
Top to bottom,
composite skeletal reconstruction of Sigilmassasaurus sp. (top right),
composite Spinosaurus aegyptiacus (top left),
Spinosaurus cf. aegyptiacus (MSNM V4047),
Spinosaurus aegyptiacus (holotype; BSP 1912 VIII 19),
and Spinosaurus aegyptiacus (suggested neotype; FSAC-KK 11888).
Scale bar is 1m.
 
 恐竜博2016が始まって1週間ほどが過ぎ、読者の方の中にも行かれた方がおられるだろう。極めて重要な標本が複数来日しており、もろもろの事情を考えると東京会場でやっている間に早いとこ見に行った方がよさそうである。
 
 さて、恐竜博2016の目玉が「新復元」に基づくスピノサウルス復元骨格である。この新復元については過去速報的に紹介したのだが(参考記事)、発表直後の業界(?)の震撼ぶりは覚えていらっしゃる方も少なくないはずだ。
 この新復元とそれに関連する分類学的なごたごたは大きな波紋をよび、モロッコの化石流通事情も含めて色々な問題を浮き彫りにした。このあたりについて今回(適当に)まとめてみたいと思うので、恐竜博2016をこれから見に行く方はもちろん、もう見てきた方も頭の片隅に入れておいていただければ幸いである。
 
 20世紀初頭、ドイツ貴族にして地質学者のエルンスト・シュトローマ―はエジプトの化石に強い興味を抱いていた。ミュンヘン大学の独立講師(大学から給料をもらうのではなく、学生から直接授業料を受け取っていた)だったシュトローマ―は、相方のドイツ人化石ハンターであるマルクグラーフと共に調査隊を率い、ドイツとの関係がきな臭くなり始めていたイギリス統治下のエジプトへ乗り込んだのである。
 1911年の初頭にバハリヤ・オアシスへ辿り着いた一行(マルクグラーフは病気で途中離脱していた)はここで恐竜化石を発見し、次々と(ラクダで300kmを走破して)ミュンヘンへ送った。シュトローマ―は帰国したが、第一次世界大戦が始まるまでの間、マルクグラーフはここでひたすら化石を掘ってはミュンヘンへ送り続けた(そして1916年に無一文で死んだ)。化石は少なからず輸送の過程で損傷してどうしようもなくなって失われた(当時の技術では仕方のないことでもある)が、それでも複数の新種の恐竜を含む、様々な化石がシュトローマ―の手元に残ったのである。
 
 シュトローマ―が最初に手を付けたのが1912年春に採集された「ティラノサウルス級の」大型獣脚類だった。骨格は部分的にしか保存されておらず、しかも関節が完全に外れていた(うえに、エジプトからの長旅で一部の骨は木端微塵になって失われた)が、これは紛れもない新科新属新種であった。とてつもなく長く伸びた神経棘の強烈な印象から、1915年にシュトローマ―はこの標本BSP 1912 VIII 19にスピノサウルス・エジプティアクスSpinosaurus aegyptyacusの学名を与えたのである。この標本は明らかに亜成体だった(椎体と神経弓が全く癒合していなかった)が、にも関わらずティラノサウルスと同等の全長だったと考えられた。
 この論文中で、シュトローマ―はスピノサウルスの「獣脚類にしては奇妙な」歯についても詳しく記載し、アルジェリアで発見されていた「魚の歯」がスピノサウルスである可能性についても触れている。
 
イメージ 4
↑Skeletal reconstruction of
Spinosaurus aegyptiacus BSP 1912 VIII 19 (holotype). Scale bar is 1m.
 
