GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

可能性の獣

イメージ 1

Unicorn dinosaurs ---tsintaosaurins.
Top, Tsintaosaurus spinorhinus (composite, largely based on IVPP V725);
Bottom, Pararhabdodon isonensis
(composite, based on Sant Roma' d'Abella specimens and "Koutalisaurus").
Scale bar is 1m.

 あけましておめでとうございます。今年もGET AWAY TRIKE !をよろしくお願いいたします。新年一発目は、予告通りチンタオサウルス(とパララブドドン)をば。

 1950年、山東大学地質学部の学生たちは周明鎮の指導の下、山東省は莱陽の金崗口村の近くで実習を行っていた。この地はかつてタニウスが発見された将軍頂にほど近く、上部白亜系が分布していたのである。
 案の定というべきか、金崗口村の北西、冲溝の道路脇でハドロサウルス類の脛骨と腓骨が発見された。指導教官の周明鎮はすかさず北京のC.C.ヤングこと楊鍾健に報告し、翌1951年、莱陽での発掘が始まった。
 不幸にしてサイトは道路―――金崗口村へ続く主要道路―――の脇であり、あまり広い範囲をほじくり返すわけにはいかなかった。物珍しさから大勢の見物人が集まってきたということもあり、昼間のうちに発掘を終え、夜の間はゴミでサイトを覆い隠しておかねばならない始末であった。
 こうした事情もあって、満足なフィールド記録を取ることは叶わず、発掘も3ヶ月で切り上げざるを得なかった。それでも少なくとも7体分のハドロサウルス類―――部分的に関節していた―――を発掘できたのである。さらに、冲溝の道路脇以外にも複数の場所で恐竜の化石を採集することができた。

 北京へ戻った楊鍾健は注意深くクリーニングを行い、冲溝の道路脇で採集したハドロサウルス類のうち、1体はかなりまとまった骨格であるらしいことを見抜いた。この骨格(上の図のほぼ全て)は奇怪な頭骨―――1本の“鼻骨チューブ”が伸びていた―――と同一個体であるように思われ、体骨格とまとめてIVPP V725のナンバーが与えられた。IVPP V725は同一個体らしき他の断片(断定は難しかった)と合体させて組み立てられた。かくして1958年、「サウロロフス亜科」の新属新種、チンタオサウルス・スピノリヌスTsintaosaurus spinorhinus命名されたのである。
 
 ところで、楊鍾健は冲溝で発見された(少なくとも)7体のハドロサウルス類のうち、5体(IVPP V725を含む)をチンタオサウルスとみなした。残る2体(複数の頸椎、肩甲骨、仙椎と腰帯の大部分)はチンタオサウルスとやや形態が異なっており、むしろ「ハドロサウルス亜科の」タニウスに似ていた。また、これらとは別に「ランベオサウルスに似た」トサカの断片や、ランベオサウルス類の頬骨も同じサイトから見つかった。楊鍾健はタニウスらしき標本をタニウス属の新種T. チンカンコウエンシスTanius chingkankouensisとして記載した。ランベオサウルスに似たトサカについても、属種不明のランベオサウルス類として記載している。
 楊鍾健はチンタオサウルスの頭骨について、欠けている前上顎骨の後半部や頬骨を石膏で埋めることはせず、よく知られている復元頭骨を作り上げた(復元骨格用の頭部には、散々悩んだ末に上述の頬骨を半ば無理やり組み込んだ)。かくして、一般によく知られたチンタオサウルスのイメージができあがったのである。

