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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

リチャードエステシアの謎

イメージ 1
↑CMN 343, holotype of Richardoestesia gilmorei
A, left dentary (latelal view). B, right dentary (medial view).
C, reconstructed right dentary (medial view). 
Scale bar is 10cm. 
Modified from Gilmore (1924).

 白亜紀後期の北米の恐竜相を語る上で避けては通れないのが、歯のみから知られるいくつかの小型獣脚類である。その多くが20世紀以前に命名されたものであり、そこがある意味最大の問題だったりもする。そうした中で、リチャードエステシアRichardoestesia命名は1990年と比較的最近である。

 リチャードエステシアの模式標本(部分的な左右の歯骨といくつかの歯)がアルバータダイナソー・パークDinosaur Park層で発見されたのは1917年のことである。分類の仕様がなく(同年にストルティオミムスが記載されたばかりで、比較可能な白亜紀の小型獣脚類がほとんど知られていなかった)しばらくほったらかしにされていたのだが、1924年になって、ほぼ完全な手の化石と共にキロステノテス・ペルグラキリスChirostenotes pergracilisとして記載された。模式標本となった手の化石(CMN 2367)と産地が比較的近かったこと、ストルティオミムス(当時はまだオルニトミムス属扱いだった)やドロマエオサウルスとは明らかに形態が異なっていたため、キロステノテスの参照標本とされたのである。

 その後1970年代に入ると、キロステノテスはオヴィラプトルとの類縁性が指摘されるようになった。80年代の終わりにはマクロファランギアMacrophalangiaに加えてカエナグナトゥスCaenagnathusがキロステノテスのシノニムであると考えられるようになり、「歯の生えた」CMN 343がキロステノテスではないことがはっきりした。
 80年代半ばにはパロニコドンParonychodonである可能性も指摘されていたCMN 343だったが、もろもろの理由から、他の遊離歯と合わせて新属新種として記載されることになった。こうして、1990年になってリチャードエステシアが誕生したのである。
(リチャードエステシアの綴りを巡ってひと悶着あったのだが、それは別の話である。)

 当初は北米の上部白亜系(それでも下部カンパニアンから上部マーストリヒチアンまで幅がある)に限られているとされたリチャードエステシアだったが、その後世界各地からそれらしい化石が報告されるようになった。イギリスのバトニアン前期(ジュラ紀中期!)からもR. cf.ギルモアイが報告される始末である。
 リチャードエステシアの確実な体化石は未だに模式標本以外には報告されておらず、分類はおぼついていない。とりあえずドロマエオサウルス科の可能性が高いとされている(歯の形態は、シノルニトサウルスやシャナグShanag―――ミクロラプトル亜科―――に近いらしい)。
 要するに、リチャードエステシアとしてひとくくりにされている標本は様々な(不定の)ドロマエオサウルス類として考えておくべきだろう。これらの間に系統的なつながりがあるのかは、現状判断のしようがない。

 とかなんとか書きつつも、おそらくは、北アメリカの上部白亜系から見つかる“リチャードエステシア(R.ギルモアイの模式標本を含む)”はよくまとまった一つのクレードに分類できそうな気がする(根拠は特にない)。
 その姿は未だ謎のベールに包まれているが、カンパニアンからマーストリヒチアンにかけて、可憐な感じのドロマエオサウルス類(?)が地味に繁栄していたのは多分確かなのだろう。

(お気づきの方もいらっしゃるだろうが、見ての通りリチャードエステシアのメッケル溝は歯骨の中央付近からやや背側を走っており、よく知られたデイノニコサウルス類とは趣が異なる(Catappledogさんのブログを参照すべし)。ミクロラプトル亜科やウネンラギア亜科の歯骨の内側面はどうも図示されていないようで比較できなかったのだが、実際のところどうなのだろう?)