GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

オストロムのトリケラトプス

イメージ 1
↑Skeletal reconstruction of Triceratops "brevicornus" BSP 1964 I 458
(formerly YPM 1834). 
Scale bar is 1m.

 北海道の山奥へ行っていたり別件で参っていたりしてかれこれ2週間近くほったらかし(な上にまともな仕込みができていない)なわけである。9月の下旬まではこんな調子でろくに更新ができなさそうなのだが、そういうわけなので安心してほしい。

 さて、オストロムと言えば、世間(?)的にはデイノニクスをはじめとするクロヴァリーCloverly層の恐竜や始祖鳥の研究で有名である。デイノニクスの記載をおこなったせいかどうも獣脚類専門のようなイメージが付きまとっているような気もする(気のせい)が、実のところ角竜に関しても極めて重要な研究をいくつかおこなっている。
 読者のみなさまは、昨年の春に開催された角竜展の要所要所で、角竜の摂食器官について展示解説が割かれていたことを覚えていらっしゃるだろうか?角竜の爆発的な繁栄にその優れた摂食器官が果たしていた役割は非常に大きかったと考えられているのだが、そこに早くから着目していたのがオストロムである。
 オストロムが当時(1960年代前半)勤めていたイェール大学ピーボディ博物館(YPM)には、マーシュ(というかハッチャー)の誇った膨大な角竜―――ほとんどがトリケラトプス―――のコレクションがあった。トリケラトプスの顎の機能形態学的な研究を思い立ったオストロムが目を付けたのが、YPM 1834―――トリケラトプス・ブレヴィコルヌスだった。

 YPM所蔵の他のトリケラトプスと同様、YPM 1834の歴史は古い。1891年の春に当時ハッチャーの助手であったアターバックによってワイオミングのランス層にて発見されたのが発端である。その年の夏にハッチャー一行によって採集され、YPMへと送られた。
 YPM 1834はほぼ完全な頭骨とそれに続く頸椎・胴椎、そしていくつかの肋骨からなっていた。当時知られていたトリケラトプスの標本としては断トツの完全度(手足はごっそり欠けているが)だったのだがクリーニングは難航し、ようやく終了した直後(1899年)にマーシュは亡くなってしまったのである。
 かくしてYPM 1834の記載はハッチャーに託され、彼は1905年に本標本をホロタイプとしてトリケラトプス・ブレヴィコルヌスTriceratops brevicornus(短い角のトリケラトプス)を命名したのであった。

 そんなこんなでオストロムによるYPM 1834などの研究によってトリケラトプス(ひいてはケラトプス科角竜全体)の顎の機能が明らかになったのだが、その裏でYPM 1834にある重大な話が持ち上がっていた。
 1926年以降YPM 1834の頭骨はYPMの常設展示として他のトリケラトプストロサウルスの頭骨と並べて展示されていたのだが、その後の改装で常設展示からは外されていた。こうして収蔵庫住まいになっていたYPM 1834を、ミュンヘンからの客―――バイエルン古生物学・地質学史博物館の館長―――が見初めたのである。かくして交渉の末、YPM 1834は生まれて初めて海を渡り、BSP 1964 I 458として常設展示に復帰したのだった

 それからしばらくが経過し、BSP 1964 I 458の再記載が試みられることとなった。相変わらずトリケラトプスの首から後ろの骨格はロクに発見されないままで、頸椎と胴椎のよく揃ったBSP 1964 I 458は依然として重要な標本のままだったのである(ハッチャーも頸椎と胴椎について一応記載していたのだが、それほど詳細なものではなかった)。さらに、トリケラトプス属の種が乱立しているといった問題もあった。
 こうした事情のため(さらに言えば、YPM 1834のナンバーが変わったことを周知させなければならないという事情もあった)、オストロムと(当時ミュンヘン勤めだった)ヴェルンホーファーが共同で研究にあたることになったのである。

 こうして、1986年にトリケラトプス・”ブレヴィコルヌス”の再記載が出版された。頭骨だけに留まらず椎骨や肋骨についても詳細な記載がおこなわれ、さらにトリケラトプス属をT.ホリドゥス1種に整理するという大ナタも振るわれた。トリケラトプス属を1種にまとめるという考え方はその後の角竜の(属内の)分類に大きな影響を与え、今日に至っている。

(もっとも、今日ではトリケラトプス属にT.ホリドゥスとT.プロルススの2種を認めることが一般的である。T.ブレヴィコルヌスはT.プロルススのシノニムとされている。)

 結局、(よく揃った)椎骨について詳細に記載されたトリケラトプスは現在に至るまでBSP 1964 I 458のみとなっている。オストロムらの記載とは椎骨のカウントもナンバーの割り当ても変わって久しいのだが、それでもなお彼らの論文は唯一無二の存在となっている。
 BSP 1964 I 458は今日でも、バイエルン博物館で来場者を迎えているようだ。もっともよく記載されたトリケラトプスのひとつであり、同時に「小さな成体」でもある本標本は、今後も色々と我々に語ってくれることだろう。