 さて、時が流れてチンタオサウルスはランベオサウルス亜科であるとみなされるようになっていた。が、あまりにもチンタオサウルスのクレストは奇妙過ぎた。また、同じサイトからタニウスらしき標本が見つかっている(タニウス・シネンシスは若干古い地層の産出ではあるが、いずれにしても近所である)ことも状況をややこしくしていた。さらに、同じ金崗口Jingangkou層(今日ではもっぱらマーストリヒチアンの前期とされているカンパニアンの末らしい)から、完全な仙椎と腸骨に基づきタニウス・ライヤンゲンシスT. laiyangensis命名されている始末だった。
 ロジェストヴェンスキーはチンタオサウルス・スピノリヌスをタニウス・シネンシスのシノニムとみなし、ホーナーとワイシャンペルはチンタオサウルスがハドロサウルス亜科とランベオサウルス亜科のキメラである可能性を指摘した。また、クレストが実際に存在していたかどうか疑問を呈している。タケはもっと踏み込んで、チンタオサウルスのクレストが死後折れ曲がったものに過ぎないこと(つまりクレストは存在しない)、チンタオサウルスが標準的な外見のハドロサウルス亜科に過ぎないことを指摘した。
 とはいえ、これらの意見は勇み足と言っていいものだった。ビュフェトー(たまに妙な存在感がある)らは、チンタオサウルスのホロタイプだけでなくパラタイプに指定された標本にも明確な“鼻骨チューブ”が残っていること、タニウス・シネンシスとは様々な点ではっきり異なっていることを指摘した。さらに、タニウス・チンカンコウエンシスがタニウス属(当時はハドロサウルス亜科)ではなく、ランベオサウルス亜科に属することを指摘した。タニウス・ライヤンゲンシスの腸骨はT. チンカンコウエンシスとよく似ており、そんなこんなでこれら2種はチンタオサウルスのシノニムか、さもなくば疑問名とみなされるようになった。

 その頃、スペインのトレンプTremp層の下部(マーストリヒチアン前期~中期)で、ラブドドンらしき化石が発見された。完全にばらけていたものの、どうやらほとんどが同一個体に属するという代物である。発掘が進むにつれてラブドドンではないことが明らかになり、この化石はパララブドドン・イソネンシスPararhabdodon isonensis命名されたのだった。
 ハドロサウルス類らしいことは確かだったが、パララブドドンの分類は難航した。そうこうしている間にトレンプ層のほぼ同層準からかなり完全な下顎が発見された。パララブドドンと断定できる下顎は発見されておらず、従ってこの下顎とパララブドドンの関係はよくわからなかった。とはいえ系統解析の結果(パララブドドンは基盤的なハドロサウルス科とされた)は両者が別属であるらしいことを示しており、下顎はランベオサウルス類の新属新種コウタリサウルス・コーレロルムKoutalisaurus kohlerorumとして記載された。

 ところがどっこい、その後の研究でコウタリサウルス(の下顎)がチンタオサウルスと酷似していることが明らかになった。また、パララブドドンの上顎骨とチンタオサウルスの上顎骨がよく似ていることも判明した。かくしてコウタリサウルスは(断定する証拠はないものの)パララブドドンのシノニムとなり、チンタオサウルスとパララブドドンがごく近縁(チンタオサウルス族tsintaosauriniをなす)で、かつ基盤的なランベオサウルス類であることが判明したのである。

 さて、パララブドドンとチンタオサウルスが近縁であることが発表されるのと前後して、パララブドドンの復元模型の写真が出回るようになった。また、どうもチンタオサウルスが「一般的な」クレストをもっていたらしいという話もちらほらと出回るようになっていた。満を持して出版された論文でチンタオサウルスの新復元が発表されたのだが、そこでキモになったのは冲溝で発見された「ランベオサウルスに似たトサカの断片」であった。また、楊鍾健を悩ませた頬骨もチンタオサウルスのものであると断定された。楊鍾健はあと一歩のところまでたどり着いていたのである。

 かくして、ようやくチンタオサウルスとパララブドドンはその姿の一端を現した(もっとも、クレストの形態ははっきりしない)。
 恐竜博2016ではクラウドファンディングの資金で修復されたチンタオサウルスの全身骨格(もともと福島県の広野町―――ヒロノリュウといえばピンとくるだろう―――の役場で展示されていたもの)が展示されるというのだが、果たしてこれは懐かしい「旧復元」か、それとも初めての「新復元」のどちらになるのだろうか?アジアの恐竜としてはわりと“古参”の部類になったチンタオサウルスだが、また面白くなってきたところである。