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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

ニッポノサウルスの孤独

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↑ニッポノサウルス・サハリネンシスNipponosaurus sachalinensisの骨格図。
スケールは1m
Skeletal drawing of Nipponosaurus sachalinensis UHR 6590,
restored after Nagao, 1936 and Suzuki et al., 2004.
Scale bar is 1m.

 例のむかわ町のハドロサウルス類(過去記事参照)の上顎骨の一部が確認されたことはご存知の方が多かろう。これに加えて現段階で後肢の大半や尾、遊離歯が確認されているほか、恐らく胴椎なども(未確認とはいえ)採集されているようである。これだけ見つかれば、適当な近縁種をベースに復元骨格が制作できるだろう。

 そんなわけで、むかわ標本は現時点ですでに日本産ハドロサウルス類としてはもっともよく揃った化石と言えるだろう。が、それを凌ぐ大先達がいることを忘れてはならない。

 今さら語るまでもない(先日、復元骨格云々で少し話題にもなった)が、戦前、唯一の「日本産」恐竜が知られていた。ニッポノサウルス・サハリネンシスNipponosaurus sachalinensisである(ある意味、学名が全てを物語っている)。1934年、炭鉱附属の病院を建設中に発見されたそれは、翌年の予報を経て1936年、新属新種として記載された。異常巻きアンモナイトで知られる(要は海成層)上部蝦夷層群(サントニアン後期~カンパニアン前期)産である。翌1937年には追加発掘がおこなわれ、模式標本UHR 6590と同一個体に属する前後肢が採集された。
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↑Nagao, 1936より、ニッポノサウルスの骨格復元。
この時点では前肢が発見されていない点に注意
Skeletal reconstruction of Nipponosaurus. From Nagao, 1936.

 当時知られていたアジア産ハドロサウルス類はいずれも断片的であり、保存状態があまり良くなかった(+技術が未熟だったりでうまくクリーニングできなかった)ことを差し引いても、ニッポノサウルスは当時のアジア産ハドロサウルス類の中ではもっとも骨格が知られている種であった。
 本種はハドロサウルス科に分類され、中でも“ケネオサウルスCheneosaurus”や“テトラゴノサウルスTetragonosaurus”に近縁であると考えられた。そして、“地理的にそれら(北米産)とかけ離れていること”から、新属新種であると考えられたのである。(原記載者は骨学的な違いなどは指摘しなかった)

 その後は本種の研究は進まず、たまに思い出したように論文に姿を現すようになった。“マンチュロサウルス・アムーレンシスMandschurosaurus amurensis”やヤクサルトサウルス・アラレンシスJaxartosaurus aralensisに近縁(ないしはシノニム)とする意見など、基本的に分類に関する話に終始している。
 原記載では成体であるとされていたニッポノサウルスであるが、その後幼体とする意見が強まり(ピンときた方もいただろうが、先述の“ケネオサウルス”や“テトラゴノサウルス”はいずれも幼体であり、シノニムや疑問名として姿を消した)、有効性にも黄信号が灯った。そんな中、復元骨格の製作と再研究がおこなわれることとなったのである。

 再研究に際して再クリーニングも行われ、ようやくニッポノサウルスはその真の姿を現すこととなった。やはり未成熟の個体であることは確実であったが、一方で独自の特徴らしきものも確認され、有効な種として息を吹き返した。
 系統解析からはヒパクロサウルスと近縁であることが示され(ステビンゲリを差し置いてアルティスピヌスの姉妹群となったが、ステビンゲリの位置が揉めがちであることやニッポノサウルスのクレストが保存されていなかったことを踏まえ、ヒパクロサウルス属には含まれなかった。地理的に時間的にもだいぶ離れており、妥当なところではあろう。)、結果的に“ケネオサウルス”や“テトラゴノサウルス”との類縁性の指摘はあながち間違っていなかったことも明らかになった。
 
 さて、あくまでもニッポノサウルス唯一の標本は亜成体(ないし大型幼体)のものであり、成体ではない。それゆえ系統解析の結果を鵜呑みにはしにくい(とはいえ、ハドロサウルス類の場合、幼体を系統解析にかけてしまってもそう問題があるわけでもないらしいが)のだが、ランベオサウルス亜科の中でもかなり派生的であるヒパクロサウルスに近縁とされている点はポイントである。
 ヒパクロサウルスは2種(H. altispinusH. stebingeri)が知られており、属全体としては、カンパニアン後期~マーストリヒチアン前期に渡って続いていたようである。一方でニッポノサウルスはサントニアン後期~カンパニアン前期とされており(ゴドフロアなどはアムーロサウルスAmurosaurusなどとひっくるめてマーストリヒチアン後期としていたりもするようだが、実際のところは多分そうではない。とはいえサントニアン後期~カンパニアン前期とする意見にも問題があるといえば割とあるのだが)、これらと比べてだいぶ古い。

 もしニッポノサウルスがヒパクロサウルスと近縁であるならば、かなり大きな意味をもつ。派生的なランベオサウルス類がこれほど早い時期にアジア(というには微妙だが)に渡っていたか、あるいはアジア起源である可能性すら示唆することになるのだ。系統関係については正直微妙なところが大きいと筆者は思っていたりもする(例えば、アムーロサウルスなどの極東ロシア産ランベオサウルス類と共に解析したらどうなるだろう)が、いずれにしても興味深い。

 ニッポノサウルスの発見からじきに80年が経とうとしているが、サハリンから新たな恐竜化石は未だに知られていない。そういう事情もあり、まだまだ本種は謎の恐竜である。

◆追記◆
 すったもんだの末に再研究が行われてみれば、ニッポノサウルスは驚くべきことにアレニサウルスArenysaurusやブラシサウルスBlasisaurus―――どちらもスペインの上部マーストリヒチアン産―――と姉妹群になってしまった。このあたり、まだまだ面白いことになりそうである。