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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

イスチオケラトプスIschioceratops

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Ischioceratops zhuchengensis ZCDM V0016 (holotype).

 久方ぶりの更新である(年内にもういっぺんくらいは更新できそうだ)。いかんせん卒論の執筆が佳境に入っているわけで、色々とご容赦願いたいところである。新年一発目の記事は最近話題のチンタオサウルスを予定しているので、楽しみにしていただけると幸いである。
 前置きが長くなったが、今回の記事は昨日付で論文がweb出版された新種のレプトケラトプス科角竜イスチオケラトプス・ズケンゲンシスIschioceratops zhuchengensisである。種小名から分かる通り、諸城のボーンベッドから発見されたもので、絶妙に1年前の記事で未命名の角竜として紹介したものでもある。

 イスチオケラトプスが産出したのは、諸城に3つある恐竜の大規模ボーンベッドのうちのひとつ、庫溝Kugouクオリーである。庫溝クオリーは王氏Wangshi層群の辛格庄Xingezhuang層最上部にあたり、カンパニアンの中期~後期ごろとされている。同じクオリーからは、“ズケンゴサウルス”や同じレプトケラトプス類のズケンケラトプスも産出している。
 イスチオケラトプスの模式標本(にして目下唯一の標本ZCDM 0016)は関節しているものの、不幸にして首なしどころか上半身がそっくり失われていた。しかし、それでもなお奇怪な特徴―――リカーブボウのように曲がり、奇妙なくぼみの開いた閉鎖孔突起のある座骨がそこに残されていた。

 座骨の形態は既知のレプトケラトプス類とはまったく異なっている。奇妙に曲がった形態は化石化の過程での変形によると言い張れないこともない(事実左右の座骨で曲がり方が異なっており、記載者らも少なからず変形していることを認めている)が、しかし少なからずダブルカーブしているのは確かである。また、閉鎖孔突起は普通角竜には見られないものであり、くぼみ(大腿骨の筋肉が付着していたらしい)も開いてあるとなれば事は重大である。また、仙椎が9個ある点も他のレプトケラトプス類にはみられない特徴である。ゆえに、角竜の命である頭骨が欠けているにも関わらず、本標本は模式標本となったのだった。

 ここまで書いて、何か引っかかった読者の方もおられるだろう。イスチオケラトプスは下半身しか見つかっていないが、一方で、同じボーンベッドで見つかったズケンケラトプスは上半身だけである。
 系統解析の結果、イスチオケラトプスはモンタノケラトプスと、ズケンケラトプスはグリフォケラトプス―ユネスコケラトプスとそれぞれ姉妹群となり、一応別属であることが示された。もっとも、両者ともにレプトケラトプス科であり、かつ同じボーンベッドから産出している。将来的にイスチオケラトプスがズケンケラトプスのシノニムに収まる可能性は否定できない。

 イスチオケラトプスの「安定性」はともかくとして、諸城はレプトケラトプス類の天国だったらしい。すでにズケンケラトプスとは異なるレプトケラトプス類の関節した上半身が産出しており(あるいはこれがイスチオケラトプスの上半身なのかもしれない)、カンパニアン中期~後期に複数属のレプトケラトプス類が諸城に暮らしていたのは確実である。また、レプトケラトプス類(のように見える)の幼体が2体寄り添った化石も産出しており、これももしかすると新属なのかもしれない。

 本ブログでは性懲りもなく何度も諸城の恐竜たちを取り上げているわけだが、諸城の一連のボーンベッドやその他の山東省の化石産地は、白亜紀後期のアジアの恐竜相を保存したものとしては内外モンゴルに次ぐ代物である。結局のところ白亜紀後期のアジアの恐竜に関する知識の多くは内外モンゴルの恐竜に関するものであるわけで、内外モンゴルの「外」で比較的よくわかっているところといえば、諸城くらいが現状関の山である(次点が江西省あたりか)。
 来年から再来年にかけて、福井・大阪・名古屋と諸城の恐竜の巡回展が行われるらしい。あるいはイスチオケラトプスも来日する可能性があるわけで、楽しみなところではある。見る側の腕の見せ所でもあろう。