 スピノサウルス・エジプティアクスの記載・命名を皮切りに、その後20年に渡ってストローマーはバハリア・オアシス産化石の記載を続けた。いずれの化石もばらけた部分骨格だったが、それでも当時ほとんど何もわかっていなかった北アフリカ白亜紀中頃(バハリヤBahariya層;セノマニアン前期(ちょうど1億年前ごろ))の恐竜相に光が当たったのである。
 1934年になり、シュトローマ―は再びスピノサウルスと向き合った。同じバハリヤ層で見つかった一回り小さな部分骨格BSP 1922 X45である。この標本には歯やいくつかの椎骨、そして模式標本には残っていなかった後肢が含まれていたのだが、どうも妙だった。椎骨のサイズに対してやたら後肢が短かったのである。歯の形態はスピノサウルス・エジプティアクスとよく似ており、胴椎の形態もだいたい似ていた―――のだが、神経棘の「帆」は無さそうだった。あげく、頸椎(実際は恐らく第1胴椎―――後述)の形態はだいぶS.エジプティアクスと異なっていた上に、腹側(下面)に奇妙なキールがあったのである。
 シュトローマーは悩んだ末に(「帆」の有無が性差などによる可能性も考えた)、BSP 1922 X45が(同じ種に属する)サイズの違う2匹の獣脚類のキメラであると考えた。もろもろの特徴からこの標本がスピノサウルス属の新種であると考えたシュトローマ―だったが、いかんせん化石が貧弱だったので命名はせず、暫定的にこの標本(群)に「スピノサウルスB」の名を与えるにとどめた。この時シュトローマ―はいくつかの「帆」のある椎骨もスピノサウルスBとみなしている。
イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of Sigilmassasaurus sp. "Spinosaurus B"
BSP 1922 X45. Scale bar is 1m.
 
 第二次世界大戦が勃発すると、シュトローマ―は一連の標本の疎開バイエルン国立古生物学地質学博物館(BSP)へ訴えた。が、熱心なナチス党員だったという館長はこうした行為が「反ナチス的」であるとしてとうとう首を縦に振らなかった(シュトローマ―は公然とナチス体制を批判していたともいう)。運命の1944年4月24日夜、ミュンヘン空襲のさなかにランカスターとモスキートの流れ弾が博物館を直撃し、そして一連のバハリヤ層産化石はひとつ残らず失われたのだった。
 
 元より謎の獣脚類だったスピノサウルスは、こうして完全に謎の獣脚類となってしまった。戦後シュトローマ―は失意のうちに(抑留先のソ連からどうにか帰ってきた息子と再会してほどなく)死去し、あとには膨大な量の論文だけが残されたのである。シュトローマ―は1936年にスピノサウルスの骨格図を発表していたが、これがその後実に半世紀にわたってスピノサウルスのイメージであり続けた(その間に下顎の形態は忘れられかけた)。
 1986年のバリオニクスの記載・命名により、ようやくスピノサウルスの分類ははっきりすることとなった(もっとも、すぐにバリオニクスがスピノサウルス科となったわけではなく、90年代後半まで色々とすったもんだがあったが)。90年代に入ると、モロッコのケムケムKem Kem“単層群”(セノマニアン前期;下位のIfezouane層と上位のAoufous層に区分される)が一躍脚光を浴びるようになった。
 1996年、ラッセルはケムケム(層準は不詳)で採集された(のちにイギリスの化石ディーラーを経由してカナダ自然博物館に収蔵された)「頸椎」(実際には第1胴椎だった―――後述)に基づき、新たな獣脚類シギルマッササウルス・ブレヴィコリスSigilmassasaurus brevicollis命名した。これは妙な特徴をもっており(腹側にキールがある)、同様の特徴をもつ他のケムケム産の椎骨もシギルマッササウルスに含められた。また、スピノサウルスBがシギルマッササウルス(sp.にとどめた)であることも指摘した。ラッセルはシギルマッササウルス科を設立し、テタヌラに属するとだけ考え、突っ込んだ系統関係は考察しなかった(できなかった)。
イメージ 2
↑Composite reconstruction of Sigilmassasaurus brevicollis.
Scale bar is 1m for CMN 41856 (1st dorsal vert.; paratype) .
 
 ラッセルは同じ論文で、またもや頸椎(第6頸椎)に基づきスピノサウルス属の新種スピノサウルス・マロッカヌスSpinosaurus marrocanus命名している。ラッセルは頸椎のプロポーションがスピノサウルス・エジプティアクスの頸椎(結局のところ第5頸椎だった。後述)と大きく異なることを指摘している。ケムケム産のいくつかの「スピノサウルス類」の化石もスピノサウルス・マロッカヌスとみなされたが、その中には歯骨の断片も含まれていた。
 1998年になり、ラッセルらはアルジェリアで発見された見事な上顎をS.マロッカヌスとして記載した。同じ地層からは歯骨の断片のほか、S.マロッカヌスの模式標本と同様のプロポーションの頸椎(神経弓がなくなっているので部位は不詳)も見つかっており、そういうわけでS.マロッカヌスとみなされたわけである。かくして、初めてスピノサウルス属の状態のよい上顎が記載されたわけである。

 さて、シギルマッササウルスにはいきなりの前途多難なできごとがあった。シギルマッササウルスの命名の直後(1996年)にセレノらによってカルカロドントサウルスのネオタイプ(ケムケムのAoufous層中部産)とデルタドロメウス(ケムケムのIfezouane層上部産)が記載/命名されたわけであるが、この時、シギルマッササウルスと酷似した「カルカロドントサウルスの頸椎」が記載されたのである。そういうわけでセレノらはシギルマッササウルス(スピノサウルスBを含む)をカルカロドントサウルス・サハリクスCarcharodontosaurus saharicusのシノニムとしたのだった。また、98年の論文でセレノらはスピノサウルス・マロッカヌスの有効性を退け、一連の「ケムケム産スピノサウルス」をスピノサウルス・エジプティアクスとみなしている。

 シギルマッササウルスやS.マロッカヌスの有効性についてはその後も議論が続く一方で、スピノサウルスについてはいくつか新発見があった。2000年に行われたバハリヤ・オアシスの再調査はスピノサウルスに関しては空振りに終わったが、2005年にはケムケム産の見事な吻(恐竜博2016で来日している標本MSNM V4047:科博限定なので注意)が(別個体の)クレストと共に(S.マロッカヌスをS.エジプティアクスのシノニムとしたうえで)記載され、スピノサウルスの大型個体がとんでもない長さになっていたことが明らかになった。また、翌2006年には、シュトローマ―の息子によって寄贈された遺品の中から失われたスピノサウルスの写真が発見された。
 こうした発見を踏まえて復元されたのが恐竜博2009のスピノサウルス骨格復元「模型」である。また、このころケムケム産の化石を寄せ集めて「モロッコ産スコミムス」の頭骨と「スピノサウルスの亜成体」の復元骨格も制作されている(「モロッコ産スコミムス」に関してはレプリカが、「スピノサウルスの亜成体」はオリジナルのものが恐竜博2009で展示された。最終的に「モロッコ産スコミムス」と「スピノサウルスの亜成体」の実物はどちらもプライベートコレクションとなっている)。

 その後はしばらく音沙汰のなかったスピノサウルスであるが(一方で、2007年のカルカロドントサウルス・イグイデンシスの命名時に、またもや「シギルマッササウルス様」の部分的な頸椎がパラタイプとして記載されている)、こうして迎えたのが2014年の「新復元」の発表である。
 「新復元」論文のキモはむしろ「新復元」そのものではなかったのだが、しかしやはりビジュアルのインパクトは大きかった。かくして業界(?)に激震が走ったのである。
 「新復元」論文の核になったのがネオタイプに指定された(この辺のごたごたは後述)ケムケムはIfezouane層最上部産の部分骨格FSAC-KK 11888である。この骨格はスピノサウルスBとよく似たほぼ完全な後肢が保存されており、イブラヒムらはスピノサウルス・マロッカヌスに加えてシギルマッササウルスをスピノサウルス・エジプティアクスのシノニムとした。
 こうしてバハリヤ層とケムケム双方に存在したスピノサウルス類はS.エジプティアクスただ1種となり、イブラヒムらはケムケム産のスピノサウルス類化石(ラッセルによって属種不明のまま記載された複数の標本を含む)を全てS.エジプティアクスとみなした。ホロタイプ、ネオタイプ、スピノサウルスB、シギルマッササウルス、その他の名無しの化石を全て組み合わせたのが「新復元」の正体だったのである。

イメージ 5
↑Skeletal reconstruction of
Spinosaurus aegyptiacus FSAC-KK 11888 (suggested neotype).
Scale bar is 1m.
 
 さて、イブラヒムらはこうしてシギルマササウルスを因果地平の彼方へ葬り去ったのだが、実のところこのあたりの議論は恐ろしく簡潔に済ませている。かくして、エヴァースらはシギルマッササウルスについて徹底的に研究した論文を発表した。この論文中で、スピノサウルス類の頸椎の位置関係についてかなりの新事実が明らかにされた。
 恐ろしく長い論文なのでごくごく簡単にまとめておこう。
 
①スピノサウルス・マロッカヌスはシギルマッササウルスのシノニムである
 イクチオヴェナトルとスコミムスの関節した完全な頸椎の研究(どちらもまだ出版前)から、シギルマッササウルスのホロタイプは(頸椎化した)第1胴椎、S.マロッカヌスのホロタイプは第6頸椎であることが判明した。両者は重要な特徴を共有しており、S.マロッカヌスはシギルマッササウルスのシノニムとなる。また、シギルマッササウルス(inclu. S.マロッカヌス)とS.エジプティアクス(のホロタイプ)の頸椎とでは腹側のキールの有無などがはっきり異なっており、別の分類群とみなされる。
 
②ケムケムにはシギルマッササウルスとは別のスピノサウルス類が存在
 シギルマッササウルス(inclu. S.マロッカヌス)の頸椎~前位胴椎の棘突起は低いが、一方で高い棘突起をもったスピノサウルス類の頸椎(一部は元々S.マロッカヌスとされていた)もケムケムで発見されている。神経棘以外にも異なる特徴がいくつもみられ、従ってケムケムにシギルマッササウルスとは別のスピノサウルス類がいたことは確かである。この「シギルマッササウルスではないケムケムのスピノサウルス類」の頸椎は、S.エジプティアクスのホロタイプそしてネオタイプとよく似ている。
 また、「アルジェリアS.マロッカヌス」は分類不明のスピノサウルス類に現状留めておくべきとされている。
 
③スピノサウルスB(BSP 1922 X45)はシギルマッササウルス属
 これについてはラッセルらの指摘した通りである。シギルマッササウルス・ブレヴィコリスそのものかどうかは(標本が失われた現在)断言できないが、シギルマッササウルス属であることはほぼ確実だという。シュトローマ―がスピノサウルスBとした「帆」のある椎骨は、単にS.エジプティアクスの小さな個体であると考えられる。
 
 エヴァースらはこの論文中で、S.エジプティアクスのネオタイプの記載があまりにも貧弱なことを嘆き(ネオタイプから外す可能性まで触れている)、またネオタイプがキメラである可能性についても触れている。何しろネオタイプは地元民によって「商品用」として途中まで掘り出されていたものだったため、産状の詳細はおろか、本当に同じ場所から産出したのかさえ確実なことはわからないのである。ネオタイプとスピノサウルスBのプロポーションはどうやらそっくりのようだったが、そもそもスピノサウルスBがキメラである可能性も捨てきれず、従ってこのあたりは非常に難しい問題である。
(とはいえ、「偶然」キメラを作ったにしては、ネオタイプもスピノサウルスBもプロポーション的によく似通いすぎているように思う。ネオタイプとスピノサウルスBの後肢はよく似ているが、一方でやはり細かな形態の違いがみられ、プロポーションの類似と相まって興味深い。)
 
 最近出たもう一つの研究が、ヘンドリックスらによるケムケム産の方形骨に関する研究である。機能形態学的な話はさておき、この研究でケムケムから2タイプのスピノサウルス類の方形骨が産出していることが明らかになった。一方にはスピノサウルスのネオタイプが含まれ(ヘンドリックスらはFSAC-KK 11888をスピノサウルスのネオタイプとして受け入れた)、もう一方はエヴァースらの研究結果を踏まえてシギルマッササウルスのものとされた。要するに、やはりケムケムにはスピノサウルス類が2種存在したというわけである。
 
 延々と書き連ねたが、セノマニアンの北アフリカに(少なくとも)2種のスピノサウルス類―――スピノサウルス・エジプティアクスとシギルマッササウルス・ブレヴィコリスが存在したのは確実なようだ。一方で、これまでの復元(「新復元」を含む)ではシギルマッササウルスの椎骨をスピノサウルス類から除外し、残ったケムケム産の化石を用いて復元する(ex. 「モロッコ産スコミムス」、「スピノサウルスの亜成体」)か、あるいは全てまとめて合体させてしまう(「新復元」)ものであった。また、エヴァースらの意見(イクチオヴェナトルやスコミムスの完全な頸椎に基づく)に基づけば、「新復元」におけるスピノサウルスのホロタイプ及びネオタイプの頸椎の割り当ては誤っている(首の長さは修正してもほとんど変わらないようではあるが)ということになる。
 要するに、プロポーションの話を抜きにしても、(「新復元」を含めて)これまで行われてきたスピノサウルスの復元にはかなりの問題があるといえる。プロポーションについても色々と(骨格復元の観点から見ても)問題があり、そういうわけで「新復元」はしょせんは暫定的な(それも恐らくはすでに陳腐化した)ものである。もっとも、全ての復元は暫定的なものでしかない。
 
 恐ろしく長い話になったが、こうした事情を頭の片隅に置いておくと多分恐竜博2016の違った見方ができるだろう。命名から100年が過ぎ、ようやくスピノサウルスは復元のスタート台に立ったのである。
 
 さて、ここからが本題(?)である。いい加減お察しの方も多かろうが、そういうわけで筆者は「新復元」にはかなり否定的である。もっとも、ネオタイプにしろスピノサウルスBにしろキメラだとは考えていないし、「旧復元」を引っ張り出してくるつもりはさらさらない。後肢が相対的にかなり短いのは(ネオタイプがキメラでない限りは)疑う余地はないが、しかしネオタイプの指骨(Ⅱ-1とされたが、それにしては長すぎるようにみえる)は(ナックルウォークするにしても)きゃしゃすぎる。
 ケムケムのスピノサウルス類の分類に関する筆者のスタンスは現状ヘンドリックスらと同様である。つまり、ネオタイプは結局のところ(ネオタイプとみなすのが妥当かどうかはさておき)スピノサウルス・エジプティアクスであると考えている。
 というわけで、スピノサウルスを復元する上で確実に「使える」のはホロタイプとネオタイプのみである(両者のサイズは少なからず差があるが、成長にともなうプロポーションの変化については現状議論のしようがないので無視することとする)。ネオタイプの胴椎はイブラヒムらによって中位胴椎(第6~第8)とされているが、実のところこれが中位胴椎かどうかはかなり怪しい(記載が貧弱であるうえに、状態もよくない)。もしネオタイプの胴椎が後位胴椎であるならば、自動的に腰帯と後肢の相対的なサイズは大きくなる。腰帯と後肢が大きくなれば、4足歩行の必要は薄れるのである。
 スピノサウルスのホロタイプにはかなりの胴椎が残っているが、しかしその配列ははっきりしない部分がある。今回は「新復元」と同様に配置することとした。
 スピノサウルスの頸椎(ホロタイプとネオタイプのもの)は(エヴァースらの意見に基づき適切な位置に戻すと)イクチオヴェナトルの頸椎に酷似している。ネオタイプの「中位胴椎」を(「新復元」に従って復元したホロタイプの)後位胴椎(今回は第9~第11胴椎とした)に一致するようにサイズを調整すると、ホロタイプとネオタイプの頸椎はイクチオヴェナトルの一連の頸椎にほとんど完全に一致するようである。これで頭~首、胴、腰、後肢のプロポーションは(正確性はさておき)定めることができる。尾についてはどうしようもないので、かなり不確かなものである。ホロタイプ、ネオタイプ共にまったく保存されていない前位胴椎についてはシギルマッササウルスを参考にした。ネオタイプの指骨はイブラヒムらの意見に従ってⅡ-1とすると異様なほど長いので、今回はⅡ-2として配置を試みた(不幸にして参考にできる他のスピノサウルス類の情報がない)。
 スピノサウルスとシギルマッササウルスの頭骨をどうするかは頭の痛い問題である。シギルマッササウルスの有効性が明確に示された今、MSNM V4047をスピノサウルスとする積極的な根拠はないといえる。また、かつてS.マロッカヌスとされたアルジェリア産の吻SAM 124もシギルマッササウルスとみなす積極的な根拠はない。SAM 124はMSNM V4074と比べてずっと小さい標本で、歯の数はMSNM V4074と比べて明らかに多いという特徴がある。
 「モロッコ産スコミムス」の方形骨(発見されている)はスピノサウルス型であるが、一方でこれの吻(ほぼ完全)の歯の数はSAM 124と同じように思われ、明らかにMSNM V4074よりは多い。「モロッコ産スコミムス」のほぼ完全なクレスト(図からして、吻と同じ個体のものであるように思われる)は、スピノサウルスのネオタイプの低いクレスト(イブラヒムらの論文では、縁が欠けているだけ、ないし完全な状態だったとされている)とははっきり異なっている。「モロッコ産スコミムス」はスピノサウルスのネオタイプの頭骨より若干小さいようであるが、このクレストの形態の違いは興味深い。図を見るかぎりでは、生えている場所もかなり違うようである。
 また、スピノサウルスcf.エジプティアクスとされたケムケム産の吻にも、MSNM V4074と比べて歯の数が多いものがある(NHMUK 16665)。この吻は「モロッコ産スコミムス」より大きな個体(MSNM V4074と比べればやはりだいぶ小さいが)で、歯の数は「モロッコ産スコミムス」そしてSAM 124と同程度のようだ。
 これまで記載されたシギルマッササウルスの頸椎は、(上で述べたやり方で復元すると)スピノサウルスのホロタイプ(亜成体)と同じか、一回り小さいくらいのサイズの個体のものであるようだ。一方でシギルマッササウルスの椎骨の多くは(多少なりとも縫合線が残っていることが多いが)神経弓と椎体が癒合しているようであり、同程度のサイズであるスピノサウルスのホロタイプ(神経弓と椎体の癒合がほとんど進んでいない)とは対照的である。
 つまり、椎骨の癒合具合からすると、(これまで記載された)シギルマッササウルスの標本は、かなり成熟していた可能性がある。一方で、近いサイズであるスピノサウルスのホロタイプは明らかに未成熟で、おそらくもっと大きなサイズまで成長したと考えられる。つまり、スピノサウルスとシギルマッササウルスはかなり成体のサイズに差があった可能性がある。
 この辺のもろもろの事情を総合すると、MSNM V4074はシギルマッササウルスの吻にしてはどうも大きすぎるように思われる。また、スピノサウルス(の亜成体)が低いクレストをもっていたのはわりと確からしい。従って、スピノサウルスの頭骨の復元については基本的に「新復元」で問題ないように思われる(プロポーションはさておき)。また、「モロッコ産スコミムス」の吻~クレストにかけてはスピノサウルスのものではない(=シギルマッササウルス)と考えることができるだろう。もっとも、この辺はかなり妄想に近いものがある。
 そういうような妄想の産物が上の一連の図である。さて、いかがだろうか。

 
◆2020.4.30追記◆
“ネオタイプ”には続きがあったネオタイプの尾は一連の要素を保存しており、ここにスピノサウルス(あるいはそれに近い派生的なスピノサウルス類)の尾の復元が(ようやくまともに)可能となったわけである。薄く(左右幅は案外あるが)長い尾椎の棘突起は実のところイクチオヴェナトルでも確認されており(筆者はこれにうろたえてかなり近位に置いたが、実際問題これはもう少し後方のものである)、この手の尾は(スピノサウルス亜科では)程度の差はあれ一般的に見られた可能性がある。

 今回、記事を書くにあたってSさんより多大な資料提供を頂きました。この場を借りて感謝申し上げます。